桐生記者の取材——メディアの目
その隙間に、ICレコーダーの赤いランプが静かに光っている。テーブルの向こう側で、フリーライターの桐生恭子がコーヒーカップを傾けた。三十歳。ショートカットに黒縁眼鏡。穏やかな笑顔の奥に、観察者の鋭い目が覗いている。ペンを指の間で回す癖がある。記者の癖だ。
「三層ボス撃破の配信、すごかったですね。ニュースサイト三社に取り上げられてましたよ。一社は朝のニュース番組でも使ったそうです」
「あ、はい。自分でも驚いてます」
取材を受けるのは初めてだった。桐生からのDMに「取材をさせてほしい」と書かれていた時、最初は断ろうと思った。だが桐生のプロフィールを確認すると、ダンジョン関連の記事を専門に書いている実績があり、フェアな記事が多かった。「正しく伝えてもらえるなら」と応じた。
カフェはチェーン店だが、奥まった席を選んでくれたおかげで、周囲の客の視線は気にならない。コーヒーの苦味が口に広がる。まともなコーヒーだ。ファミレスの薄い茶色い液体とは比べものにならない。
「率直に聞いていいですか」
桐生は背筋を伸ばし、ペンを構えた。笑顔が消え、記者の顔になった。
「柊さんの鑑定スキル。他の鑑定持ちの方にも取材したことがあるんですが、ここまで詳細な情報を表示できる方を、私は知りません。なぜあなたの鑑定だけ、これほど詳しいんですか?」
三島も同じことを言っていた。他の鑑定持ちは項目が五つ程度で終わる。俺のは数十項目。行動アルゴリズム。設計メモ。管理者権限。見えるはずのないものが見える。
「……正直、わかりません」
「わからない?」
「はい。自分でも異常だと思っています。普通の鑑定スキルは名前と等級と基本ステータスくらいしか出ないはずなのに、俺のは製造工程とか行動アルゴリズムとか、見えるはずのないものが見える。なぜかは——本当にわからないんです」
桐生はしばらく無言で一颯を見つめていた。嘘を言っていないか、確認しているのだろう。営業マン時代に学んだ。相手の目をまっすぐ見て、言葉を選ばずに話す。嘘をつく人間は、目が泳ぐか、言葉を飾りすぎるかのどちらかだ。
「信じます」
桐生は小さく頷いた。
「むしろ、本人にもわからないという点が——一番重要かもしれません。スキルの異常性を自覚しているのに原因がわからない。これは、誰かがあなたの鑑定を意図的に強化した可能性があるということです。あるいは——鑑定スキル自体が、元々持っている潜在能力を、あなただけが引き出しているか」
桐生はペンをテーブルに置き、声を落とした。
ICレコーダーの赤いランプは点灯したままだが、桐生の態度が変わった。取材モードからオフレコモードへ。
「柊さん。オフレコでいいですか」
「……はい」
「クロノスが、あなたの配信を本格的に問題視しています」
桐生の声が低くなった。BGMの隙間から、彼女の声だけが浮かび上がる。
「SNSでの声明は表向きで、裏ではギルド協会への工作が始まっているという情報があります。ダンジョン内部情報の公開に関するガイドライン策定を急がせて——実質的にあなたの配信を規制しようとしている」
予想はしていた。クロノスの公式アカウントの反応、ギルド協会の声明。点と点が線で繋がる。
「なぜクロノスは、俺の配信をそこまで嫌がるんですか。たかが鑑定配信でしょう」
「たかが、じゃないからですよ」
桐生が真っ直ぐにこちらを見た。コーヒーカップを置く音が、やけに大きく聞こえた。
「柊さん、あなたの配信は、ダンジョンの隠し部屋やボスの弱点を無料で公開している。それは今まで、大手ギルドが独占してきた情報です。ギルドは情報を独占することで攻略効率を上げ、素材を独占し、利益を出してきた」
桐生が真っ直ぐにこちらを見た。
「あなたがやっていることは——その構造を根底から壊す行為なんです」
なるほど。情報の独占。そういうことか。
営業マン時代の感覚で理解できた。顧客情報を囲い込んで競合を排除するビジネスモデル。クライアントのニーズも、市場データも、全て自社だけで抱え込む。そうやって優位性を保つ。俺がやっていることは、その情報をオープンソースにしているようなものだ。無料で。配信という形で。
クロノスにとっては——死活問題だろう。
「具体的にどういう工作を?」
「ギルド協会の理事会に提案を出しています。『ダンジョン内部情報の配信における開示範囲のガイドライン』という名目で。要はボスの弱点、罠の回避方法、隠し部屋の位置——こういった情報の配信での公開を制限する規定です。違反した配信者には探索者免許の停止処分を検討するという内容も含まれているそうです」
「免許停止? 配信しただけで?」
「ダンジョン内での配信は管理局の許可制です。許可の取り消しは管理局の裁量でできる。そこに影山局長の影がちらつくわけです」
