第二十七話:偽る笑顔は真心に溶かされ
王都を離れて三日。
アステリアの東へと続く街道は、険しい岩場を抜け、穏やかな麦畑が広がる平原へと差し掛かっていた。
ふと視界に開けたのは、小さな川沿いに建ち並ぶ、数件の藁葺き屋根。夕食の支度をする煙が、橙色に染まった空へと緩やかに昇っている。
「いい匂い…」
サラが思わず溢す言葉は、何かを思い出すような、そんな静かな響きを讃えた。
風に乗って届くのは、薪で炊いた米の匂いや、土の香りが混じった素朴な生活の香り。
「野営続きでしたし、今日は村に泊まらせて貰いましょうか」
ファルが村に足を向ければ、隣にいるサラも当然のように歩きだす。
橙色の夕焼けが、二人の歩いた道を辿るように伸びる影を作り出している。
「小さい村だけど、宿…あるかな?」
その問い掛けに不安の色はない。
どこか、楽しげな声。
「なければ馬屋でも借りますか」
明らかに冗談を交えたファルの声に、サラはファルの前に歩み出て振り返る。
「そういうのも、楽しいかもね」
サラが作った笑顔に、ファルが僅かな笑みで返す。
夜が迫り、家々の窓から漏れる灯火が、地面を斑に染め始めていく。
「…サラ」
「なに?」
「いえ、なんでも…」
夜に向かう涼しい風が、二人を撫でていく。
サラは少しだけ不満げに、でも確かに笑っている。
「ほら、早く行こう」
道端の草がサラの衣の裾を揺らし、どこからか聞こえてくる虫の声が、季節を感じさせた。
サラは、軽やかに歩き、ファルを引き連れるように村の入り口をくぐった。
村は、石畳もなければ、酒場もない。
今にも家族の笑い声が響いてきそうな、長閑な気配に包まれていた。
「宿、無さそうだね」
サラが辺りを見回しながら、ファルの先を歩く。
ファルは、その背と横顔を静かに見つめていた。
小さなその背中に、ファルはそっと手を伸ばそうとして、留まる。
王都で付いた手の傷は、まだ消えていなかった。
ファルは軽く息を吐いて、サラの隣に並ぶように前にでた。
村の奥へ進むほどに、家々の隙間から覗く生活の灯が、二人の足元を柔らかく照らしていく。
軽い砂を敷いただけの道は、歩くたびに微かな砂の音を立てる。
それがこの静かな村の呼吸と重なるようだった。
「……あの、すみません」
サラが足を止め、声を掛けたのは、村の端にある、ひときわ古い大きな家。
そこには看板こそないものの、軒先には雨風を凌ぐための小さな縁側が設えられている。
中から、柔らかく歳を重ねたであろ女性が出てきた。
「はいはい。…珍しくお客様かい?」
歳月を刻んだ女性の顔は、さぞ不思議そうに、二人の顔を見比べてから笑顔になった。
「あの、泊まるところを探してて、泊めて貰えないかなって」
サラが少しだけ遠慮気味な声に、女性は少しだけ笑い声を出した。
「こんな田舎の宿に来て、部屋が空いてないと思ったのかい?」
「ごめんなさい。看板、無かったから」
サラの返事を聞いて、女性がふと縁側に目をやると、申し訳なさそうに頭を下げた。
「こんな村だから、ごめんなさいね」
そう言いながら中へと案内してくれた。
「いいえ、こちらこそ。突然伺ってしまって……」
サラは慌てて首を振り、隣に立つファルを振り返った。
ファルは、入り口の鴨居に頭をぶつけぬよう僅かに腰を屈めながら、女性の視線を受け止めている。
その瞳は、いつもの峻烈さを隠すように伏せられていたが、漆黒の衣は暮れゆく村の景色の中で、ひどく際立って見えた。
中に入ると、青い牡丹一華が目に入った。
「食事、まだでしょう?できたら呼びますから。…部屋は2階の好きな部屋を使っていいですよ」
そう言って女性は奥に入っていった。
2階の角部屋、広くは無いが綺麗に整えられていたが、空の花瓶が宿の閑散とした歴史を物語っていた。
サラは窓を開けて大きく息を吸い込み、拳を思い切り握る。
夜の染まり始めた冷気が肺に染みる。
その痛みが、生きていることを教えてくれる。
「ファルにはどう見えてるの?」
「何がですか?」
サラは振り返り、ファルの視線から逃げるように目を閉じた。
静かに祈るような僅かな時間。
「私のこと…どう見えてる?」
サラの声は震えていた。
王都で知らされた事実が、サラの心にこびりついて離れない。
「サラは―」
「そうじゃない!」
サラがファルの言葉を遮った。
だが、ファルは驚きも見せずに目を閉じた。
まるで、サラの痛みが自分の内側にあるかのように。
「……強くて、明るくて…でも、甘えん坊で、寂しがりやで、凄く泣き虫な女の子、ですね」
サラの顔が少しだけ赤くなる。
「そ、そういう意味じゃ…」
ファルは決して、からかう顔をしていなかった。
ただ事実だけを述べようという、誠実な顔。
ただまっすぐに、声を震わせるサラを見つめている。
「ソフィアの代わりの人形なんて存在しません。…サラ、貴女は紛れもなく人間です」
「ほんと…ファルはずるいよね」
サラの顔は自然な笑顔になったのを見計らったかのように、宿の中は優しい食事の香りに包まれた。




