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虚飾の歴史に、夢は解けて。――二人の罪人は再演の旅を  作者: はる
【第一章】二人の罪人

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第六話:零れた言の葉、解ける体温

深い眠りの底、琥珀の香りに導かれてサラが視たのは、幸福と絶望が入り混じる光景でした。

 世界を塗り潰す凄惨な赤の中で、唯一触れた慈しみの熱。

 

 夢から覚め、混乱と心細さに揺れるサラは、無意識に行き場のない手を伸ばします。

 「理外の存在」だと思っていた男の掌から伝わる、生々しいほどの「命」の鼓動。

 張り詰めていた彼女の芯が、夜明けの光の中で静かに解けていく回となります。

 深い、深い闇の底。

 けれどそこは、決して寒くはなかった。


 鼻をくすぐる琥珀の香りに誘われるようにして、サラは「夢」を見ていた。


 石造りの無機質な王国ではない。

 もっと生命の輝きに満ちた、柔らかな陽光が降り注ぐ庭園。


 白磁の杯を傾けながら、誰かが笑っている。

 逆光に溶けて、その顔はうまく見えない。

 けれど、その人物が自分に向けた眼差しが、陽だまりのように温かかったことだけは覚えている。


 見上げるほど背の高い青年の服の袖を、一人の少女が小さな手でぎゅっと掴んでいた。

 今のサラからは想像もつかないほど、無防備で、全幅の信頼を寄せた甘えるような笑顔。


『――ずっと、お側にいます。約束ですよ?』


 自分の口から溢れたはずのその声は、鈴の音のように澄んでいた。

 だが、その誓いが空に溶けきる前に唐突に、世界が「赤」に塗り潰された。

 鮮血の色か、あるいは終焉の炎か。

 美しい庭園も、穏やかな空気も、すべてが赤黒い渦の中に飲み込まれていく。

 天地がひっくり返るような混沌の中で、サラはただ、逃げ場のない恐怖に震えた。


 その時だった。

 崩れゆく世界の中で、青年がゆっくりと手を伸ばした。

 悲しげに歪んだ顔。今にも砕け散ってしまいそうなほど繊細に、震える指先。

 青年はその指で、彼女の髪をそっと撫でた。

 

 熱い。痛いほどに切実な、慈しみの熱。

 

(……ああ、この指。昨夜の……)


 その感触を「夢」だと認識する暇もなく、サラの視界は真っ白な閃光に包まれた。


「……っあ、」


 短い悲鳴とともに、サラは跳ね起きるように瞼を押し上げた。


 視界に飛び込んできたのは、岩陰の冷たい天井と、夜明け前の薄暗い森の景色。激しい動悸を鎮めようと胸元を押さえる。頬には熱い感触があり、自分が無意識に涙を流していたことに気づいて当惑した。


