波紋——それぞれの思惑
スマートフォンの通知が鳴り止まない。ロック画面に表示された数字の羅列を見て、一瞬、まだ夢の中にいるのかと思った。配信アーカイブの再生数——430万回。トレンドワード一位は「鑑定配信者」。二位が「管理局装備横流し」。三位が「信頼度回復」。
ベッドの上で、しばらく天井を見つめていた。
営業マン時代、最も大きな成果を上げた月でも——こんなことにはならなかった。全国ニュースのトレンドに自分の名前が載るなんて。あの頃の俺は——名刺を百枚配って、三件のアポを取って、そのうち一件が成約すれば上出来だった。今は——カメラの前で真実を話しただけで、430万人が見ている。
起き上がって、コーヒーを淹れた。インスタントだ。凛のハンドドリップとは比較にならない味。だが——今の俺には、この苦さがちょうどいい。
◇
テレビをつけた。
朝のニュース番組が——俺の配信を取り上げていた。
画面の中で、スーツを着たキャスターが資料を手に持っている。「ダンジョン探索配信者が告発した管理局装備の流出疑惑について、波紋が広がっています」。俺の配信映像が引用されている。装備の鑑定データを読み上げている場面だ。画面の端に「鑑定配信者・柊一颯」とテロップが出ている。
チャンネルを変えた。別の局も同じニュースを流していた。コメンテーターが「管理局の管理体制に問題があるのでは」と発言している。別のコメンテーターは「配信者の主張の信憑性を慎重に検証すべき」と述べている。
もう一つチャンネルを変えた。ワイドショーだ。「ハズレスキル配信者が暴いた闇」という見出しが画面に大きく表示されている。ハズレスキルという言葉が——全国放送で使われている。少しだけ、胸の奥が痛んだ。
テレビを消した。
スマートフォンに凛からメッセージが入っていた。
「桐生さんが記事を出しました。リンク送ります」
桐生恭子。フリーライター。以前から俺の配信を追いかけていた記者だ。リンクを開いた。
記事のタイトルは『鑑定が暴いた管理局の闇——装備横流し疑惑の全貌』。冒頭から——詳細だった。管理局の資産管理規格の解説、第七探索部隊の設立と解散の経緯、クロノスギルドとの関係性の時系列整理。そして——俺の配信データの技術的検証。凛がシロとして公開した照合データを、桐生は独自に検証していた。結論は——「配信者の鑑定データと管理局の公開規格は矛盾なく一致しており、捏造の可能性は極めて低い」。
記事は長かった。八千字を超えている。桐生の文章は——冷静で、事実に基づいていて、感情を排している。だが最後の一段落だけが違っていた。
「柊一颯は、自らの過ちも隠さなかった。一度は嘘をついたこと、圧力に屈したことを、配信の中で正直に告白した。その誠実さが——22万人の視聴者を動かした」
桐生さん。あんたは——俺より言葉が上手い。
凛から追加のメッセージが来た。
「他のメディアも追随しています。現時点で確認できた記事は七本。うち五本が桐生さんの記事を引用しています。ギルド協会が『事実確認中』とコメントを出しました」
ギルド協会。探索者ギルドの統括組織だ。ここが動いたということは——もう、個人の配信者の問題ではなくなっている。
◇
ネットの反応は——二つに割れていた。
凛が朝の段階で集計してくれたデータによると、SNS上の反応は肯定が約62%、否定が約28%、中立が約10%。肯定派は「鑑定データは客観的証拠であり、管理局は説明責任がある」という論調。否定派は「一人の配信者の鑑定を鵜呑みにするのは危険」「売名行為では」という意見が多い。
コメント欄にも批判は来ていた。
「結局バズりたいだけだろ」
「管理局が正式に調査するって言ってんだから、黙って待てよ」
「こいつの鑑定が正しいって証拠は? スキルの表示なんていくらでも捏造できる」
読んでいて——胃が重くなった。分かっていたことだ。凛が警告していた通り、趣味の配信ではなくなった。公人に近い立場に——望む望まないに関わらず、押し上げられている。
三島からメッセージが来た。文面はいつも通りだ。
「先輩!!!! テレビ見ました!!! 先輩すごいっす!!!!! 批判してるやつら全員俺が黙らせますんで!!!」
