情報戦の幕開け
知らない番号。出た。テレビ局のディレクターを名乗る男が、出演依頼を早口でまくし立てた。丁重に断って切る。三十秒後、また鳴った。今度は別のテレビ局。断る。また鳴る。ネットニュースの取材依頼。断る。鳴る。ギルドのスカウト。断る。
七時までに着信十七件。メール四十二通。SNSのDMは数えるのをやめた。
テレビをつけた。持っていないはずのテレビ——ではなく、スマホでニュースサイトを開いた。画面に自分の顔が映っていた。昨日の配信のスクリーンショット。金色に光る10.5層の壁面を背景に、鑑定眼鏡をかけた俺が呆然と立っている。
見出しが並んでいる。
『ダンジョン配信者、未登録エリアを世界初公開』
『人類とダンジョンの"対話"——生配信中に起きた衝撃の瞬間』
『管理局、緊急記者会見を発表——影山局長「調査中」と回答』
リストラされた元営業マンが、全国ニュースになっている。冷蔵庫の唸り声が響く六畳一間で、俺は自分の顔が映ったスマホを見つめていた。これが現実なのか、まだ寝ぼけているのか、境界が曖昧だった。
SNSのタイムラインを開いた。トレンドのトップに「未登録エリア」。二位に「ダンジョンの意思」。三位に「柊一颯」。俺の名前がトレンド入りしている。かつてリストラの通知メールを受け取った同じスマホで、自分の名前がトレンドに並んでいるのを見ている。人生の皮肉が効きすぎている。
タイムラインには賞賛、分析、陰謀論が混在していた。「柊一颯は英雄だ」「管理局は何を隠しているのか」「配信の映像は捏造ではないのか」。支持と批判と懐疑が渦を巻いている。情報が公開された瞬間、情報は制御不能になる。それは——俺が望んだことだ。
凛からメッセージが来た。
「一颯さん、至急来てください。データの保全作業が必要です。管理局が鑑定データの提出を求めてくる可能性があります」
三島からも来ていた。
「先輩! ニュース見たっす! 俺にできることあったら何でも言ってください! 今から行くっす!」
返信する前に、また電話が鳴った。今度は——ダンジョン管理局。公式の番号だった。
出た。事務的な声。「柊一颯様でいらっしゃいますか。ダンジョン管理局総務課です。昨日の配信内容について、局長より直接お話ししたいとのことです。明日十四時に管理局本部へお越しいただけますでしょうか」
出頭要請。法的拘束力はない。だが断れば——管理局は別の手段で圧力をかけてくるだろう。営業マン時代、取引先からの「お話ししたい」は、苦情の婉曲表現だった。返答を保留して電話を切った。
窓を開けた。三月の冷たい空気が部屋に流れ込む。鼻の奥に刺すような冷気。遠くに見えるサードダンジョンのゲートが、朝日を受けて鈍く光っている。昨日、あのゲートの先の地下深くで、俺はダンジョンの「声」を聞いた。金色の文字。「我々」という複数形。あの体験が——世界を揺るがし始めている。
◇
凛のマンションに向かった。三島が先に着いていた。玄関で靴を脱ぎながら「先輩おはようございます!」と元気な声。この男の単純さに、少し救われた。
凛の部屋は白い壁に囲まれた清潔な空間だった。前に来た時は生活感が希薄な部屋だと思ったが、今日は——その白い壁がモニターとホワイトボードで埋め尽くされている。臨時の情報分析拠点。三台のモニターに、SNSの反応分析、ニュースサイトの記事一覧、配信アーカイブの視聴データがリアルタイムで流れている。
テーブルの上に空のペットボトルが三本。凛は昨夜から徹夜でデータを整理していたらしい。目の下に薄い隈があるが、瞳の輝きは失われていない。むしろ——研究者の目をしていた。未知のデータを前にした学者の、抑えきれない知的興奮。
「状況を整理します」
凛がホワイトボードの前に立った。黒いマーカーのキャップを外す音が、静かな部屋に響いた。
「まず——良いニュースから。昨日の配信アーカイブの再生数が二百万回を超えました。登録者数は十五万人に達しています。SNS上では『情報を公開した柊一颯を支持する』という声が圧倒的多数です」
十五万人。昨日まで十万だった数字が、一晩で五割増えた。数字の暴力だ。
「悪いニュースは」
「管理局が緊急記者会見を開きました。影山局長は『未登録エリアについては調査中であり、一般探索者の立ち入りは控えていただきたい』と発言しています。事実上——あなたの発見を管理局の管轄下に置こうとしています」
凛がモニターの一つを指した。記者会見の映像が流れている。影山局長——五十代後半、銀縁の眼鏡をかけた痩身の男——が、記者の質問に対して能面のような表情で答えている。「未登録エリアの存在を管理局は把握していたのか」という質問に対して、「現時点では調査中です」の一点張り。記者たちの追及が厳しい。十万人が生配信で見た映像は、嘘のつきようがない。
