管理局の女——朝霧千歳の提案
カーゴの店内で——俺と凛と三島は、戦利品の整理をしていた。
テーブルの上に並んでいるのは、審判者の装甲片が三つ、関節部の潤滑機構が二つ、そしてコアの欠片が一つ。久我山が一つずつ手に取り、ルーペで検分している。店内にはコーヒーの匂いが漂っていた。久我山が淹れた、苦い深煎りのブレンド。五つのカップが——テーブルの上に並んでいる。五つ目は——来客用だ。
「この装甲片、加工すれば盾の表面材に使える。自己修復型合金だ。傷が勝手に治る。三島の剣の鍔にも仕込めるな」
久我山がルーペを置いた。元Bランク探索者の目利きは——十年経っても衰えていなかった。
「ありがとうございます、久我山さん。いくらっすか」
「加工賃だけでいい。素材代は取らん。お前らが命懸けで持ち帰ったものだ」
凛がノートパソコンを広げて、昨日の配信データを整理していた。銀縁の眼鏡にモニターの光が映り込んでいる。タイピング音が規則的に響く。凛が本気で作業している時の音だ。
「最高同時接続25万4千人。アーカイブ再生は——もう1,200万回を超えています。共鳴周波数攻撃のシーンだけで切り抜き動画が300本以上作られていますね」
「数字が大きすぎて実感が湧かないんだが」
「企業案件のオファーが47件来ています。全てお断りしていますが」
「47件……営業マン時代の俺なら泣いて喜んだな」
凛が眼鏡の奥で微かに笑った。
その時——店のドアベルが鳴った。
カラン、と。古い真鍮のベルが、乾いた音を立てた。
全員の視線がドアに向いた。
女性が立っていた。
年齢は二十代後半。黒いパンツスーツ。髪は肩にかかる長さで、きっちりとまとめられている。ヒールの音がコツコツと店内に響いた。右手にタブレット端末、左手に名刺入れ。背筋が伸びている。官僚特有の——隙のない姿勢だ。
「柊一颯さんですね」
声は穏やかだった。だが——目が違った。知性と好奇心が混在した目。データを見る時の凛に似ている。だがもっと——政治的な何かが混ざっている。
「管理局調査課主任の朝霧千歳と申します。お時間をいただけますか」
名刺を差し出された。白い厚手の紙に、管理局の紋章と名前が印刷されている。金色のエンボス加工。肩書きは「探索者管理局 調査課 主任研究員」。主任——ではなく、主任研究員。調査課に研究員がいるのか。
久我山が——目を細めた。カウンターの向こうから、鋭い視線を朝霧に向けている。元探索者として管理局と何度も渡り合ってきた男の——警戒の目だ。
「管理局の人間がこの店に来るのは珍しいな。アポなしで」
「申し訳ありません。正規のルートで接触すると——上に報告が上がります。それを避けたかったので」
「上——影山局長のことか」
俺の言葉に、朝霧が微かに眉を上げた。だがすぐに表情を戻した。
「単刀直入に申し上げます。柊さん。私はあなたの全配信を視聴しています。初回の10.5層の発見から、昨日の20層ボス撃破まで。全てです」
「全部——」
「はい。業務としてではなく——個人的な関心として。あなたの鑑定スキルが生成するデータは、学術的に極めて高い価値があります。ダンジョンの構造、生態系、エネルギー循環——これまでの探索では得られなかった情報が、あなたの配信で次々と明らかになっている」
朝霧がタブレット端末を操作した。画面を俺たちに向けた。グラフと表が表示されている。俺の鑑定データを——分析した資料だった。各層の魔素濃度変化、装甲素材の組成分析、設計図断片の相関図。明らかに——個人の趣味の範囲を超えた、本格的な研究だった。
「私は管理局の調査課で、ダンジョンの構造解析を担当しています。公式の探索データでは——限界がありました。探索者の報告は主観的で、定量データが不足している。ですがあなたの鑑定は——ダンジョン自体のデータベースに直接アクセスしている。これは——革命的です」
凛がノートパソコンの手を止めた。銀縁の眼鏡の奥の目が——朝霧を観察していた。同じデータ分析者としての評価眼だ。
「それで——何をお望みですか」
凛の声は平坦だった。感情を排した、事実確認の声。
「提案があります」
朝霧が名刺入れをテーブルに置いた。ヒールの音がコツンと鳴った。椅子を引いて——座った。久我山が黙ってコーヒーカップを差し出した。朝霧は一口飲んで——苦い顔をした。久我山のコーヒーは、初見の人間には刺激が強い。
「柊さん。あなたが今後の探索で得る未公開層のデータを——管理局に提供していただきたい。見返りとして、管理局から三つのものを提供します」
朝霧が指を三本立てた。
「一つ目。装備支援。管理局の備品庫から、深層探索に必要な装備を優先的に貸し出します。防護服、通信機器、医療キット。二つ目。情報提供。管理局が保有する過去の深層探索データへのアクセス権。三つ目——」
朝霧の目が——変わった。穏やかな研究者の目から、覚悟を決めた人間の目に。
「影山局長からの保護」
店内が——静まった。久我山のコーヒーカップが止まった。三島が俺を見た。凛の指がキーボードの上で止まっていた。
「保護——というのは」