感嘆符の数が多い。いつもの三島だ。少しだけ——気持ちが軽くなった。
◇
同じ頃——港区のビルの最上階で、別の会話が行われていた。
俺がそれを知ったのは、ずっと後になってからだ。だが——ここに記しておく。後から分かったことを、時系列に沿って書き残す。それが俺の配信スタイルだ。見えたものを——全て伝える。
クロノスギルドの本部。ガラス張りのオフィスの奥にある、ギルドマスターの執務室。壁面には各層の探索マップが掛けられ、革張りのソファが来客用に配置されている。デスクは黒檀の無垢材。その上に——タブレット端末が置かれている。画面には俺の配信のアーカイブが表示されていた。
鷹取誠一郎が——デスクの向こうに座っていた。
45歳。銀混じりの髪をオールバックに撫でつけ、仕立ての良いスーツを着ている。ダンジョン探索者のギルドマスターとは思えない、政治家のような風貌。だが——その目は政治家のそれより冷たい。数値で判断する目だ。感情ではなく、利害で世界を見る目。
記者会見は午前十時に設定されていた。鷹取は——その二時間前に、一本の電話をかけていた。
相手は——影山。管理局の人間だ。名前しか分からない。肩書きも、部署も、顔も——俺はまだ知らない。だが鷹取は、この男に電話をかけた。
「影山さん。見ましたか」
鷹取の声は——落ち着いていた。430万回再生された告発動画を見た直後の人間の声ではない。
「見た。随分と派手にやってくれたな」
影山の声は低く、平坦だった。感情が読み取れない声。電話越しでも——冷ややかさが伝わってくる。
「記者会見では否定します。『根拠のない中傷』という立場で」
「そうしろ。だが——急ぐな」
「急ぐなとは?」
「あの配信者——柊一颯。潰すのは簡単だ。管理局の権限を使えば、探索者ライセンスの停止も、配信アカウントの凍結もできる。だが——今はやるな」
鷹取の眉が動いた。デスクの上のタブレットに映った俺の顔を見ながら——計算している。
「理由を聞いても?」
「泳がせた方がいい」
影山の声が——少しだけ、温度を持った。興味の温度だ。
「あの男の鑑定スキルは——想定以上だ。13層での壁面紋様の解読、信頼度パラメータの出現。管理局の研究部門でも把握していなかった情報が、ライブ配信で公開された。あの男は——使える」
「使える? どういう意味ですか」
「プロジェクト・アポストルに——必要な駒だ」
鷹取は——黙った。プロジェクト・アポストルという名前を、鷹取は知っているらしい。だが詳細は——知らないようだった。
「……分かりました。記者会見では否定しますが、積極的な妨害は控えます。ただし——あの男がこれ以上クロノスの名前を出すなら、対応は必要です」
「好きにしろ。ただし——殺すな。使い物にならなくなる」
電話が切れた。
鷹取がデスクの上のタブレットをスリープにした。画面が暗くなった。
記者会見は——予定通り午前十時に行われた。
俺はテレビで見ていた。鷹取誠一郎がマイクの前に立ち、穏やかな笑顔で語っている。
「まず申し上げたいのは、当ギルドは管理局の規定に従い、適正な装備管理を行っているということです。特定の配信者による根拠のない主張に対しては、当ギルドとして毅然と対応いたします」
穏やかな声。落ち着いた態度。記者からの質問にも——一つ一つ丁寧に答えている。「鑑定データの信憑性については、管理局の調査結果を待つべきだと考えます」「配信者個人への法的措置は現時点では検討しておりませんが、名誉毀損に該当する行為があれば、適切に対応します」
完璧な記者会見だった。攻撃的でもなく、防御的でもない。中立を装いながら——俺を「根拠のない主張をする配信者」として印象付けている。営業マン時代に何度も見たパターンだ。クレーム対応の基本。相手を否定せず、自社の正当性を主張する。鷹取は——この手の対応が上手い。
だが俺は知っている。あの装備のシリアルナンバーは本物だ。鑑定は嘘をつかない。
◇
鷹取の記者会見が終わった後——もう一つの出来事が起きていた。これも後から知ったことだ。
クロノスギルド本部の訓練室。コンクリートの壁と高い天井。照明は蛍光灯ではなく、ダンジョン模擬環境を再現するための暗い間接照明が使われている。その部屋の中央に——一人の男が立っていた。
