約束——全ての真実を暴くまで
俺はカーゴに全員を集めた。
凛、三島、久我山、桐生。五人分のコーヒーカップがテーブルの上に並んでいる。午後三時。窓から差し込む西日が、テーブルの上の名刺——朝霧千歳の白い名刺を照らしていた。湯気が五つ、天井に向かって立ち昇っている。
桐生恭子が最後に到着した。フリーライターらしい——使い込まれた革のショルダーバッグを肩から降ろし、ノートとボイスレコーダーをテーブルに置いた。ボイスレコーダーには触れず——桐生は目で俺に確認した。録音していいか、と。俺は首を横に振った。桐生はレコーダーをバッグに戻した。
「全員揃った。話は——管理局のことだ」
俺は朝霧千歳の提案を説明した。データ提供の見返りとして、装備支援、情報提供、影山からの保護。全員が黙って聞いていた。久我山だけが——腕を組んだまま、時折コーヒーをすすっていた。既に知っている内容だからだ。
「意見を聞きたい」
最初に口を開いたのは桐生だった。
「ジャーナリストとしての意見を言わせてもらうと——管理局内部に協力者がいるのは大きい。でも、管理局に提供したデータが影山の手に渡るリスクは?」
「それは俺も考えた。朝霧の部署は調査課だ。影山の直轄ではない。だが——組織内の情報が上に漏れるリスクはゼロじゃない」
「条件付きにすべきだ」
凛が言った。眼鏡を外し、レンズを拭きながら——冷静な声で。
「提供するデータの範囲を限定する。未公開層の基礎データは渡す。だが設計図の断片に関する情報は除外。ペンダントの信号データも渡さない。我々が持つ情報の——最も重要な部分は、手元に残すべきです」
「それと——」
凛が眼鏡をかけ直した。
「配信に制限をかけないこと。これは絶対条件です。管理局の協力者になったことで配信内容に口を出されるようになったら——柊さんの配信は終わります。視聴者との信頼関係が全てです」
「同意する」
久我山が腕を組んだまま言った。
「配信は止めるな。お前が鑑定した全てを、嘘なく伝え続けること。それがお前の鑑定精度を上げてきた理由だ。そこに妥協が入ったら——ダンジョンがお前を見限る」
三島が——黙っていた。
テーブルの端で、コーヒーカップを両手で包むように持ったまま、何かを考えている。いつもの軽い口調が——出てこない。
「三島くん」
「……先輩」
三島の声が——低かった。
「管理局が、親父の情報を特別封印してるって——朝霧さんが言ってたんすよね」
「ああ」
「つまり——管理局は何か知ってるってことっすよね。親父に何があったか。どこに行ったか。何を見つけたか」
「そういうことになる」
三島が——コーヒーカップを置いた。カップがソーサーに当たる音が、静かな店内に響いた。三島の目が——俺を見た。22歳の目。だが——十年分の痛みを湛えた目。
ここだ——と思った。伝えなければならない。凛に止められていた。確証がないと。だがもう——三島をこの輪の外に置いておくわけにはいかない。全員でこの先に進むなら——全員が同じ情報を持つべきだ。
「三島くん。一つ——伝えなきゃならないことがある」
凛が俺を見た。銀縁の眼鏡の奥の目が——少し揺れた。だが、止めなかった。
「久我山さんのペンダントを再鑑定した時——鑑定データに、お前の父親に関する情報が出た」
三島の手が——震えた。テーブルの上のコーヒーカップが微かに揺れた。
「ペンダントの内部にあるダンジョンコアの断片が——位置信号を発信していた。信号の方向は地下。サードダンジョンの深層部。信号発信元に——生体反応が検出された」
「生体——反応——」
「微弱だ。人間のものかどうかも確定していない。だが——」
「親父が——生きてる——」
三島の声が——割れた。唇を噛んでいた。下唇が白くなるほど強く。目が赤くなっていた。涙は——出ていなかった。出さないように、全力で堪えていた。
「確定じゃない。まだ——可能性の段階だ」
「でも——可能性は——あるんすよね」
「ある」
三島が——立ち上がった。椅子が後ろに滑った。両手をテーブルに叩きつけた。カップが跳ねた。コーヒーが少しこぼれた。
「俺——行きます。深層。何層だろうと。親父がいるなら——迎えに行く。それが——俺が探索者になった理由っす」