桐生がコーヒーの最後の一口を飲み干した。カップの底に残った液体が、照明を受けて琥珀色に光っている。
「それだけじゃありません」
桐生がスマホを取り出した。画面に一枚の写真が表示される。
「ダンジョン管理局の調査課にも動きがあります。この写真を見てください」
写真には、ビルの入口から出てくる二人の男が映っていた。一人はスーツ姿の恰幅のいい男。温和そうな顔だが、目に権力者特有の重みがある。もう一人は——重厚な佇まいの年配の男。官僚の雰囲気。
「左が大手ギルド『クロノス』のマスター、鷹取誠一郎。右がダンジョン管理局の局長、影山総司。二人が親しげに話しているところを、先週撮りました」
ギルドのトップと、行政機関のトップ。その二人が、繋がっている。
「鷹取はダンジョン利権で政財界に太いパイプを持っています。影山局長とは以前から関係があったと言われていますが、最近は特に頻繁に会っているようです。あなたの配信がバズり始めてからです」
カフェの空調の音が、妙に耳についた。桐生の声だけが、そのノイズの中からくっきりと浮かび上がってくる。
「柊さん。あなたは自分が思っている以上に大きなものに触れてしまっている」
桐生はペンをテーブルに置いて、こちらを真っ直ぐ見た。記者の目ではなかった。警告する人間の目だった。
「でも——記事は書かせてください。あなたの配信がなぜ注目されているのか、正しく伝える記事を。クロノスや管理局の動きも含めて。情報は公開されてこそ力になる。あなたの鑑定と同じです」
その言葉に、少しだけ救われた。俺がやっていることを「正しい」とは言わなかった。だが「伝える価値がある」と言ってくれた。
「お願いします」
桐生はICレコーダーの停止ボタンを押した。赤いランプが消えた。名刺をテーブルに滑らせる。
「何かあったら連絡ください。情報は持ってます」
名刺には「フリーライター 桐生恭子」とだけ書かれていた。肩書きはシンプルだが、この人が持っている情報は——シンプルとは程遠い。
◇
カフェを出て、帰り道を歩いていた。
新宿の雑踏。人波の中を歩きながら、桐生の言葉を反芻する。
(ただ楽しく配信したいだけなのに)
隠し部屋を見つけて喜ぶ。罠を避けて生き延びる。ボスの弱点を見破る。それを視聴者と共有する。それだけのことが——利権の構造を脅かしている。
足を止めた。
雑踏の中で、一人だけ立ち止まっている。周囲の人々はスマホを見ながら歩き、イヤホンで音楽を聴き、目の前を素通りしていく。
誰も俺のことなんか見ていない。この人混みの中で、俺は透明人間だ。
だが、クロノスは見ている。管理局は見ている。
周囲の喧騒が、妙に遠く聞こえた。車のクラクション。居酒屋の呼び込み。笑い声。全てが膜一枚隔てた向こう側の音みたいだ。
(巻き込まれてるな、これは)
自分で始めたことだ。配信を始めたのは自分。鑑定データを公開したのも自分。だがその先にあるものの大きさを、俺は見誤っていた。営業マン時代にも覚えがある。小さな案件だと思って軽い気持ちで提案書を出したら、実は業界再編に関わる大型案件の入り口だった。気づいた時には、もう後戻りできない場所にいた。
スマホが震えた。通知を確認する。
三島からのメッセージ。
『先輩! 4層攻略はいつ行きますか? いつでも準備OKっす!!!!』
感嘆符が五つ。この男のメッセージは、いつも感嘆符が多い。
不思議と、それだけで少し楽になった。桐生の警告は重い。クロノスと管理局の陰。だが三島の無邪気な熱さが、その重さを少しだけ——軽くしてくれる。
歩き出した。新宿の雑踏に紛れながら、一颯は考えていた。
配信を続けるのか、やめるのか。
リストラされた日の夜を思い出す。冷蔵庫の唸り声だけが聞こえるアパートの部屋で、求人サイトをスクロールしていた。営業経験八年。特技:なし。資格:探索者免許(Dランク)。鑑定スキル(ハズレ)。あの日の自分に、「お前は三ヶ月後に一万人に配信を見られてる」と言ったら、頭がおかしくなったと思うだろう。
だが今、クロノスという巨大な組織が俺を警戒し、管理局のトップが動いている。たかが三十二歳の無職の鑑定配信者に。
答えは——もう出ていた。やめられるわけがない。
ようやく見つけた、自分にしかできないこと。三十二年間探し続けた「何者かになれる場所」。マコトがいる。ドクターがいる。シロがいる。三島がいる。画面の向こうに、俺を待っている人たちがいる。
それを手放すなんて、できるわけがない。
たとえ、その先に何が待っていても。
夕暮れの新宿の空が、ビルの隙間からオレンジ色に染まっていた。ダンジョンのゲートがある渋谷方面の空だけが、微かに青みを帯びている。あの地下に、まだ見ぬ4層が待っている。