神代蒼真。28歳。Aランク探索者。クロノスギルドのエース。二本の刀を背中に背負った長身の男。黒い髪を無造作に伸ばし、切れ長の目で——手元のタブレットを見つめていた。
画面には——俺の配信アーカイブが再生されていた。13層の戦闘映像だ。
神代は——普段、配信というものを見ない。探索者にとって、ダンジョン配信は娯楽に過ぎない。Aランクの探索者が、Dランクの配信者の動画を見る理由はない——はずだった。
だが鷹取との会話で俺の名前が出て以来、神代は——興味を持ったらしい。
タブレットの画面では、三島がストーンゴーレムを倒す場面が再生されている。俺が弱点と攻撃パターンの秒数を叫び、三島が即座に反応する。一体あたり十秒足らずの戦闘。
神代の目が——細くなった。
「……情報量が違う」
呟いた声は——低く、静かだった。
神代蒼真はAランクだ。ダンジョンの深層を単独で攻略できる実力がある。彼にとって、13層のストーンゴーレムなど——目を閉じていても倒せる相手だ。だが——神代が注目しているのは戦闘力ではない。
鑑定の情報量だ。
攻撃パターンの秒数。弱点の正確な位置。核石の直径。モース硬度。そして——壁面紋様の解読。38%の部分一致率。設計図断片との類似性検出。
神代は——二度、壁面紋様の場面を巻き戻して再生した。
「この紋様……俺が20層で見たものと……似ている」
その言葉を——誰も聞いていなかった。訓練室には神代一人しかいない。二本の刀がテーブルの上に置かれている。鍔元に刻まれた紋様が——タブレットの画面に映る壁面紋様と、微かに共鳴するように光った。一瞬の出来事だった。神代は——それに気づいたのか、気づかなかったのか。表情は変わらなかった。
配信アーカイブの再生が終わった。神代がタブレットをテーブルに置いた。刀の隣に。
立ち上がった。長身の体が、暗い訓練室の中で影を作った。
ドアを開けて、廊下に出た。エレベーターに乗り、最上階のギルドマスター室に向かった。
鷹取が——デスクの向こうに座っていた。記者会見を終えたばかりだ。ネクタイを少し緩めている。鷹取の目が——神代を見た。
「蒼真。珍しいな、お前からここに来るのは」
「ギルドマスター。一つ——お願いがあります」
神代の声は——普段と変わらなかった。低く、静かで、感情を表に出さない声。だがその目は——鷹取を真っ直ぐに見ていた。
「あの配信者に——ダンジョンの中で会いたい」
鷹取の眉が上がった。タブレットの画面が——暗いまま、デスクの上で沈黙している。
「会ってどうする」
「確かめたいことがある。あの男の鑑定が——本物かどうか」
鷹取は——数秒間、神代の顔を見つめた。そして——薄く笑った。政治家のような笑みだ。計算の結果、許可することにした——そういう笑み。
「好きにしろ。ただし——表沙汰にするな」
神代は頷いた。踵を返して、部屋を出ていった。足音は——静かだった。Aランク探索者の足音。気配を消す技術が体に染みついている。
ドアが閉まった後——鷹取がデスクの引き出しからスマートフォンを取り出した。影山にメッセージを送った。
「蒼真が動きます。柊一颯に接触する可能性あり」
返信は——三十秒で来た。
「問題ない。むしろ好都合だ」
港区のビルの最上階で——歯車が、音もなく回り始めていた。
俺はまだ——自室でインスタントコーヒーを飲みながら、テレビのニュースを見ていた。鷹取の記者会見の映像を。画面の向こうの男が——裏で何を動かしているのか、まだ知らなかった。
だが——鑑定は全てを見る。
いつか必ず——見えるはずだ。その時が来たら——俺は、また全てを伝える。
スマートフォンが震えた。凛からのメッセージだ。
「管理局調査課の朝霧千歳という人物から、取材協力の依頼が来ています。どうしますか」
朝霧千歳。管理局調査課主任。あの配信のコメント——「本件について、管理局として調査を開始します」を投稿したのは、この人物の指示だろうか。
味方か、敵か。まだ分からない。
だが——会ってみる価値はある。
鑑定は——人を見る時が、最も多くの情報を返してくれる。
「会います」
凛に返信を打った。コーヒーを飲み干した。苦い。だが——悪くない苦さだった。




