第十七話:「ただいま」の在処
一時の温もりのあと、サラが本当の一歩を踏み出します。
それは、別れの一歩と、共に歩む一歩
一頻り泣き腫らした後の視界は、ひどく透明だった。
自分を無条件に受け入れてくれた両親の温もりに、心の底からの感謝を笑顔に込めた。
「お母さん、美味しい……。本当に、懐かしい味」
「当たり前でしょ。サラが一番好きだったスープ、張り切って作ったんだから。さあ、冷めないうちにたくさん食べて」
母親の作る具沢山のスープは、王宮で口にしたどんな高級料理よりも身体に染み渡った。
湯気の向こうで、父は少し照れくさそうに酒を煽り、村のとりとめもない話を語り続ける。
そこには、神も、罪も、血の匂いもない。
サラが三年前に確かに持っていた、十七歳の少女としての当たり前の団らん。
「今日はもう遅い。サラ、自分の部屋の布団は干してあるから、泊まって行きなさい。……まぁその……仕事は一度忘れて、ゆっくり休むといい」
父の優しい気遣いの言葉に、小さく微笑み、「ありがとう、お父さん」と答えた。
二階にある自室は、三年前のあの日から時が止まっているようだった。
机に置かれた小さな魔導具の模型。
使い込まれた筆。
ふかふかの布団。
横たわれば、すべては悪い夢だったのではないかと思えてくる。
(……また、帰ってきたかったな……)
重い瞼を閉じ、眠れぬ闇へ意識を飛ばす。
夜が更けるにつれ、その安らぎは鋭い棘へと変わっていった。
窓から差し込む青白い月光が、床に置かれた「汚れた靴」を照らしている。
その靴を履いて、自分はどこを歩いてきて、何を知ったのか。
ほんの一時ではあったが、余りにも長い旅に思えてくる。
ふと目を開け、灯りの消えた村を窓から眺める。
今も独り、闇に溶けそうなほど孤独な瞳で待っている「彼」は今、何を想っているのか。
(私、行かなくちゃ……)
少しの後悔はある。
未練なんて、山程ある。
でも、この温かな布団の中に留まることは、終わりのない孤独と絶望へ、彼を突き落とすことと同義だ。
彼は、許してくれるという確信は、ある。
でも、留まる事を選べば、山程の後悔と、耐えきれない程の未練を残す。
サラは音もなく起き上がると、ファルから貰った衣を纏った。
眠る両親を起こさぬよう、筆を手に取り、一枚の紙に震える手で言葉を綴る。
『お母さん、お父さん。
何も聞かずに受け止めてくれてありがとう。
お母さんの作ってくれたスープ、本当に美味しかった。
子どものころから大好きだったのを覚えててくれて、ありがとう。
いつか、作り方聞きたかったな。
お父さんの手はやっぱり大きくて、優しくて、頭撫でてくれて、凄く嬉しかったよ。
それなのに、いつもはふざけて、汚れてるからやめてって嫌がってたよね。
本当は、嫌じゃなかったんだよ。
もう、撫でて貰えないと思うと、寂しいよ。
私、行くね。
犯罪者になっちゃったけど、私は自分の決断に胸を張れる自信があるから。
行かないと、私は私を許せなくなると思うから。
二人の娘として生きられた日々は、私の自慢だよ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
お父さん、お母さん……さようなら』
涙で滲んだ手紙を机の上に置き、サラは一度も振り返らずに部屋を出た。
階段を降り、玄関の扉を閉めるその瞬間まで、涙は止まらなかった。
(この涙は、ここに置いていくよ……)
まだ寒さの残る夜は、何処か寂しげで、別れを惜しむように、夜露に濡れた草が足首を冷やす。
だが、足取りは重くない。
楡の木の下。
そこには、月明かりを吸い込むような漆黒の衣を纏ったファルが座っている。
まるで、自ら消えることを願っている影のように。
サラの足音に気づくと、彼はゆっくりと顔を上げた。
その表情は、彼女が戻ってきたことへの純粋な「喜び」と、サラには分からない「絶望」が入り混じり、歪んでいた。
愛おしさと、悲痛さが同居した、見たこともないような複雑な微笑み。
「……サラさん。お帰りなさい」
その声は、震えていた。
サラは、もう泣かなかった。
ただ、彼の隣に歩み寄り、冷たい漆黒の袖をそっと掴む。
「……ただいま、ファル」
夜明け前の蒼い静寂の中、二人の影は重なり、二度と戻れぬ大罪への道標を辿り始めた。
第十七話を読んで頂きありがとうございます。
村に訪れてからの「ごめん」と「手紙のごめん」は、サラにとって大きな意味のある言葉でした。それは果たして、両親にとどいたのか。
そして、今まで「ただいま」を言えなかったサラが、ようやく「ただいま」と言った相手はファルでした。
居場所を決めたサラが、ファルと共に次に向かうのは、今は敵地となってしまった王都となります。
王都で二人を待ち受けるものとは……。
二人の旅を応援してくださる方はブクマ、リアクション等いだけたら励みになります。宜しくお願いします。




