第二十四話:焼けぬ炎は揺らぎ、揺らぐ色は彼方へ
カイルとの決別を刻んだ回廊を抜け、二人は城の最深部、国を支える術式の枢軸へと足を踏み入れた。
そこは、天井の見えないほど高い石造りの円堂であった。
広間の中心。
そこに、男は立っていた。
他にも複数の騎士や魔術師がいるが、団長の指示を待っているのか、それぞれの武器に手を掛けた状態で待機している。
「……どんな無法者かと思えば…久しいな、サラ。」
その声は、無機質ながらも、ほんの少しの優しさが滲んでいた。
王宮魔術師団長。
サラに術のいろはを教え、その才能を慈しんだはずの男。
だが、サラに向けられたその瞳は、まるで何かを見定めるように鋭い。
かといって、憎しみや恐れがあるわけでもなかった。
「団長……。どうして…」
絞り出すようなサラの問いに、団長は眉一つ動かさなかった。
「どうして…か。所詮は、私もお前も国と言う大きな歯車を回すための小さな歯車だ。役目は、役目でしかない。お前は役目は所詮、お前の隣にいる『それ』の餌だ」
「なら、団長は…」
「つまらん問答はやめろ。与えられた役目を果たせ、サラ」
それは、サラが最も恐れていた答えだった。
尊敬していた師は、悪人ですらなかった。
ただの、感情を持たない国の駒。サラは奥歯を噛み締め、俯く。
怒りよりも、冷たい冬の雨に打たれたような寂しさが胸に広がっていく。
その時、隣に立つファルが、静かに一歩前へ出た。
「……役目ですか。なら私も、役目を果たしましょうか」
その声は、驚くほど穏やかだった。
サラにお茶を淹れてくれる時や、森で不器用に笑う時と同じ、柔らかな響き。
ファルは、団長を見据え、どこか場違いなほど優しげな笑みを浮かべた。
「貴様の役目は、遥か昔に終わっている。そろそろ退場願おうか」
団長が淡々と話しても、ファルは自分の姿勢を崩さず、団長を見据え、また一歩踏み出した。
ファルの周りが静かに揺らめく。
「役目とは、立場で変わるものですから。貴方に私の役目を決められても困りますね」
「……戯れ言を。なら、貴様の役目はなんだ」
団長が初めて、その表情を僅かに歪めた。
「仕返し、ですかね」
ファルのその返答は予想できなかったのだろう。
団長は驚いたように、一瞬だけ眉を寄せた。
「貴様が、森で起きた雑事如きで仕返しだと?」
雑事、その一言でファルは、サラですら悪寒を覚えるほどの気配を放つ。
「言葉が過ぎるぞ、『人間』」
ファルの声が、腹に響く程の重さで広間に木霊した。
そして、騎士や魔術師たちの声にならない恐怖の感情が場を支配する。
団長は一瞬で間合いを取り、次の瞬間にはファルを炎で包んで見せた。
サラも一度だけ目にした事のある団長の炎。
目標のみを灰塵に帰す煉獄。
だが――。
「……火遊びは良くないな」
ファルの冷たい声が、響く。
団長が作り出した炎は何も燃やさず、ただそこにあるだけ。
熱を奪われ、ただの赤い揺らめきがそこにある。
団長の目が驚愕したかのように見開かれた。
術が解け、円堂に静寂が戻る。
ファルはゆっくりと団長に歩み寄る。
目の前で足を止めると、ただ静かに、彼の手元にある師の象徴であった杖を指先で弾いた。乾いた音を立てて杖が朽ちていく。
「まだ、貴方程度に燃やされる訳には行かないんですよ」
ファルの口調が穏やかになるが、団長の手は僅かに震えている。
だが、団長の視線は、僅かに焼けたファルの手の甲を見ていた。
「まだ……か。そうか」
団長は、自らの術が児戯のように扱われたことに対し、取り乱すことはなかった。
ただ静かに両手を下ろし、自らの敗北を認めるように目を閉じた。
「……サラ。お前の役目は、そこにあるのだな」
その言葉は、初めて団長自身の声として響いた気がした。
「はい。だから、私はここにいるんです。邪魔を…しないで下さい」
団長の顔が、何処か満足気に見えたのは、サラだけではなかった。
サラは、道を譲るように佇む団長の横を通り過ぎる。
その時、本当に小さい、サラにだけ漸く聞き取れる声で、団長が呟いた。
「サラ、すまなかった」
一度だけ、彼を振り返り、けれど何も言わずに前を向いた。
ファルが優しく手を差し出す。サラはその手をしっかりと握り返し、虚ろな師を残したまま、広間を後にした。




