第十九話:事実の裏の真実へ
アステリア王都、正門。
かつてサラが王宮魔術師として、あるいは一人の少女として、誇りとともに何度もくぐり抜けたその場所。
だが今は、石造りの重厚な門の前に、幾重もの兵士が立ち並び、鋭い槍の穂先が陽光を弾いている。
その背後には、魔力の揺らぎを敏感に察知する探知魔導具を携えた、かつての同僚たちの姿もあった。
壁に貼られた何枚もの人相書き。
そこには、蒼銀の髪をなびかせた「魔女・サラ」の顔と、正体不明の「黒衣の男」の姿が、呪いのように描かれている。
「……私、あんなに人相悪くないよね?」
群衆に紛れ、外套を深く被ったサラが、不満げな顔でファルにだけ聞こえる声で呟いた。
冗談でも言わなければ、心臓の鼓動が門兵にまで聞こえてしまいそうだった。
「鋭い目付きの貴女も魅力的……かもしれませんよ」
ファルの低い声が、笑いを堪えたように震えている。
「怒るよ?」
「すみません」
二人は場違いな会話をしながら、ゆっくりと階段を登るような足取りで検問へと進んだ。
ついに、二人の番が来た。高圧的な態度で並ぶ人々を捌いていた門兵が、二人の前に立ちはだかる。
「よし、そこで止まれ」
兵士の手が、サラの肩を乱暴に掴もうとすると、ファルがその間にすっと割って入った。
「私の連れに乱暴はやめていただけますか?」
かつてはサラを敬礼で迎えたはずのその手。
だが、今は明確な害意を持って彼女を捕らえようとしている。
「外套を取れ。顔を見せろ」
拒否する間もなかった。
兵士の無作法な手が、ファルとサラの外套を強引に引き剥がす。
白日の下に晒された、二人の「素顔」。サラは思わず息を呑み、固まった。
正体が露見した絶望ではない。
その場にいた誰もが、彼女を「サラ」だと認識しなかったからだ。
外套の下から現れたのは、蒼銀の髪ではない。
どこにでもいるような、地味で目立たない「赤茶色の髪」をした、村娘のような少女だった。
そして隣に立つのは、不吉な黒髪の男ではない。
落ち着いた「濃灰色の髪」をした、どこか知的な雰囲気を纏う青年。
兵士は手元の指名手配書と、目の前の赤茶色の髪の少女を何度も見比べた。
魔導具も反応しない。
ファルの力が、この世界の魔術体系では決して測れないものであることを証明していた。
「……ふん、似ても似つかんな。さっさと行け、邪魔だ」
兵士は吐き捨てるように言い、次の通行者に意識を移した。
ファルが落ち着いた様子で兵士に一礼し、二人で門をくぐった。
鉄の門を越え、王都の雑踏の中へ。
そこには以前と変わらぬ賑わいがあり、露店からは香ばしい匂いが漂っている。
けれど、サラにとっては、空気の一つひとつが毒のように冷たかった。
石畳を叩く馬車の音、道行く人々の笑い声、噴水の水飛沫。
かつては安らぎを感じさせていたそれらすべてが、今の自分を追い詰める凶器のように思える。
自分が知っているはずの街を、「別人」として歩く違和感。
サラは無意識のうちに、自分自身の赤茶色の髪を一房掴み、その手触りを確かめた。
「……赤茶色か。鏡がないから分からないけど、似合ってる?」
「ええ。とても可愛らしいですよ」
人混みに紛れながら、他愛もない話をしている二人だが、外見がどれほど変わろうとも、互いの居場所を見失うことはない。
「とりあえず、宿を探しましょうか」
「うん。王都の宿なら良いところ知ってるよ」
サラが数歩前に出て案内を始めた。
大通りを避け、路地をいくつか曲がった先。
そこもまた、サラにとっては懐かしい場所。
歩きながら、サラは背後にいるファルの気配を感じる。
彼の歩調は驚くほど静かで、それでいて確かな存在感を放っている。
ふと、彼の足が止まった。
サラが振り返ると、数歩遅れて歩いていたファルが、王都の中央にそびえる白亜の王城を見据えていた。
夕暮れに近い光を浴びて輝くその城の、さらに奥。玉座のさらに深淵にある、この世界の歪んだ記憶を見つめるように。
「ファル?」
視線の先、かつてはサラの居場所でもあった場所。
「お城に何があるの?」
「何も……ただ、知っておいてほしいんですよ」
「何を?」
ファルはサラの目をしっかりと見てから、その口を開こうとした。が、ふと周囲の雑踏に意識を向け、わずかに眉を寄せた。
「……人が多すぎるので、宿で話しましょうか」
「うん、わかった」
二人は王都の喧騒を縫うように、足早に歩いた。
サラの心臓は、宿への距離が縮まるにつれて、期待よりも不安で早鐘を打っていた。
ファルが「知っておいてほしい」と言う真実が、どれほど重いものなのか、今のサラには想像もつかなかった。
やがて、目的とした宿に到着した。
使い込まれた木の扉を開けると、檜の香りが鼻を擽る。
主人は愛想良く振る舞い、ファルに宿泊費の説明をし出した。
「少しだけ待っていて下さいね」
ファルが主人にそう告げサラに向き直る。
「どうしたの?」
「私と同じ部屋でも良いですか?」
散々二人旅で夜営していたのに、今さら何を気にしているのだろうと、サラは少しだけ笑いが零れた。
「いいよ、同じ部屋で」
「分かりました」
ファルが宿の主人に向き直り、静かに金を置くと、余計な追及をすることなく鍵を差し出した。
二階の一番奥、角部屋。
大通りから少し逸れた場所なので、静かで、それでいて日当たりも良い。
「良い宿ですね」
「でしょ。初めて私が王都に来た時に…ね」
「そうですか」
サラが少しだけ言い淀むが、ファルは追求しない。
少しだけ寂しげな笑顔を見せるサラ。
それは、ファルの気遣いへの感謝でもあった。
ファルが偽りの姿を解くと濃灰色の髪が溶けるように本来の漆黒へと戻り、金色の円環が暗がりで微かに光った。
サラは、自らの姿を鏡で確認して、改めて不思議そうに髪を弄ってから、置かれた椅子に腰を下ろす。
「……さっきの続き、話してくれる?」
ファルは窓辺に立ち、遠くに浮かぶ王城のシルエットを見つめたまま、静かに、けれど逃げ場のない声で言った。
「サラが、私と初めてあった日に、何故殺されなければならなかったのか。その理由を、知っておいてほしいんですよ」
サラの背筋に、冷たいものが流れた気がした。
王都の喧騒が、恐ろしいほどの重圧を持って二人を包み込んでいた。




