第三十二話:虚ろう世界、虚ろわぬ鏡
ルヴィエラの夜、月明かりと生活の光に照らされた街が、星空を霞ませる。
その輝きに負けない程、人々が夜の賑わいを彩っていた。
「宿、空いててよかったね」
サラは街の賑わいを聴きながら寝台に身を投げた。
「夜の街は歩かなくて良いのか?」
「ん…今日はいいや」
サラは胸元にある藍方石を確かめるように眺めている。
「やっぱり、何処にいっても変わらないのかな」
宿を探している最中、目についた手配書。
どこか楽しめなくなってしまったサラは、首飾りを指で撫でる。
「…戻りたい、か」
蒲公英の綿毛すら飛ばせない程の、ファルの小さな声。
サラの目が見開かれる。
それは驚きではない。
「そんな事、思ってない。…私が決めたんだよ」
サラは身体をお越しながら、強く拳を握る。
しかし、握った拳が、すぐに少しだけ緩む。
「言ったでしょ…私は、何処にも行かないって」
サラの手は開かれ、ファルに優しく向けられた。
しっかりと、道を示すかのように差し出された、サラの白く小さな手。
ファルはその手を見つめる。
「ファル…お願い。…疑わないで」
ファルは静かに、ゆっくりと息を吐き、サラの目を見る。
そして、真っ直ぐに差し出されたサラの小さな手に、自らの手を重ねる。
「……疑ってなど、いない」
ファルの声はいつもの穏やかな響きだった。
だが、その手から伝わる微かな力強さと体温は、ひどく脆いものだった。
「ただ……この街にいる間ぐらいは、何の憂いもなく楽しんでほしかったんだ」
ファルは目を伏せ、サラの指先を親指で優しく撫でる。
それは、引き込んでしまった後悔か。
それとも、共に居られることへの感謝か。
窓の外からは、夜の深さを忘れてしまいそうな程の喧騒が聞こえてくる。
だが、この小さな客室の中だけは、二人だけの静かな時間が流れていた。
サラは、重ねられた手の温もりに、少しだけ強く握り返して応える。
ふと、ファルの手の傷が目に入る。
「……傷、まだ消えないの?」
ファルの傷を優しくなぞる。
ファルはそれを静かに眺めてから、手を引こうとする。
しかし、サラがそれを引き留めた。
「サラ、離してくれるか」
それは、ファルの小さな拒絶。
「やだ…」
ファルの手を強く握る。
それは、ファルが逃げないと知っているから。
それを、ファルは返してくれると知っているから。
「ずるいな、サラは」
「ファル程じゃないよ?」
ファルは、空いてる手でサラの手を包む。
そして、少しだけ気まずそうに笑みを作る。
「俺の負けだよ…」
サラは小さく笑いながら、ファルの手を包み返す。
「ファルに勝てるのは、私だけだね」
「まったくだよ」
ファルは街の喧騒に彩られた窓に視線を向けた。
二人を置き去りにして、街は楽しげに笑っている。
「この傷、痛くないの?」
明らかに治りの遅い傷が、サラを否応なしに不安にさせる。
ファルはその質問には答えずに、重ねた手に力を込めた。そうだね
「サラ、手配書なんてただの紙切れだ。…明日は、夜も楽しもう」
「うん…そうだね」
煌びやかな街の明かりが、窓から差し込み、窓に写る鏡写しの世界を消している。
だが、窓に写る二人だけは、切り取られたかのようにはっきりと写っていた。




