隠し部屋の宝——そして最初のバズ
『警告:罠検知
種類:床圧力板式・毒針射出罠
射出角度:37度(左壁面の射出口から右壁面方向)
毒種:麻痺毒(持続時間約15分、致死性なし)
起動範囲:通路中央部(幅60cm)
回避方法:左壁際を歩行(壁から30cm以内は射出口の死角)』
「止まってください——いや、俺しかいないんだけど」
一人で自分にツッコんでしまった。配信の画面越しに視聴者の笑いが聞こえるわけじゃないが、コメント欄に『草』が並んだのは確認できた。
「えっと、罠ですね。毒針が飛んでくるタイプ。でも鑑定で回避方法まで出てます。左壁際を歩けば射出口の死角になるそうです」
左の壁に手をつき、肩を壁面にこするようにして進む。壁の石は冷たく湿っていて、指先に苔の感触がぬるりと残った。
通路の中央を踏まないように慎重に足を運ぶ。三歩、四歩——圧力板の範囲を通過した。
振り返ると、壁面の小さな穴が、暗闇の中でぽっかりと口を開けている。あそこから毒針が飛ぶはずだった。
『鑑定で罠の回避方法まで出るのかよ……』
『チートじゃん』
『シロ:射出角度と回避方法まで表示されるの、やっぱり通常の鑑定とは別物ですね。通常の鑑定では罠の存在すら検知できないはずです』
シロの指摘に、背筋が微かに緊張した。通常の鑑定では罠の検知すらできない。つまり俺の鑑定は——やはり何かが違う。
二つ目の罠はワイヤー式の落石罠だった。
鑑定ウィンドウが丁寧に教えてくれる。天井の石ブロック三個が連動して落下する仕組みで、起動ワイヤーは通路の右壁から左壁に張られている。高さ四十センチ。膝より少し下。
「ワイヤーの高さは四十センチ。跨ぎます」
大きくまたいでワイヤーを越える。振り返ると、天井にうっすらと亀裂が走っているのが見えた。あそこが落ちるはずだった場所。知らなければ——踏んでいた。
三つ目は床の一部が陥没する落とし穴だ。深さは二メートルほどで致命的ではないが、落ちたら自力で登れない。鑑定結果に表示された安全な足場の位置——通路の右端三十センチの幅だけが構造的に支えられている——を一歩一歩確認しながら通過した。足元の石の感触が微妙に違うのがわかる。安全な部分は硬く、罠の部分はほんの少しだけ柔らかい。久我山が選んでくれたブーツの薄いソールが、その差を足裏に伝えてくれた。
「三つ目クリア。罠は全部で三つって鑑定に出てたので、これで全部のはずです」
『解説付きダンジョン攻略とか新しすぎる』
『もはや攻略ガイドの生配信じゃん』
視聴者数が百人を超えていた。隠し通路の発見から、罠回避の実演。確かにエンタメとしても成立している。戦闘は一切ない。ただ鑑定して、読み上げて、情報に従って行動しているだけ。それなのに——見ている人がいる。
通路の突き当たりに、小さな部屋があった。
隠し部屋。
石壁で囲まれた三畳ほどの空間に、台座がひとつ。その上に、拳大の鉱石が置かれていた。
暗闇の中で、その鉱石だけが自ら光を放っている。青白い光。脈動するように、微かに明滅を繰り返している。まるで心臓のように。
息を呑んで、鑑定をかけた。
『星霜鉱の原石
等級:A
分類:稀少鉱石(魔導素材・最上級)
市場推定価格:280万〜340万円(品質により変動)
産地:通常はサードダンジョン20層以深のみ産出
純度:97.8%(天然採取としては最高クラス)
用途:高等級魔導装備の核材料、魔導通信媒体、研究素材
共鳴特性:ダンジョンコアとの親和性——高
備考:1層での産出は記録なし。隠し部屋報酬として設置されたものと推定』
「に、二百八十万……」
声が裏返った。
「えー、皆さん。この鉱石、星霜鉱の原石というそうです。等級A。市場価格が二百八十万から三百四十万円」
コメント欄が爆発した。
『は?????』
『にひゃくはちじゅうまん!?』
『1層でAランク素材!?』
『嘘だろこれ』
『シロ:1層での星霜鉱産出は前例がないです。論文にもありません。歴史的発見ですよ、これ』
二百八十万円。リストラされて、貯金が百三十万ちょっとしかない男の目の前に、二百八十万円の鉱石がある。
手が震えた。今度は恐怖じゃない。
(これで——食える)
鉱石を台座から持ち上げた。ずしりと重い。掌に伝わる、ひんやりとした石の感触。だが脈動するような光だけは、まるで生きているかのように温かい。
鑑定結果の末尾にある一文が気になった。「共鳴特性:ダンジョンコアとの親和性——高」。ダンジョンコア。聞いたことはある。ダンジョンの最深部に存在するとされる核。だが誰も到達したことがない。その核と「親和性が高い」とは、どういう意味だ。