「さらに——桐生さんから情報が入っています」
凛がスマホの画面を見せた。桐生からのメッセージ。
『クロノスが管理局と連携して未登録エリアの独占探索権を申請中。鷹取が直接動いている。複数の情報源から確認済み。至急電話ください』
「独占探索権……」
「つまり、一颯さんが発見したエリアに、一颯さん自身が入れなくなる可能性があります」
コーヒーカップを持つ手が止まった。自分で見つけた場所に、自分が入れなくなる。営業マン時代、新規開拓した顧客を上司に横取りされたことがある。あの時の無力感と同じだ。だが今回の相手は上司ではない。国の機関と巨大ギルドだ。スケールが違う。
三島が立ち上がった。椅子が床を擦る音が部屋に響いた。「それって——先輩が見つけたのに、勝手に取り上げるってことっすか!?」
「法的には微妙です。未登録エリアは管理局の管轄外ですが、管轄外だからこそ——管理局が新たに管轄権を主張できる余地がある。鷹取はそこを突いています」
営業マン時代に見た光景だ。新規市場を開拓した中小企業が、大手に参入されて潰される。先行者利益を守る法的枠組みがなければ、資本力と政治力で全てが覆る。ダンジョン業界も同じ構造だった。
「対策は」
「情報を出し続けることです」
凛の声は冷静だった。だがその目に——静かな怒りが灯っていた。
「十五万人の視聴者がいる限り、管理局も強引な手段は取りにくい。世論が一颯さんの側にある。これは武器です。ただし——」
凛がマーカーでホワイトボードに書いた。『データ保全。セキュリティ強化。法的準備』。
「守りも固めなければなりません」
三人で、夜まで作業を続けた。凛がデータのバックアップと暗号化を進める。鑑定データの生ログ、エリアスキャンの全記録、設計図の断片のスキャンデータ——全てを複数の外部ストレージに分散保存。管理局が差し押さえに来ても、データが消えないように。
三島は凛のマンション周辺のセキュリティを確認した。といっても、周囲を三十分ほど歩いて不審者がいないか見回っただけだが。帰ってきて「誰もいなかったっす!」と報告する三島の顔が、不思議と頼もしかった。
俺は桐生に電話をかけ、管理局とクロノスの動きについて詳細を聞き出した。桐生の情報網は広い。管理局の内部に複数の情報源を持っているらしく、影山局長のスケジュールや会議の内容まで把握している。ジャーナリストとしての本能なのか、それとも——桐生にも、情報を隠す側と戦う理由があるのか。
日が暮れた。
窓の外に、サードダンジョンのゲートが見えた。街灯に照らされたゲートの周囲に、いつもより人が多い。昨日の配信の影響だろう。見物客や野次馬が集まっている。あのゲートの先、地下深くに——金色に光る空間がある。ダンジョンの意思が眠っている。
凛が淹れたコーヒーを飲んでいた時——スマホが鳴った。
非通知。
凛と目が合った。凛が小さく頷いた。出ろ、という意味だ。
出た。
女性の声。落ち着いていて、明瞭で、どこか知的な響きがあった。
「柊一颯さんですね。ダンジョン管理局調査課の朝霧千歳と申します」
管理局。だが——総務課からの出頭要請とは別件だ。調査課。学術研究部門。
「局長の指示とは別件で、個人的にお話ししたいことがございます——あなたの鑑定データについて」
個人的に。局長とは別件で。つまり——管理局の中に、影山とは違う考えの人間がいる。
凛が隣で息を止めていた。その気配が——張り詰めた糸のように伝わってくる。
「場所と時間を教えてください」
「明日の午後、都内の喫茶店で。人目につかない場所を指定します。場所は明朝メールでお伝えします」
電話を切った後、凛が言った。
「罠の可能性があります」
「だろうな。でも——管理局の内側に味方がいるなら、会う価値はある」
営業マン時代の鉄則。敵の組織の中に、一人でも味方を作れれば——ゲームが変わる。競合他社の中にインサイダーを作ることで、入札の流れを変えた経験がある。あの時と同じだ。情報を握った者が勝つ。だが今回は——賭け金が桁違いに大きい。
三島が帰り、凛と二人になった。凛が最後のコーヒーを淹れてくれた。苦い。砂糖を入れ忘れたらしい。だがその苦さが、頭を冴えさせた。
「一颯さん」
凛の声が、いつもの分析口調ではなかった。少しだけ柔らかい。
「何があっても——データは守ります。それが私の仕事です」
データを守る。凛にとって、それは俺を守ることと同義なのだろう。
窓の外で、サードダンジョンのゲートが暗闇の中に青白く光っていた。情報戦が始まっている。十万人が目撃した未登録エリアを巡って、管理局、クロノス、そして俺——三つの思惑が交錯している。
スマホの通知が、まだ止まらなかった。