「影山局長はあなたの活動を脅威と見なしています。15層の配信で局長の名前が公開されたことで——局内でも動きが出ています。具体的にどのような動きかは、今は申し上げられません。ですが——あなたに不利益をもたらす可能性がある動きです」
「不利益」
「探索者ライセンスの停止。配信プラットフォームへの圧力。最悪の場合——ダンジョンへの立入制限措置」
俺は——営業マン時代の嗅覚を働かせた。朝霧千歳の提案を分解する。彼女が提供するものは三つ。装備、情報、保護。彼女が求めるものは——データ。数字だけ見れば悪くない取引だ。だが——。
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「あんたは管理局の人間だ。影山の部下だ。その影山から俺を守る——と言っている。つまりあんたは、自分の組織の長に逆らうということだ。なぜだ」
朝霧が——コーヒーカップを置いた。カップがソーサーに当たる、小さな音。テーブルの上のタブレット端末の画面が消灯し、朝霧の顔だけが残った。
「影山局長は——ダンジョンに関する重要な情報を隠蔽しています。十年前の深層調査の結果。探索者の行方不明事案の真相。装備の横流し。私はそれらを——内部から変えたい。ですが証拠がない。局長の権限で情報が封印されているからです」
久我山が——腕を組んだ。古い酒瓶の向こうで、久我山の目が朝霧を射抜いていた。
「あんた——鋼一郎のことを知ってるのか」
「三島鋼一郎。元Aランク探索者。十年前に深層調査中に行方不明。公式記録では事故死扱い。ですが——遺体は回収されていません。私が調査課に入ったのは八年前ですが、この件の記録だけが——異常なレベルで封印されています。通常の機密指定ではない。局長決裁の特別封印です」
三島の目が——光った。だが何も言わなかった。唇を噛んで、拳を握っていた。三島はまだ知らない。父親が生きている可能性を。だが——管理局が父の情報を特別封印している事実は、三島にとっても初耳だろう。
「朝霧さん」
俺は——真正面から彼女の目を見た。
「装備の横流しの件。俺の鑑定で管理局の認可コードと影山の名前が出た。あれは事実だ。鑑定は嘘をつかない。あんたはあの配信を見ていたな。なぜ管理局の内部調査が動かない」
「動かせないんです。影山局長の権限は——調査課の上にあります。内部告発をしても、もみ消される。外部に出すにも——物的証拠がない。配信で読み上げられた鑑定データは、法的には『スキル使用者の主観的情報』として扱われます。裁判所も国会も——鑑定スキルのデータを客観的証拠として認めていない」
「つまり——俺のデータだけでは影山を追い詰められない」
「現時点では。ですが——あなたの鑑定精度は上昇し続けています。ダンジョン自体のデータベースから引き出されたデータが蓄積されれば——それは『スキルの主観』ではなく、ダンジョンという構造物が保持する客観的情報として再評価される可能性があります」
凛が——口を開いた。
「その論理は成立し得ますね。ダンジョンのデータベースが物理的に存在し、鑑定スキルがそのデータベースへのクエリ言語であることが証明できれば——鑑定結果は主観ではなくデータベースの出力として法的地位を得る」
朝霧が凛を見た。目が——輝いた。研究者モードだ。
「そうです。まさにそれが——私がこのデータを必要とする理由です。あなたの鑑定データの蓄積は、ダンジョンのデータベースの存在を証明する唯一の手段なんです」
凛と朝霧の間に——無言の共鳴があった。データ分析者同士の、理論による握手。
「俺は——」
全員が俺を見た。久我山が腕を組んだまま。三島が拳を握ったまま。凛が眼鏡の奥から。朝霧がタブレットを持ったまま。
「即答はできない。仲間と相談する時間をもらいたい」
「もちろんです。私の連絡先は名刺に書いてあります。ただし——管理局の回線は使わないでください。個人の携帯番号に直接お電話ください」
朝霧が立ち上がった。ヒールの音が店内に響いた。ドアに向かい——振り返った。
「柊さん。最後に一つだけ」
「何だ」
「影山局長が最も恐れているのは——あなたの鑑定の正確さではありません」
朝霧の目が——真剣だった。穏やかさも、研究者の好奇心も消えた。純粋な警告の目だ。
「影山が恐れているのは——ダンジョンがあなたを選んだという事実です。鑑定スキルの精度が使用者の行動によって向上するということは、ダンジョンがあなたという人間を評価し、より深いアクセスを許可しているということです。ダンジョンには意思がある——影山はそれを知っている。そしてその意思が、あなたを通じて外に出ることを——何よりも恐れている」
ドアベルが鳴った。カラン、と。朝霧千歳が去った後、真鍮のベルが余韻を残してゆっくりと揺れていた。窓の外に——黒い公用車が停まっていた。車が発進し、通りの向こうに消えていく。ナンバーは——管理局の公用車番号帯ではなかった。個人のレンタカーだ。朝霧は——局の車を使わずに来ていた。
久我山が苦いコーヒーを一口飲んだ。
「面白い女だ。だが——信用するかどうかは別問題だ」
「分かってる」
テーブルの上に残された白い名刺が——窓から差し込む午後の光を受けて、小さく光っていた。