声が震えていた。だが——目は震えていなかった。決意の目だった。十年間探し続けてきた答えに、初めて手が届くかもしれない——その光を見た目だった。
凛が——黙ってハンカチを差し出した。白いハンカチ。凛らしい、無言の気遣いだった。三島はそれを受け取り——目元を一度だけ押さえた。
「すみません。取り乱しました」
「謝んな」
久我山が言った。短く。だが——その声には、十年間同じ痛みを抱えてきた男の重みがあった。
「鋼一郎のことは——俺も探す。お前だけの戦いじゃない」
◇
空気が変わった。
五人全員が——同じ方向を見ていた。テーブルの上に散らばった情報が、一つの絵になりつつあった。ダンジョンの設計図。管理局の隠蔽。三島鋼一郎の生存。そして——鑑定スキルの真の意味。
「桐生さん」
「ん?」
「記事——書いてくれ。管理局の装備横流しの件。ただし、朝霧千歳の名前は出すな。彼女が内部協力者だと知れたら、潰される」
「了解。ソースはあんたの配信データと、複数の匿名証言ってことにする。ジャーナリストの基本だよ」
桐生がノートにペンを走らせた。フリーライターの手が——速かった。取材メモを構成する、プロの手つきだ。
「久我山さん」
「何だ」
「秘密保持契約——破ってもらえるか」
久我山が——椅子の背もたれに体を預けた。天井を見た。蛍光灯の光が久我山の顔の皺を照らしていた。十年間の沈黙。契約書に縛られた十年間。
「もう破ってるようなもんだ。お前に鋼一郎の話をした時点でな」
久我山がカウンターの裏に行った。重い引き出しを開ける音がした。金属の擦れる音。古い紙の匂いが漂ってきた。
テーブルの上に——書類の束が置かれた。
黄ばんだ紙。端が折れ、一部はシミがついている。だが文字は読めた。手書きのメモ、地図のスケッチ、データの記録。三島鋼一郎の筆跡だ。力強い、大きな字。
「これが——鋼一郎が残した調査記録だ。俺が預かっていた。管理局に回収されなかった分——鋼一郎が、最後の探索の前に、俺に預けていった」
書類の束は——厚さ三センチほどあった。テーブルに置かれた時の重さが、手に伝わった。紙の重さではない。十年分の沈黙の重さだ。
凛が書類に手を伸ばした。一枚目を手に取り——目が変わった。研究者モードだ。
「これは——深層の地図です。手書きですが、座標が記入されている。50層以深の……柊さん、これ鑑定で読み取れますか」
「試す価値はある」
三島が——父親の筆跡を見つめていた。黄ばんだ紙の上の、力強い文字。十年間、見ることができなかった父の手跡。三島の指が——紙の端に触れた。触れるだけで、持ち上げなかった。壊れ物を扱うように。
「親父——こんなに書き残してたんすね」
「鋼一郎は——記録魔だった」
久我山が言った。コーヒーを一口飲んだ。
「探索に行くたびに、見たもの全てを書き残した。『記録しなければ、なかったことにされる』が口癖だった。あいつは——管理局が情報を隠すことを、十年前から分かっていたんだ」
◇
全ての情報を共有し終えた時——午後の光は西日に変わっていた。窓の外のビルの影が長く伸びている。テーブルの上には——五つの空になったコーヒーカップと、朝霧の名刺と、鋼一郎の調査記録が並んでいた。
「決を取る」
俺が言った。全員が俺を見た。
「朝霧千歳の提案を——条件付きで受ける。条件は三つ。一、提供するデータの範囲は俺たちが決める。設計図断片とペンダントの情報は除外。二、配信内容への干渉は一切認めない。三、鋼一郎の調査記録に関する情報を管理局から開示させること。異論がある人は言ってくれ」
誰も異論を唱えなかった。
「じゃあ——もう一つ」
俺はスマートフォンを取り出した。配信アプリを起動した。カメラの赤いランプが点灯した。
「配信する。今——ここで」
三島が目を丸くした。凛が眼鏡の奥で微かに頷いた。久我山がコーヒーカップを置いた。桐生がペンを止めた。
「こんばんは。鑑定配信者の柊一颯です」
カメラに向かって——俺は話し始めた。
『ゲリラ配信!?』
『何事!? カーゴからの配信初めてじゃね?』
『やべえ全員集合してる。何かある』
【マコト】『突然だな。何があった』
「報告が三つあります。一つ目。俺たちは——これから30層を目指します。設計図の断片を集めるために。ダンジョンの真実を——全て明らかにするために」
画面のコメントが加速した。
