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虚飾の歴史に、夢は解けて。――二人の罪人は再演の旅を  作者: はる
【第二章】大罪への道標

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第十八話:孤独は互いの名に隠して

 朝の光に照らされた楡の葉から、朝露が一滴、音もなく地面に落ちた。


 それは、サラを愛する両親が流した涙か。


 それは、夜の帳に紛れて故郷を捨てたサラが、最後の一歩で振り落とした別れの涙か。


 陽光を浴びて宝石のように煌めいたその雫は、渇いた土に吸い込まれ、一瞬で姿を消した。

 あとに残ったのは、冷たい空気と、二度と戻ることのない静寂だけだ。

 

 ファルは、その雫が落ちた場所をじっと見つめていた。

 彼の漆黒の衣は、朝の光の中でもなお、周囲の景色から切り離された異物のように沈み込んでいる。

 数千年の時を止めたままの彼にとって、一滴の雫が土に還るまでの時間は、瞬きほどの内容もないはずだった。

 けれど今、その隣に立つ少女の呼吸だけが、彼をこの「現在」へと繋ぎ止めている。


「……行きましょうか。サラさん」


 楡の木陰、長い夜を越えて待っていたファルが、静かに声をかけた。


 サラは一度だけ、遠くに見える村の家並みを振り返った。

 朝靄の向こう、慣れ親しんだ赤い屋根の家々が、ミニチュアのように小さく、そして脆く見える。

 煙突から少しずつ昇り始めた朝食の煙が、平穏な一日の始まりを告げていた。

 ただひとつ、煙の昇らない家。

 まるで日常という名の絵画から、そこだけが残酷に切り取られたような場所。

 その静止した光景が、サラの視線を釘付けにする。

 胸の奥が、ぎゅっと握りつぶされるように痛んだ。

 けれど、その視線を断ち切るように、サラは前を向いた。


「うん。行こう、ファル」


 彼女が選んだのは、温かなスープが待つ食卓ではなく、長い孤独を旅してきた男の隣。

 その懐へと踏み込む、対等な「共犯者」としての道。


 二人の歩みは、かつて彼女が仕えたアステリアの王都へと向かう。


 街道を歩く二人の間に、言葉はなかった。

 ただ、乾いた土を踏みしめる音と、風が草をなでる音だけが響く。

 サラは、自分が身に纏っている、以前にファルから贈られた衣の感触を確かめるように指先を遊ばせた。

 それは驚くほど軽く、それでいて彼女の心臓を守る鎧のように確かな重みを持っていた。


 不意に、サラの顔をファルが覗き込む。


「サラさん。お腹空いていませんか?」


 あまりに日常的で、場違いな台詞。

 だけど、その不器用な気遣いが、今のサラには何よりもありがたく感じられた。


「ん、少しだけ」


「では、これをどうぞ」


 ファルがその不思議な漆黒の懐から出したのは、紙に包まれた懐かしい焼き菓子だった。

 少し不揃いな形、香ばしく焼けた小麦と蜂蜜の匂い。

 それは、村のおばあちゃんが、サラが子どもの頃からよく焼いてくれたものだった。


「これ……どうしたの?」


「昨日、村を出る前に、知らないおばあさんがくれたんですよ」


「普通、知らない人から平気で貰う?……でも、そっか……」


 サラは震える指先で、その菓子を一つ受け取った。

 一口噛みしめると、素朴な甘みが口の中に広がった。

 その味は、泣かないと決めていたサラにはあまりに苦く、そして甘い。


 飲み込むたびに、置いていかなければならない懐かしい世界の欠片が、喉を焼くような感覚。


「我慢はしてはいけませんよ。一人ではないのですから」


 前を見据えたまま、ファルが静かに告げた。

 それは、数千年の孤独を抱え続けてきたファルが、自分自身に言い聞かせた言葉であり、同時に、すべてを捨てて隣に来たサラに贈った、彼なりの誓いでもあった。


「……馬鹿。ファルにだけは言われたくないよ」


「そうですね。すみません」


 ファルは否定せず、少しだけ申し訳なさそうに笑った。

 その微笑みは、朝日を浴びて透き通るような白さを持っていた。


 焼き菓子を食べ終えて、少しの静寂が訪れる。

 甘い後味を追いかけるように、今度はサラがファルの顔を覗き込んだ。


「ねぇ……ファル」


「なんですか、サラさん」


 サラは、その丁寧な距離感に、少しだけ不満を滲ませて、唇を尖らせた。


「もう……『サラ』でいいよ」


 ファルが、歩みを止める。


 少しだけ驚いたように目を見開き、金色の瞳が揺れた。それから、彼は噛みしめるように一度だけ頷き、いつもの、けれど少しだけ甘やかな慈愛を込めた表情に変わる。


「そう、ですか。分かりました。サラ」


 その響きに、サラの心臓が小さく跳ねた。


「うん、それでよし」


 自分の名前を、こんなにも優しく、壊れ物を扱うように慈しんで呼んでくれるのは、もうこの広い世界にファルしかいない。

 それを心臓の奥で噛み締めるように、サラはゆっくりと目を閉じて、肺にある冷たい空気を全部吐き出すように大きく息を吐いた。


「一生、そう呼んでね? 」


「大袈裟ですね。名前を呼ばれる事がそんなに嬉しいですか」


 ファルが楽しげに、鼻先を小さく鳴らして笑う。

 その軽やかな仕草に、サラはいたずらっぽく笑みを返した。


「いつかの仕返しだよ」


「ああ……。そんなこともありましたね」


 ファルは納得したように手を打った。

 

 

 互いの孤独を誤魔化すかのように、朝日は、ただ二人の笑顔だけを眩しく包み込んでいた。

第十八話を読んで頂きありがとうございます。


いよいよ二人は王都へ。

サラは王都で何を見て、何を知るのか。



二人の旅を応援して下さる方はブクマ、評価を頂けたら幸いです。

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