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虚飾の歴史に、夢は解けて。――二人の罪人は再演の旅を  作者: はる
【第一章】二人の罪人

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第四話:塵に還る銀、無に帰す理

降り注ぐは、王国の法を象徴する光の矢。

 かつての仲間たちが放つ殺意を前に、サラは魔術師としての終わりを覚悟します。

 しかし、彼女の前に立つ漆黒の瞳を持つ男――ファルは、あまりにも静かに、世界の道理そのものを書き換えてしまいました。

「――放てッ!」


 カイルの鋭い号令が、静まり返った森に響き渡った。


 同時に、十数条の魔導矢が空を切り裂く。それは王宮魔導師団が誇る、標的の魔力波長を記録し、空間ごと逃げ場を奪う「必中の理」。

 着弾すれば、並の防御障壁など紙細工のように引き千切られる死の一撃だ。


 サラは反射的に指を編もうとしたが、その前に視界が「黒」に覆われた。


 ファルが、吸い込まれるような自然な動きで彼女の前に立ち、迫りくる死の雨へと手をかざしたのだ。


「……危ないですから。下がっていてくださいね」


 その声は、戦場にはあまりに不釣り合いなほど穏やかだった。


 次の瞬間、サラは魔術師として人生最大の、そして最も不可解な「消滅」を視る。

 飛来した魔導矢が、ファルに接触するより遥か手前で、その輝きを唐突に失ったのだ。


(え……?)


 破壊されたのではない。相殺されたのでもない。

 それは、描いていた絵が布ごと消えるような、あるいは語られていた物語が一行目から無かったことにされるような、圧倒的な「事象の消滅」だった。

 

 魔導矢を構成していた術式が、彼の存在という「異常」を前にした瞬間、根底から崩壊して霧散する。

 供給源を失った物質としての矢は、形を維持する理さえも失い、砂が流れる音を立てて、地面に吸い込まれていった。


 カイルの驚愕に染まった声が漏れる。


「な……にをした……?」


 震える手で次の矢を番えようとするカイルに向け、ファルはゆっくりと顔を上げた。


「何もしていませんよ?」

 

 サラが聞くファルの口調に変化はないが、カイルは全身が凍りついたように青ざめた。

 底の見えない漆黒の瞳。

 その中心に浮かぶ「金の円環」が、普段の静謐さをかなぐり捨てたかのように、激しく煌々と輝いたのだ。

 深い闇の中に浮かび上がる金の輪は、この世の光をすべて呑み込むほどに神々しく、そして見る者の魂を凍てつかせるほど冷徹だった。


 ファルは、歌を口ずさむような、どこか遠い響きの声を漏らした。


『――光の届かぬ深淵にて、万物は意味を見失う。全ては無に還る。永遠なる静寂こそが、真なる理なり』


 その言葉が発せられた瞬間、世界から「力」が抜け落ちた。


 カイルが番えていた矢は、放たれる前にその場でふわりと霧散した。

 それだけではない。彼らが手にしていた魔導弓、腰に佩いた剣までもが、まるで数千年の時を一気に突きつけられたかのように、音もなく崩れ落ちていく。

 発動していた強化の魔術も、森を照らしていた灯火も、すべてが等しく「無」へと帰した。


「あ、ああ……化け物……」


 カイルの声は震えを隠すことなく、もはや悲鳴に近かった。

 自らの武器が掌から消え、誇りである魔術が塵へと変わる。

 その漆黒の瞳に見据えられただけで、己の存在そのものが世界から否定され、消えてなくなるのではないかという恐怖が脳髄を突き抜ける。

 ファルが、静かに一歩を踏み出す。

 ただそれだけの動きで、森の木々が「本来そこにいないはずの何か」を恐れるようにざわめき立つが、風はない。

 それがただそこにいるだけで、世界の調和が乱れ、敵意を向ける者たちの精神から余裕を奪い去っていく。


「…………引けッ! 立て直すぞ!」


 本能的な恐怖に敗北した兵は号令も待たずに走り去っていた者もいた。


 カイルも、武器を失ったまま、逃げるようにして急速に気配を消していった。


 森に、不自然なほどの静寂が戻った。


 ファルはゆっくりと振り返ると、サラの目線に合わせるように少し腰を落とした。

 瞳の「金の円環」は、いつの間にか穏やかな凪を取り戻し、先ほどまでカイルを戦慄させていた冷徹な異質さなど、微塵も残っていない。

 そこにあるのは、痛いほどの慈愛だけだ。


「……お怪我はありませんか、サラさん。怖い思いをさせてしまいましたね」


 先ほど神話の一節を唱えた時とは別人のような、柔らかく、温かな響き。

 その「サラさん」という呼び方に、サラは抗い難い眩暈を覚える。


(……なぜ、そんな風に私を見るの?)


 初めて会ったばかりの「他人」のはずなのに。

 その眼差しも、声の温度も、触れようとした指の躊躇いさえも「知っている」のだと思わされる。


「あなたは……誰なの? どうして、私なんかにここまで……」


 震える声で絞り出した問いに、ファルは少しだけ困ったように眉を下げ、それから至極当然のことを告げるように微笑んだ。


「私はファルですよ。サラさんと同じ、ただの人間です。か弱い女の子を守るのは悪い気しませんから」


 少しおどけて見せた言葉に、サラは息を呑んだ。

 言葉一つで事象を消滅させ、世界の理を上書きしたかのような光景を作り出した存在が、臆面もなく「人間」だと自称し、おどけて見せたのだ。

 その瞳には嘘も虚飾もなく、一点の曇りもない真実としてその言葉を口にしている。


それが何よりも恐ろしかった。


「嘘よ……人間があんな真似、できるはずないわ」


 サラの言葉に、一瞬だけ悲しげな笑みを見せたファルを見逃さなかった。


「…ごめんなさい。言い過ぎた」


 彼はサラの疑念を否定することさえせず、優しく微笑みかけてから、ふわりと姿勢を戻す。

 

  優秀な魔術師としてのサラの理性が、必死にブレーキをかける。

 こんな異常な存在を信じるべきではない、と。

 けれど、彼から伝わる熱が、あまりに心地よくて。

 心地よさを否定するように、サラはわざと視線を逸らす。


「さぁ、行きましょうか」


 歩き出したサラを見つめるファルは、くすっと笑ってから、喜ぶように目を細めた。

 そして、彼女の歩調に一歩分だけ遅れて、寄り添うように歩き出す。


 虚飾の歴史を捨て、二人の罪人は歩き出す。

 世界の理が書き換えられていくような、正体不明の違和感を抱えたまま。

 第四話をお読みいただき、ありがとうございます。

 

 圧倒的な力で魔導矢を塵に還しながら、「何もしていませんよ」と微笑むファルの不気味さと、それでも彼に「ごめんなさい」と謝ってしまうサラの心の揺れを描きました。

 

 漆黒の瞳に浮かぶ金の円環。

 そして、現在の聖典には存在しないはずの古い神話の一節。

 サラが抱く違和感の正体とは…。

 

 少しずつ、この世界の「虚飾」が剥がれ落ちていく予感を感じていただければ幸いです。

 

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