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虚飾の歴史に、夢は解けて。――二人の罪人は再演の旅を  作者: はる
【第一章】二人の罪人

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第五話:ただ一人のための儀式

 追っ手の喧騒が遠のき、夜の静寂が二人を包みます。

 万事を指先一つで解決してみせるファルが、唯一、祈るような手つきで時間をかけるのものとは…

夜の帳が下りた森の畔は、不自然なほどの静寂に包まれていた。


 王宮の追っ手たちは、ファルが見せた理外の力に戦慄し、逃げ惑うように退散していった。

 彼らが残した恐怖の残滓さえも、夜の闇が塗り潰していく。


 ようやく腰を下ろせる岩陰を見つけた際、サラはもう、自分から火を熾そうとはしなかった。

 隣に立つ男が、当然のように指を弾くのを、諦めの混じった眼差しで待つ。


「そのままで。少しだけ、待っていてくださいね」


 ファルが虚空へ向けて指を軽く弾く。

 薪を集める音も火花もないまま、赤々と爆ぜる焚き火が突如として出現した。

 柔らかな敷物も、湯気を立てる食事も、最初からそこにあったかのように当然の顔をして並んでいる。


(……この人にとって、世界の道理なんて書き換え自由な紙屑と同じなのね)


 魔術師としての矜持を土足で踏み荒らされるような虚脱感。

 だが、そんな彼女の視線を再び釘付けにしたのは、その後の彼の振る舞いだった。


 万事を指先一つで解決してみせた男が、唯一、気の遠くなるような手間をかけて行い始めた作業。

 それは、一杯の紅茶を淹れることだった。

 ファルは、銀の小罐から丁寧に茶葉を取り出し、温めた白磁の器へと移す。

 湯の温度を掌で確かめ、砂時計が落ちるのを、祈るような静けさの中で待つ。


(……? 食べ物も火も、あんなに容易く呼び出したのに。なぜこれだけは、こんなに人間らしく時間をかけるの?)


 その不自然な執着、神聖な儀式にも似た所作。やがて、ファルの手によって静かに注がれた琥珀色の液体が、サラの前に差し出された。


「……どうぞ。少し熱いので、気をつけてください」


 受け取った杯から、ゆらりと香りが立ち上がる。

 その瞬間、サラの心臓が不規則に跳ねた。それは、王国の市場に並ぶどんな高価な茶葉とも違っていた。森の奥深くの土の匂いと、花々の甘い香りが混じり合ったような、独特の芳香。


 ひと口、含んだ。

 

 熱い液体が喉を通った瞬間、脳裏に鮮烈な光景が閃光のように過る。

 高く澄み渡った青空。自分を見下ろして微笑む、誰かの穏やかな笑い声。


(知らない……こんな味、私は知らないはず。……なのに、どうしてこんなに、泣きたくなるほど安心するの?)


 体中の細胞がこの香りを待っていたかのように歓喜している。

 自分の中に、知らない「自分」が潜んでいるような、逃げ場のなさを感じるほどの違和感。


「……ずいぶんと、古臭い淹れ方。今の流行りとは、正反対。見た目は若いのに」


 動揺を悟られぬよう、サラはわざと突き放すような言葉を吐いた。


 ファルは穏やかに笑う。


「そうですか。私は、これが一番美味しいと教わったものですから」


「誰に?」


「……大切な方ですよ。昔のことですが」


 その言葉に、サラは思わず杯を止めて顔を上げた。

 「大切な方」という響きが、琥珀の香りと混ざり合い、彼女の心に小さな波紋を広げる。

 そこにあったのは、年相応の少女としての抑えきれない好奇心だ。


「……ふぅん。大切な方、ねぇ。それって、やっぱり恋人? あなたの好きな人だったの?」


「気になりますか?」


 問いかけながら、サラは無意識に身を乗り出していた。

 真面目な彼女にしては珍しく、答えを急かすような熱を瞳に宿している。


「いいじゃない、教えてくれても。あんなに丁寧に、祈るみたいに紅茶を淹れるなんて、ただの知り合い相手じゃしないでしょ? きっと、すごく特別な人だったんだわ。ねえ、どんな人だったの? 綺麗だった? それとも、私みたいに……その、面白みのない人?」


 真面目すぎる自分を卑下するように尋ねる。

 そこには、彼の特別な「一番」を知りたいという、無意識な甘えが滲み出ていた。


 ファルは一瞬だけ、虚を突かれたように目を見開いた。

 それから、これ以上ないほど優しく微笑む。


「……さあ、どうでしょうね。私にとっては、恋人という言葉では、とても足りないほどの方でしたよ」


「……何それ。ずるい答え。何も言ってないのと同じじゃない」


 期待した明快な答えが返ってこず、サラは不満げに頬を膨らませた。

 けれど、突き放された感覚はまったくない。


「それから――サラさんが面白みのない人だなんて、私は思いませんよ。ひたむきで、純粋で……。今の貴女も、とても魅力的だと思います」


「……っ、」


 不意打ちだった。

 窓辺に咲く花を愛でるような当たり前の口調で、彼は彼女を全肯定した。


 心臓が耳元まで届きそうなほど大きく脈打つ。


「な……何を、急に。馬鹿じゃないの?」


 顔が熱い。

 焚き火の熱のせいだと思いたかったが、指先の震えを隠しきれない。


「私を買い被りすぎよ。私は、ただの……可愛げのない罪人なんだから」


「たとえ世界中の人間がサラさんを罪人と呼んでも、サラさんが魅力的なのは変わりませんよ。少なくとも、私は好ましいと思っています」


 若干告白めいた言葉に、更に顔が暑くなる。


「あー、もう! そういう恥ずかしいことを、平気な顔で言わないで!」


 耐えきれず、サラは両手で顔を覆った。

 恥ずかしさを誤魔化すように、話題を変える。


「それで?あなたは……本当に、何者なの?」


「言ったでしょう。私はファルという、ただの人間です」


 その答えは、やはり変わらなかった。

 焚き火の傍ら、ファルの外套に包まれながら、サラは深い眠りへと誘われていく。

琥珀の香りが、彼女の理性を甘く溶かしていく。


(……ただの人間なはず、ないじゃない。……でも、この香りだけは、信じてしまいそうになる……)


 眠りに落ちる直前、サラは見た。

 自分の髪に指を伸ばそうとして、触れる寸前で、ひどく悲しげな顔をして手を止めるファルの姿を。

 その指先の震えに「違和感」の正体があるような気がした。

 サラはそのまま、懐かしさを覚える香りに包まれ、深い闇へと落ちていった。

第五話をお読みいただき、ありがとうございます。


最後にファルが見せた悲しげな表情と、指先の震え。

 「好ましい」という言葉の裏側に、彼がどれほどの年月と孤独を隠し持っているのか。

 

 香りに誘われた眠りの先で、サラが視る「真実」とは――。

 

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