「二つ目。この先の探索は——今までよりも危険になります。30層以深は完全に未知の領域です。何が待っているか、鑑定でも予測できない」
「三つ目——」
俺はカメラをまっすぐ見た。25万人の目がこちらを見ている。いや——もっと多いかもしれない。数字は関係ない。
「俺は——全てを伝え続けます。鑑定で見えたもの。ダンジョンの真実。管理局が隠していること。嘘は言わない。隠さない。それが——俺がこの配信を始めた理由だから」
『うおおおおおお約束だぞ!!!』
『絶対ついていく。30層だろうが100層だろうが』
【ドクター】『無茶はするなよ。生きて帰ることが最優先だ』
【シロ】『全データ、記録し続けます。柊さんの鑑定は——真実への鍵です』
【マコト】『約束だな。全てを暴くまで——止まるな』
「約束します。全ての真実を暴くまで——俺は止まらない。ここにいる全員と、画面の向こうの全員と——一緒に」
配信を終了した。赤いランプが消えた。
店内に——静寂が戻った。五つの空のカップ。夕日が窓から差し込んで、テーブルの上を橙色に染めていた。鋼一郎の調査記録の黄ばんだ紙が——夕日を受けて、金色に見えた。
「さて——忙しくなるな」
久我山が立ち上がった。膝の古傷が軋む音がした。
「装備を整えなきゃならん。30層用の——特別仕様だ」
三島が——立ち上がった。目が赤かったが、表情は明るかった。
「俺、明日から訓練量を倍にするっす。共鳴周波数攻撃も、もっと精度を上げなきゃ——先輩の鑑定に追いつけるようにならないと」
凛がノートパソコンを閉じた。
「鋼一郎さんの調査記録——今夜中にデジタル化します。解析は明日までに」
桐生がノートをバッグにしまった。
「記事の第一稿は来週。管理局の装備横流し——世論を動かすよ」
全員が動き始めた。それぞれの役割に向かって。俺は——窓の外を見た。夕日が沈みかけている。東京のビル群の隙間から——オレンジ色の光が最後の力で空を染めていた。
この先に何があるか、分からない。30層。深層。三島鋼一郎。設計者の間。影山総司。ダンジョンの真実。
だが——一人じゃない。それだけは確かだった。
◇
同時刻——管理局本部ビル、地下三階。
蛍光灯の白い光が、窓のない部屋を照らしていた。空調の低い唸りだけが聞こえる。空気が乾いている。紙とインクの匂いが漂っていた。
影山総司が——デスクに座っていた。
52歳の顔に刻まれた皺が、蛍光灯の下で深く見えた。目の下に隈がある。ここ数日、眠れていないのだろう。だが——目だけは鋭かった。官僚としての鋭さではない。追い詰められた権力者の——警戒の目だ。
デスクの上に——一冊のファイルがあった。
黒い表紙。管理局の紋章が金色で刻印されている。表紙の右上に赤いスタンプが押されていた——「特秘」。その下に、手書きで追記されている——「局長決裁限定」。
影山がファイルを開いた。乾いた紙の音が——静かな部屋に響いた。
表紙の裏に、プロジェクト名が印刷されていた。
『Project Apostle ——使徒計画
対象者リスト(更新版)』
リストが並んでいた。名前と、状態と、備考。
影山が赤いペンを取った。ペンのキャップを外す音。インクの匂いが鼻を突いた。
リストの中程に——「柊一颯」の名前があった。影山は赤いペンで——その名前の横にチェックマークを入れた。備考欄に書き加えた——『監視強化。読み手レベル3到達を確認。要注意』。
赤いインクが紙に染み込んでいった。
影山がページをめくった。リストの最上段。
名前は——黒く塗りつぶされていた。太いマーカーで、何度も何度も塗り重ねられている。読み取ることはできない。だが——備考欄の文字だけは残されていた。
『状態:ダンジョン内——生存推定
最終確認:10年前
アクセスレベル:不明(推定:設計者級)
対応方針:接触禁止。情報封印継続。深層への一般探索者の到達を阻止すること』
影山が——ファイルを閉じた。
黒い表紙が、蛍光灯の光を吸い込んだ。金色の紋章だけが——鈍く光っていた。
影山は椅子の背もたれに体を預けた。天井を見た。蛍光灯の光が目に刺さった。
「——厄介なことになったものだ」
誰もいない部屋で——影山の声だけが反響した。空調の音に紛れて、消えた。
デスクの上の赤いペンが——蛍光灯の光を受けて、血のように光っていた。




