暴露——見えたものは全て伝える
エレベーターを降りた時点で、廊下に凛の部屋のコーヒーの匂いが漏れていた。長時間の作業をしている時の匂いだ。ドアを開けると、リビング全体がモニターの青白い光に照らされていた。メインモニターに配信アーカイブのタイムライン。サブモニターにスプレッドシート。凛の作業環境は——いつ見ても、戦場の司令室みたいだ。
テーブルの上に、凛が印刷した資料が並んでいる。A4用紙にして十二枚。12層で俺が読み上げた装備の鑑定データ——シリアルナンバー、管理局の刻印、製造年月日、払い出し記録。全てを凛がスクリーンショットと配信アーカイブから抽出し、時系列順に整理したものだ。紙の端が几帳面に揃えられている。凛らしい。
銀縁の眼鏡がモニターの光を反射している。凛は——仕事モードの顔だ。ITエンジニアとしてシステムの不具合を洗い出す時の、あの冷徹な目をしている。目の下に薄いクマがある。三日間、ほとんど寝ていないのかもしれない。
「まず事実の整理をします」
凛がテーブルの資料を指で示した。
「12層で鑑定した装備三点。全てに管理局の資産管理番号が刻印されています。番号体系は管理局が公開している資産管理規格と一致。偽造の可能性は——低い」
「低いって、どのくらいっすか」
三島がテーブルの向かいから身を乗り出した。
「番号体系にはチェックサムが含まれています。ランダムに生成しても検証を通過する確率は0.02%以下。三点全てが偶然一致する確率は——事実上ゼロです」
凛が資料の二枚目を示した。
「さらに、鑑定データには払い出し記録が含まれていました。『管理局調査課より第七探索部隊へ貸与』という記録です。第七探索部隊は二年前に解散しています。解散時に装備は管理局に返納されたはずですが——現在、クロノスギルドの探索者が使用していた」
沈黙が落ちた。テーブルの上の資料が、蛍光灯の白い光に照らされている。三島のマグカップから湯気が立っていた。凛が淹れたコーヒーは——インスタントではなく、ハンドドリップだった。苦い。俺の淹れるインスタントとは別の飲み物だ。
「横流し——ってことっすよね」
「状況証拠としては、そう判断するのが妥当です」
凛が眼鏡を押し上げた。レンズ越しの目が——俺を見た。
「柊さん」
「ああ」
「あなたはこれを——公開するつもりですか」
質問ではなかった。確認だ。凛は——俺が何を考えているか、既に分かっている。
「公開する」
「そうでしょうね」
凛が椅子の背もたれに体を預けた。天井を見上げて、小さく息を吐いた。
「一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「あなたは——また嘘をつけますか」
胸を貫かれた。
12層で一度目にクロノスの装備を見た時——俺は嘘をついた。「特に気になる点はないですね」と。あの嘘を——凛は知っている。配信を見ていたから。そしてその後、二度目の遭遇で真実を読み上げたことも。
「つけない」
「それなら、覚悟を決めてください。公開した瞬間から——あなたの配信者としての立場は、今とは全く変わります。趣味の配信ではなくなる。クロノスと管理局を同時に敵に回す可能性がある」
凛の声は冷静だった。だがその冷静さの裏に——心配が透けていた。データアナリストとして事実を述べているのではなく、仲間として警告している。
「先輩」
三島が立ち上がった。テーブルが揺れて、コーヒーのカップが音を立てた。
「俺は——先輩の盾になるって言いました。あの時の言葉、撤回しません。先輩が公開するなら、俺は先輩の隣に立ちます。何があっても」
三島の目がまっすぐだった。ノートを持って俺の家に来た日と同じ目。覚悟を決めた人間の目だ。22歳の若さで——この男は、自分の立ち位置を選べる人間だ。営業マン時代の俺にはできなかったことだ。八年間、立ち位置は常に会社が決めた。クライアントの前では笑顔、上司の前では頷き、同僚の前では当たり障りのない言葉。自分の意思で——どこに立つかを選んだことが、あっただろうか。
「……ありがとう。二人とも」
声が少しだけ震えた。自分でも分かった。だが——隠さなかった。隠す必要がない相手だから。
◇
緊急配信を開始したのは、翌日の午後八時だった。
ゴールデンタイム。視聴者が最も多い時間帯。凛が分析したデータに基づいて、最適な配信開始時刻を選んだ。
自室の配信ブース。カメラの赤いランプが点灯した。その光が——今日は、いつもより重く感じた。マイクに向かって息を吸った。深く。
「——こんばんは。鑑定配信者の柊一颯です。今日は——ダンジョンには潜りません」
開幕で、コメント欄がざわついた。
『え? ダンジョン配信じゃないの?』
『緊急配信って何……?』
『なんか雰囲気違くない? 先輩の声、硬い』
【マコト】『静かに聞け。これは重要な話だ』
マコトが——察してくれた。元プロゲーマー特有の嗅覚だろう。空気が変わったことに、真っ先に気づく。
「今日は、みなさんに見てもらいたいものがあります。以前の配信で——12層の密林フロアでクロノスギルドの探索チームと遭遇したのを覚えていますか」
コメントが流れた。覚えている人が多い。あの回は——過去最高の視聴者数を記録していた。
「あの時、俺は装備に鑑定をかけて、結果を読み上げました。クロノスの探索者が使っていた装備に——管理局の資産管理番号が刻印されていた、と」
