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虚飾の歴史に、夢は解けて。――二人の罪人は再演の旅を  作者: はる
【第一章】二人の罪人

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第二話:昨日の終わり

 どれほどの時間が過ぎたのか。


 風を切る音。

 抱きしめる腕の熱。

 そして静かな夜の匂いだけが、サラの意識を繋いでいた。


不意に視界が開け、サラは柔らかな敷物の上に横たえられた。


そこは、古い遺跡の影だった。


「……ここ、は」


「古い遺跡ですよ。…安心してください」


 その瞳の奥に、細く輝く金の円環が浮かんでいた。


 底知れない闇の中に、まるで星を閉じ込めたような光の輪。


 一瞬、恐怖を忘れて見惚れてしまった。


 ふと我に返り、サラは慌てて視線を逸らす。


「安心……? そんなわけ、ない……」


 震える声で体を抱きしめた。

 

「…私は何も……」


 身体を抱き締めた手も、声も、震える。


 嗚咽が、止まらない。


 言葉に、できない。


 サラは顔を覆い、子供のように泣きじゃくった。


 ファルは何も言わず、ただ焚き火を見つめていた。



 やがて、サラが掠れた声で問いかける。


「……あなたは、誰なの。どうして私の名前を、そんな風に呼ぶの」


 ファルはゆっくりと視線を戻した。


 金の円環が、優しく光を放つ。


「さあ、なぜでしょうね。…私にもわかりません」


 ファルは指先で、サラの頬を伝う涙をそっと拭った。


 指先は、僅かに震えていた。


「お疲れでしょう。今日は休みましょう」


 穏やかな声が胸に染みる。


 その言葉に、サラの意識は深い疲労とともに沈んでいく。


 隣に、感じる筈がない安らぎ。

 それが、サラの意識を、知るはずのない、深い眠りへと誘っていく。



 ――気づけば、眩しいほどの陽光の中にいた。

 冷たい遺跡ではなく、白い石造りの露台。


 自分が誰かに、問いを投げかけている。


 向かい側に座る青年。

 陽光に透けるような豪奢な法衣。

 この上なく愛おしそうに目を細めたことだけは、分かった。


『必ず守る』


 穏やかな笑い声。

 

 胸が締め付けられるほどの充足感。


 ずっとこの時間が続けばいい。

 ――そう願った瞬間、視界が音もなく割れた。


「…………っ」


 目を開けると、現実を突きつけられた。


「……何の、夢……?」


 サラは自分の頬を伝う熱いものに触れた。

 あんなに幸せで、あんなに切ない感覚。

 けれど、意識が覚醒するにつれて、その内容は砂が指の間をこぼれ落ちるように不鮮明になっていく。


 唇の感触だけが、非現実的な熱を持って残っていた。


「目が覚めましたか」


 静かな声に、サラの肩が跳ねる。


 少し離れた場所に、ファルが立っていた。

 

 そして、古びた遺跡の静寂だけがそこにあった。


「……今、誰かと話、してた?」


「いいえ。私はただ、貴女が起きるのを待っていただけですよ?」


 その返事を聞いた瞬間、サラの喉の奥に得体の知れない違和感がせり上がった。


 夢の内容は、目覚めと共に霧の彼方へ消えかけている。

 誰と何を話していたのか、細かな記憶はもう手の中からこぼれ落ちていた。


 それなのに――。

 ファルの慇懃なまでに丁寧な物腰を聞くたび、小さな違和感を覚える。

 少しずつ広がるような、熱を帯びた響きが耳の底にこびりついている。


「あなた、本当は……」


 無意識に口をついて出た言葉に、ファルは小首を傾げた。

 その表情には、偽りも隠し事も感じられない。

 ただ、不思議そうにサラを見つめ返している。


「本当は…?」


「……なんでもない」


 ファルの振る舞いのせいで、サラはそれ以上何も言えなくなった。

 自分の感覚の方が狂っているのだと、無理やり自分を納得させる。

 

 ファルはそれ以上追及することなく、淡々とした手つきで足元に置かれた外套を指し示した。


「身支度が済んだら出発しましょうか」


 森の空気は冷たく、湿っていた。

 サラは用意された服に身を包み、ファルの隣を歩く。


「どこに行く気?」


「遺跡観光…ですかね」


「なにそれ…」

 

 そんなサラの呟きを笑顔で流しながら、ファルが歩調をサラに合わせていた。

 自然過ぎて感謝を述べる事が変に思えた。


 サラは歩きながら、冷静さを取り戻そうと必死になる。

 しかし、昨夜世界の理を無視して見せたファルの力の残像が、雑音のようにサラを乱している。


「ねぇ…昔、会ったこと、ある?」


「不思議な事を言いますね?」


 また、不思議そうにサラを見る視線が、余計にサラを混乱させる。

 だが、その混乱は、よく知る声によって断ち切られた。


「――サラ」


 森の出口、一瞬にして周囲の木々から影が降りたった。

 白銀の軽装鎧を纏った魔術師達。


 その中心に立つ男を見て、サラの息が止まった。


「カイル……?」


 サラに刃を向けたのは、サラが信頼を置いている同期の魔術師だった。

 そのカイルが、今は同様を隠した瞳で、つい昨日まで慕っていたサラに魔導弓を向けている。


「投降する気は、ない…よな……」


 カイルはサラの隣にいるファルに一瞬だけ視線を送る。


「待って、私は何も――」


 サラの言葉を遮るように、カイルが合図を出す。

 同時に、数多の魔導矢が放たれた。


 空気を切り裂く高音。


 サラは反射的に防御壁を構築しようとしたが、絶望と裏切りへの動揺が喉をつかえさせる。


「あ……」


 指が動かない。


 死の予感が視界を白く染めた。


 その瞬間、視界を遮るように、黒い背中が割り込んだ。


 ファルが、一歩、前に踏み出す。


 武器を持たず、呪文を唱えることもない。


 ただ、圧倒的な威圧感。


 静かに、けれど心の最深部まで響く声。


「大丈夫です。貴女は私が、必ず守る」


 サラの脳裏に、今朝見た夢の声が鮮烈な色彩を持って蘇った。


 ファルの唇が、同じ言葉を紡ぐ。


 愛おしげに細められた瞳。


 それは、夢と現実の境を曖昧にする。


 揺るぎなく。


 響く。


 現実から引き剥がされた感覚。


 サラの瞳は、悠然と立つファルの背中を捉えていた。


 そして、サラの視線がファルの背中を越える。


 魔術師としてのサラの理性が、必死にその現象を理解しようとする。


 理解すら許されないような、静かな、支配。


 ただそこに在るだけで、自分に向けられたものを、全て、無意味な塵へと変えていく。


「人の話はしっかり聞くものですよ。少年」


 ファルの無機質な声が響く。


 何もかも、音すら奪われたように、塵になる。


 理解不能な強大すぎる力なのに、優しすぎる。


 向けられた殺意も、恐怖も拭っていく。


 自分を守るように立つファルの背中から伝わる、正体不明の熱が、サラを包み込む。

 

 朝の違和感は、もう消えている。


 サラの瞳には、ただ目の前に立つファルの背中だけが映っていた。


 理由さえ分からないまま、魂がその言葉を―― その背中を、待ち望んでいたかのように、サラの胸の奥で何かが熱く、激しく震えていた。

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