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虚飾の歴史に、夢は解けて。――二人の罪人は再演の旅を  作者: はる
【第二章】大罪への道標

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第二十六話:導は交わす言葉

玉座の間に舞う黒百合の花弁が、二人の境界を曖昧にするように降り注ぐ。


 振り払われた己の手を見つめ、一度だけ深く、闇を呑み込むように目を閉じたファル。


 静寂が広間を支配する中、彼はゆっくりと、重厚な衣を翻してその場に跪いた。

 神殺しの皇帝。

 世界の理そのものである彼が、誰に対してでもなく、ただ床に震え立つ一人の少女を見上げる。


「……守ると、約束しました。……私は……サラ……貴女を守りたい」


 優しさに、逃れられぬ運命を切り裂くような覚悟を滲ませた、透き通る声。

 その声が、サラの耳元で鳴り止まぬ「神の囁き」を力ずくで押しのけていく。


「サラ……貴女が、貴女でいられるように……」


 その黒い瞳も、うっすらと浮かぶ金の円環にも、かつて愛したソフィアの面影を追う色は微塵もなかった。

 ただ、自分を拒み、絶望に震える「サラ」という存在だけを、その瞳の奥に閉じ込めている。


「……嫌、……見ないで」


 サラは、己の胸を掻き毟るように抱きしめた。


 彼が自分を肯定すればするほど、自分という存在が彼を蝕む猛毒であるという事実が、サラの心に鋭い針となって突き刺さる。


「……サラ」


 ファルの手が、再び、今度はより静かにサラの足元へと伸びる。

 その指先は、彼女の影を繋ぎ止めるかのように床に触れていた。


「…貴女の笑顔も、流した涙も、私に向ているその怯えも、全て貴女だけのものです。……それを、偽物などとは、呼ばせない」


「然様か、あくまでその人形を『人間』として扱うか。滑稽を通り越し、もはや美しいと思えるな」


 立ち上がった国王が、嘲笑と共に手を掲げる。


 それが合図だと応じるように、広間を埋め尽くす騎士や魔術師たちが、一斉に魔術を行使しようと構える。


 彼らの口から漏れるのは、もはや人の言葉の感情などないような、地を這う呻き声であった。


 ファルはそれを無視して、静かにゆっくりと、サラに言葉を届けた。


「私はね、サラ…貴女が、貴女でいられるように、ずっと願っているんですよ」

 

 ファルが言い終えた直後、サラはファルが遠くにいるような感覚に襲われた。 


 まるで、何かを振り払うようにファルが立ち上がる。


「だから、こんな茶番は、仕舞いにしましょうか」


 ファルが振り返る直前の顔。

 それは、サラの知らない顔。

 何かを諦めた顔で、失う覚悟をした顔。


 直後、魔術師たちが玉間を埋め尽くすほどの鋭い光を放つ。


 だがそれは、目に見える亀裂を伴って砕け散った。

 一歩、また一歩と、ファルが前に出る。


 跪いていた時とは対照的に、その全身から溢れ出したのは、世界の重力そのものをねじ伏せるかのような圧倒的な威圧であった。


「貴様たちの企みなど、どうでもいい。……ただ、これ以上、この『娘』の心に土足で踏み入るというのなら…」

       

 ファルの黒い瞳にある金の円環が、漆黒の淵を湛えて国王を射抜く。


「貴様らのが享受してきた理も、命の制約も…全て消してやろう」


 ファルの放った言葉は、言霊となって玉座の間を侵食していく。


「いつまでも、留まった世界ではないと知れ」


 金の円環を湛えた漆黒の瞳。

 そこには、感情の熱も、孤独の色さえもない。

 ただ、そこにあるべきではない不純物を、根源から消去しようとする絶対的な意志だけがあった。


「囀ずるなよ…人間風情が」

 

 ファルとは思えない、無機質に紡がれた声。

 その声が、まるで陽だまりの中で揺れる蒲公英の綿毛を、ふわりと舞わせるような、優しくさえある風に変わる。

 閉ざされた玉座の間に、本来吹くはずのないその風が通り抜けた瞬間――。


 一人の魔術師の靴が、纏う法衣が、そして彼の肉体そのものが、音もなく『剥離』を始めた。

 

 悲鳴すら奪われた。


 魔術師の指先から、綿のように揺らぎ、宙を舞う。

 指が、腕が、胸が、ゆっくりと、白く乾いた綿となって、蒲公英の綿のように広がっていく。


 場を支配するのは恐怖という名の静寂。


「ファル……だめ…それ以上は…」


 小さく響いたサラの声さえ、今のファルには届かない程遠い。

 サラの中で、何かが潰れそうな程に、心が悲鳴を上げている。


「お願い…やめて……」


 サラは無意識に手を伸ばしかけ、その手が自分すらもファルの存在に震えていることに気付く。


「違う…違う…」


 必死に、ファルへの恐怖を振り払う。

 だが、ファルの背中はもう彼女の声を受け付けていない。 

 金色の円環が、冷たく、ただ機械的に輝いている。


 ついに一人の魔術師が存在を切り取られた。

 国王ですらも息を飲み、一人虚空へ呟いた。


「そん、な……神が、人を……」 


 そんな国王の前に、ファルが歩み寄る。

 憎悪も、慈悲も持たない金の円環が国王に迫る。


「制約は絶対だとでも思っていたか」 


 返答すら許されない、圧倒的な『何か』でしかないと思える程、今のファルはサラの知らないファルだ。

 

 国王の、宰相の言葉がそうさせたのか。

 サラがそうさせたのか。


「だめ…行かないで」


 届かない。


「ファル…お願い。一人に…しないで」


 まだ、届かない。


 サラは浅くなっていた呼吸を断ち切るように、拳を握りしめた。


「ファル……私は…」


 届けたい。


「…どこにも行かないから!」


 その叫びは、玉座の間に充満していた重苦しい空気を切り裂き、時を止めるように響いた。

 サラは、自分の震える拳を、更に強く握りしめる。

 指先は冷たく、心臓の音はあまりに速い。


 玉間に充満していた苦しいほどの空気が静まり、ファルが振り返る。

 ファルの視線が投げ掛けられた。


 無機質な視線。


 その無機質な視線を、サラは目を反らすことなく見つめ返す。


 ほんの一瞬だった。

 その瞳の奥で、金の円環が、僅かに——揺れた。

 まるで、遠くから聞こえるサラの声に、ほんの少しだけ応えようとするように。


 サラが次に絞り出した言葉は、まるで祈りのように、柔らかな色。


「だから…帰って来て」


 サラの視線の先、黒い瞳が僅かに光る。

 その黒真珠のような瞳が、ゆっくりと閉じられた。


 何かを吐き出すように、ファルの肩の力が抜けていく。


 次に開いた瞳は、サラのよく知る優しい視線を投げ掛けた。


「すみません。おいたが過ぎました…」


 場違いな返事。

 場違いな笑み。

 それが、嬉しい。

 それが凄く――。


「うん…おかえり」


「サラ、ただいま」

 

 玉間には恐怖と停滞を望む者ただけを残していく。

 植え付けられた絶望は、二人の足音と一緒に遠ざかっていった。

第二章 完

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