深く考えている余裕はなかった。鑑定の表示で、隠し部屋の奥の壁に一瞬だけ別のデータが重なった気がした。3層以降の未発見エリアの存在を示唆するような——だが、目をこらした時にはもう消えていた。
視聴者数、二百人突破。
一颯は原石をバックパックに慎重にしまった。バックパックの中で、原石がほのかに光っている。青白い光が布地を透かして漏れ出していた。
来た道を戻る。帰りの罠は構造を把握しているから、行きよりもスムーズだ。落とし穴の安全な足場、ワイヤーの位置、毒針の死角。全て頭に入っている。
「こういうのは鑑定持ちの特権ですね。一度見た情報は忘れない——忘れないというか、鑑定ウィンドウに記録されてるんで、いつでも見返せるんです」
『それもうチートだろ』
『鑑定がハズレスキルとは』
『ハズレどころかSSRでは?』
ハズレスキル。その言葉がコメントに出るたびに、胸の奥がちくりと痛む。五年間ずっとそう思っていた。だが今日一日で、その認識が揺らぎ始めている。
隠し通路を抜けて1層の通常通路に戻った時、他の探索者パーティとすれ違った。三人組の若い男女で、軽装だが揃いのギルド章を胸につけている。彼らは一颯の方をちらりと見たが、Dランクの装備に興味を失ったのか、すぐに視線を前に戻した。
その時、一颯の目が自然と彼らの装備を鑑定していた。もう止められなかった。剣の等級、防具の素材構成、ポーションの品質。全てが半透明の文字となって視界に重なる。
(やめよう。他人の装備を勝手に鑑定するのは、まずい)
鑑定ウィンドウを意識的に閉じた。だが一瞬だけ見えた情報が、頭に残っている。彼らの装備はB等級が中心。悪くない。だが隠し通路の罠を突破する方法は——鑑定なしには見つけられない。
◇
地上に出た時、空はもう夕暮れだった。
ゲートを出た瞬間、五月の生温い空気が全身を包んだ。ダンジョンの中では気づかなかったが、体は冷え切っていた。渋谷の雑踏が耳に流れ込んでくる。車のクラクション、若者の笑い声、電車の発車メロディ。全てが生々しくて、全てが眩しかった。
ゲート前広場のベンチに座り、配信を締めた。
「えっと、今日の配信は以上です。隠し部屋と星霜鉱、すごかったですね……正直、自分が一番驚いてます。見てくださった皆さん、ありがとうございました。次の配信は——未定です。ではまた」
視聴者数の最終値は二百十三人だった。
配信終了ボタンを押して、深く息を吐いた。手の甲で額の汗を拭う。膝が微かに震えている。緊張が解けた証拠だ。帰宅。
星霜鉱の原石を探索者組合の鑑定所に持ち込むのは明日にする。今日は——疲れた。精神的にも、肉体的にも。だが、いい疲れだ。
星霜鉱の原石を机の上に置いた。暗い部屋の中で、脈動する青白い光だけが柔らかく壁を照らしている。きれいだ、と素直に思った。この光の正体がなんであれ。
シャワーを浴びてベッドに入ると、通知が止まらなかった。
枕元に置いたスマホが、蜂の巣をつついたように震え続けている。バイブレーションの振動が枕を通じて頬に伝わり、うるさいのを通り越して滑稽だった。
通知を確認する。
配信のアーカイブ再生数——三万回。
フォロワー数——五千人。
切り抜き動画がSNSに投稿されていた。タイトルは『【神配信】鑑定だけで隠し部屋発見した男www』。再生回数が十万を超えている。コメント欄には「やらせでは?」「いや鑑定UIの挙動が本物っぽい」「そもそも1層の隠し部屋って前例あるの?」と賛否両論の嵐。
布団の中で、天井を見上げた。二日前、同じ天井を見上げて「詰んだ」と思った。あの時と同じ天井が、今はなぜか少しだけ——高く見えた。
(これで食っていけるかもしれない)
初めて、本気でそう思った。
スマホの震えが収まらないまま、うとうとし始めた頃——ひとつの通知が目に入った。
SNSの切り抜き動画に対する、企業アカウントのリプライ。
大手探索者ギルド「クロノス」の公式アカウント。
『未検証の情報を流布する行為は、探索者コミュニティの秩序を乱し、安全基準の形骸化に繋がりかねません。ダンジョン内部情報の取り扱いについて、改めて慎重な判断を求めます。——クロノス広報部』
眠気が、一瞬で飛んだ。
何だ、これは。
ただの配信だ。ダンジョンに入って、鑑定して、その結果を見せた。それだけのことに、大手ギルドの公式アカウントが反応している。
画面を見つめる指先が、冷たくなっていた。枕元のスマホの光だけが、暗い部屋を青白く照らしている。
(俺は——何に、触れてしまったんだろう)
クロノスのアカウントのアイコンが、暗闇の中で静かにこちらを見ていた。
机の上で、星霜鉱の原石がぼんやりと光っている。その青白い脈動が、妙に心臓の鼓動と同期しているような気がして——一颯はスマホを裏返し、目を閉じた。
眠れない夜が始まった。