資料を一枚ずつカメラに見せた。凛が作成した資料。シリアルナンバー、管理局の規格との照合結果、払い出し記録の抽出データ。一枚ごとに——丁寧に説明した。営業マン時代のプレゼンスキルが、こんなところで活きる。資料の見せ方、話すスピード、間の取り方。全てが——八年間の営業経験から来ている。
「資産管理番号には、チェックサムが含まれています。偽造の確率は0.02%以下。三点全てが偶然一致する確率は——事実上ゼロです」
声が震えそうになった。だが——止めなかった。震えたっていい。嘘よりはましだ。
コメント欄が加速していた。視聴者数のカウンターが——跳ね上がっていく。5万。8万。10万。12万。15万。
「払い出し記録には、『管理局調査課より第七探索部隊へ貸与』とあります。第七探索部隊は二年前に解散しており、装備は管理局に返納されたはずです。それが——現在、クロノスギルドの探索者が12層で使用していた」
資料を全てカメラの前に並べた。十二枚の紙が、デスクの上に扇形に広がっている。
「俺はこの事実を——一度、隠しました」
コメント欄が静まった。
「12層でクロノスの装備を初めて鑑定した時——俺は怖くなって、『特に気になる点はないですね』と嘘をつきました。圧力が怖かったからです。スポンサーを失い、アカウント制限を受け——これ以上面倒なことに巻き込まれたくなかった」
自分の声が——カメラのスピーカーから反響して聞こえた。小さな部屋に、俺の声だけがある。
「だけど——嘘はつけなかった。二度目の遭遇で、俺は全てを読み上げました。あの時、隣にいたのは——今のパートナーの三島大輝です。あいつが——俺を変えてくれた」
『先輩……』
『正直すぎるだろ……嘘ついたことまで言う必要あったか……?』
【ドクター】『いえ、これは正しい判断です。先に自分の過ちを開示することで、残りの情報の信頼性が上がる。誠実さの証明です』
【シロ】『データの精度について補足します。管理局の資産管理規格は公文書として公開されており、照合可能です。配信アーカイブの該当部分もタイムスタンプ付きで保存しています』
凛が——シロとして、リアルタイムで補強してくれている。データの裏付けを、視聴者の目の前で示す。
視聴者数が——18万を超えた。カウンターがまだ上がっている。
「俺は——ここで宣言します」
カメラをまっすぐ見た。レンズの向こうに——何十万人もの目がある。名前も顔も知らない人たち。だけどこの人たちは——俺の配信を見てくれている。俺の鑑定を、信じてくれている。かつて名刺を交換したクライアントの何百倍もの人たちが——画面の向こうで、俺の言葉を待っている。
「今後、俺の鑑定が見たものは——全て伝えます。都合が悪いことも。怖いことも。権力者に睨まれることも。隠しません。それが——俺の配信の意味です。鑑定で見えたものを、そのまま伝える。それだけが、俺にできることです」
言い切った。
声は——もう震えていなかった。
『泣いてる……俺が泣いてる……』
『先輩かっけぇ……』
『これがハズレスキルの男の覚悟か……』
【マコト】『……見直した。プロとして、この男を認める。鑑定配信者・柊一颯。本物だ』
その時——鑑定ウィンドウが明滅した。
発動していない。俺は鑑定を使っていない。だが——ウィンドウが、勝手に開いた。13層の時と同じだ。自動発動。
『信頼度回復:+2』
短い表示。一瞬で消えた。だが——俺は見た。カメラにも映ったはずだ。
信頼度。何の信頼度だ。誰に対する。ダンジョンか。それとも——鑑定スキルそのものか。13層の壁面が示した「読み手」という呼称。ダンジョンは鑑定スキルを持つ者を認識している。そして今——信頼度が上がった。嘘をつかないと宣言したことで。
視聴者数のカウンターが——20万を突破した。
『今の何!? 信頼度回復って何!?』
『スキルに信頼度パラメータがあるのか……?』
【シロ】『鑑定スキルに内部パラメータが存在する可能性。これは既存のスキル研究では報告されていない未知の仕様です』
【ドクター】『信頼度が鑑定精度に影響するとしたら……嘘をついた時に精度が下がり、真実を語ると精度が上がる仕組みか?』
『スキルが使い手の行動を評価してるってこと???』
コメント欄が荒れ狂っていた。二つの爆弾が同時に落ちたのだ。管理局装備の横流し疑惑と、鑑定スキルの未知の仕様。どちらも——一つだけで大事件だ。
俺は深呼吸した。カメラの赤いランプが、変わらず点灯している。この配信は——もう、元には戻せない。
「みなさん。今のを見ましたか。俺の鑑定に——信頼度というパラメータが存在するらしい。詳細は分かりません。分かったら、また報告します。俺の配信は——全てを伝える配信です」
配信を締めくくろうとした、その時——コメント欄に、一つのアカウントからの投稿が表示された。
『本件について、管理局として調査を開始します』
管理局公式アカウント。青いバッジが付いたアカウント名。コメントはその一行だけだった。
コメント欄が——凍りついた。
三秒。五秒。体感では一分にも感じた沈黙の後——コメント欄が爆発した。
『管理局来た!!!!!!』
『公式アカウント!? マジで動くのか!?』
【マコト】『これはでかい。管理局が公の場で「調査開始」を宣言した。もう揉み消せない』
【シロ】『管理局公式アカウントの認証バッジを確認。偽装ではありません。投稿時刻は配信開始から47分後。リアルタイムで視聴していた可能性があります』
『22万人が目撃者だ。もう誰にも止められない』
視聴者数が——22万を超えていた。俺は深く息を吐いた。カメラの赤いランプが、まだ点灯している。この光は——もう、趣味の配信の光ではなくなった。