「……怖い夢を見ましたか?」


 すぐ傍らから、穏やかな声がした。

 ファルが少し離れた岩肌に背を預け、静かにこちらを見守っていた。

 昨夜の焚き火も食事も、跡形もなく消えている。塵一つ残さない、徹底した撤収。


 サラは夢の余韻から逃れられず、震える肩を抱きしめた。

 あの赤く染まった世界の恐怖と、最後に触れた指の熱が、肌にこびりついて離れない。

 彼女はふらふらと、吸い寄せられるようにファルへ歩み寄った。

 何か確かなものに触れていたい。

 けれど、目の前の男が何者なのかという不信感も消えない。


 差し出そうとした手は空中で行き場を失い、弱々しく彷徨う。

 指先が宙を掻き、何度も握っては開き、縋るべき場所を求めて彷徨った。


 やがて、迷い続けた末に。

 サラの指先は、ファルの重厚な外套の裾を、力任せにぎゅっと掴んだ。

 その手は、自分でも驚くほど激しく震えていた。

 分厚い生地を通してさえ、サラの恐怖が、あるいは無自覚な甘えが、音を立てて伝わっていく。


「……行かないで」


 掠れた声でこぼれた本音。

 ファルは一瞬だけ、虚を突かれたように目を見開いた。

 けれどすぐに、ファルはこれ以上ないほど慈しむような眼差しを向けると、震えが止まらないサラの手を包み込むように、温かな掌をそっと重ねた。


「大丈夫ですよ。私はここにいます。貴女を一人にはしません」


 その体温は、夢の終わり、崩壊する世界の中で髪を撫でてくれたあの手と同じ、確かな熱を持っていた。


 重ねられた掌から伝わる拍動が、サラの凍りついた心音をゆっくりと解かしていく。

 理外の力で世界を塗り替える、得体の知れない存在。

 そう思っていたはずなのに、自分に触れるその手からは、驚くほど生々しい「命」の重みが伝わってきた。

 一定の律動で刻まれる鼓動。それは魔法で作られた虚像などではなく、血が通い、呼吸をする人間が持つ確かな証だ。


(……この人も、ちゃんと生きているんだ)


 その当たり前の事実に、サラの胸の奥で張り詰めていた何かが、静かに音を立てて崩れ落ちる。

 サラは弾かれたように顔を上げた。

 潤んだ瞳に映るファルの「金の円環」が、今は恐ろしい魔眼ではなく、ただ一人の人間が持つ深い光を宿した瞳に見えた。


「……うそつき」


 唇を突いて出たのは、思いもよらない言葉だった。


 言った本人が一番驚き、目を見開く。何に対しての「うそつき」なのか。

 それが分からないことが、何よりも恐ろしかった。

 サラは混乱を隠すように、逃げ場を求めるように、そっとファルの胸元へ額を預ける。


「わからない……。あなたのことなんて、何も知らないのに。どうしてこんな……」


 呟きは掠れた吐息となって彼の胸に吸い込まれていく。


 言葉の先を、サラ自身も見つけられなかった。

 整理のつかない感情の波に飲まれ、サラはただ、彼の体温に縋ることで自分を繋ぎ止めていた。


 ファルは何も言わず、預けられたその小さな重みを全て受け止めるように、サラの背にそっと手を添えた。

 夜の冷気が、二人の間に漂う体温をより鮮明に際立たせていく。

 森の奥で、朝を告げる鳥が一声鳴いた。

 その音に、サラはゆっくりと彼の胸から顔を離す。

 赤らんだ顔を隠すように視線を下げ、指先で涙を拭った。


「……ごめんなさい。自分でも、何を言っているのか分からないの」


 無意識に、語尾から硬さが消えていた。


 必死に自分の中の均衡を取り戻そうとしているが、これまでの自分を縛っていた厳しい口調は、もうそこにはなかった。


「いいえ。貴女が心細い時に、私を頼ってくださった。それが何よりも嬉しいのです。……落ち着くまで、このままでも構いませんよ」


「……ううん、もう大丈夫。……ありがとう」


 サラは小さく、消え入りそうな声で礼を言った。


 幼さの残る素直な返答に、サラ自身も少し驚いたように瞬きをする。

 けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


 夜明けの光が、森の輪郭を白く縁取り始める。

 それは、安らぎの時間の終わりと、過酷な逃避行の再開を告げる光でもあった。

第六話をお読みいただき、ありがとうございます。

 

 これまでは「魔術師」として気を張っていたサラでしたが、悪夢の余韻によって、十七歳の少女らしい素顔が零れ落ちる瞬間を描きました。

 自分でも制御できない「うそつき」という言葉。そして、ただ「わからない」と戸惑う彼女の姿に、ファルとの距離の変化を感じていただければ幸いです。

 

 ファルを「ひとりの人間」だと認識したことで、二人の旅路は単なる協力関係以上の意味を持ち始めます。

 

 いよいよ夜が明け、過酷な逃避行が再開されます。

 物語が動く第七話も、どうぞお楽しみに!

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