第三十一話:合わさる歩幅
船が港に滑り込むと同時に、サラは甲板の最前列で身を乗り出していた。
「着いた……! ファル、見て、すごい綺麗!」
昨晩、船酔いで人生の終わりのような顔をして縮こまっていた姿も、二人で流した涙も消えていた。
サラの瞳は好奇心で溢れている。
目の前に広がるのは、白亜の建造物が立ち並び、色鮮やかな花々、装飾が街の至る所を彩る『美の都ルヴィエラ』。
活気ある人々の声が聞こえてくる。
潮風には甘い香りが交じり、食欲をそそられる。
雰囲気だけで、新しい街への期待を否応なしに膨らませられる。
「落ちますよ、サラ」
「大丈夫だってば。ほら、早く降りよう!」
サラはファルの腕を強引に掴む。
ファルは十七歳の少女の細腕に引かれ、苦笑しながら陸地へと足を踏み入れた。
一歩街に入ると、そこは人々の笑顔に溢れていた。
「ファル、どこから回ろうか」
「順番に回っても大丈夫ですよ。……サラ、少し歩くのが早――」
ファルの声はサラの興奮に負け、途中で途切れる。
「わあ、あのガラス細工綺麗! ねぇファルはどれが好き?」
「……私なら――」
「あ!あっちも綺麗だよ!」
ファルが返事を返す間もなく、サラは駆け出してしまう。
ファルは、どこか保護者のような感覚になるが、嫌な気はしなかった。
不安な顔も、大人びた雰囲気も、今のサラには欠片もない。
ただ年相応の、心を許した相手にだけ見せる無防備で甘えん坊な少女の姿がそこにあった。
ファルはその姿に少しだけ眩しさを感じながら、サラの背中を楽しげに追いかけた。
「サラ。暫く滞在してゆっくり回ってもいいんですよ」
「いいの!早く行こ!」
「どちらにしても宿を取らないと――」
照れ隠しのようにそっぽを向い駆け出したサラには聞こえていない。
サラは、ふと香った甘い匂いに引かれて視線を巡らせた。
サラの止まった視線の先に、この街の名物らしき焼菓子の屋台がある。
「ファル、あれ食べたい!」
「船でお昼を食べたばかりでは?」
「半分ずつなら平気だよ」
半ば強引にファルを屋台へ引っ張っていく。
手渡された焼菓子菓子を、満面の笑みで頬張った。
「ん〜っ、美味しい! ほら、ファルも口開けて。あーん」
「えっ……あ、いえ、私は自分で――」
「ファルも照れたりするの?」
悪戯な笑みを浮かべてファルを見るサラ。
「しょうがないですね…」
ファルは観念したように口を開けた。
芳醇な香りと、甘さが口いっぱいに広がる。
それ以上に、目の前で嬉しそうに笑うサラの姿が、彼の胸の奥を温かく満たしている。
昨晩の共有があったからこそ今があるのだと、ファルは少しだけ感傷に浸る。
二人の間にあったどこか遠い距離感は、もうすっかり消え去っていた。
街を歩き回り、陽が少し傾き始めた頃、サラの足が止まる。
「どうしました?」
サラは勢い良く振り返る。
楽しげな表情は消え、昨日見せた真剣な表情だった。
「ファルは、今から敬語禁止」
ファルはサラの予想外の発言に返事が遅れた。
「もう、必要ないでしょ?」
ファルは諦めたように軽く息を吐きながら、サラに笑みを返す。
サラの背には、店先に咲く松笠菊が咲き誇っていた。
「確かに、サラのいう通りだな」
「うん!」
サラはファルの返事で笑顔を取り戻す。
ファルはどこか足取りが軽くなったかのようにサラの隣を歩きだした。
「そう言えば、宿取ってないよね?空いてるかな…」
「何回か声は掛けたんだが…」
「え……ごめん」
サラは恥ずかしそうに俯きながら笑う。
ファルも釣られて笑顔になる。
沈み行く日の光が、二人に道を教えるように影を作る。
サラは、その伸びた影を追いかけながら、楽しげに呟く。
「なんか、新鮮な気分だね」
「ルヴィエラはいつ来ても新鮮な気分になれる」
サラは呆れたようにファルを見た。
「そうなんだろうけど…ファルがさ」
「…敬語に戻しましょうか」
「ダメ!」
ルヴィエラの煌めき、人々の楽しげな雰囲気中で、一際楽しそうに笑うサラを、ファルは目に焼き付けるように見つめていた。
「ねえ、ファル。ずっとこんな風に楽しい旅、できるかな」
サラの満面の笑顔。
「そうだな。…できるといいな」
「うん!絶対できるよ!」
また駆け出したサラを、ファルへ遅れないように追いかける。
まだ消えない手の傷の感触を確かめながら。




