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虚飾の歴史に、夢は解けて。――二人の罪人は再演の旅を  作者: はる
【第二章】大罪への道標

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第十五話:重ねる言霊は、虚実の昨日から真実の明日へ

 昼の光は艶やかに街道を照らし、二人の罪人を歓迎しているように煌めく。


 目の前はアステリアの国境。

 国境と言っても、アステリアを出るときに通った国境とは違い、少し大きい村があるだけの辺境の地である。

 だが、その村は、サラにとってこの上なく大切な場所だ。

 三年程前に王宮の術師になると村を出たきり、一度も帰っていなかった故郷。


「凄く、懐かしいな……」


 そう呟いたサラの頬には、日の光に照らされた雫が煌めく。


「立ち寄っていきますか?」


 サラの僅かな変化にファルが唐突に提案すると、意表を突かれたサラは、綺麗な瞳を一瞬だけ瞬かせる。


「え……でも……もう、帰れないよ」


「怖い、ですか?」


「……うん。怖い…」


 村の人たちも、両親ですらも、自分を拒絶するのではないか。

 そんな思いが、サラの足を竦ませる。


 アステリアの法では、個人の罪は家族に及ぶことはなく、その点については特に心配はしていない。

 だが、会うとなれば別問題だ。


 サラは、無意識に自らの衣の裾を強く握りしめた。

 誇りを胸に村を出たあの頃の自分はもういない。 

 今のサラは、神を殺した男と共に歩み、かつて信じた正義を捨てると決めた、一人の罪人に過ぎない。


 ファルは、サラの視線が一点に釘付けになっていることに気づいた。


 村の入り口、街道の脇にある木陰で、一人の男が農具の手入れをしている。


 日焼けした逞しい腕。


 サラの記憶にある通り、土の匂いがしてきそうな、少し大きな背中。

 三年という月日のせいか、その背中が少しだけ小さく見える。

 だがそれは、間違いなくサラの父親であった。


 父親は、ふと手を休めて顔を上げた。

 眩しそうに目を細め、村の入り口に立つ二人を見つめる。

 その視線が、震えるサラの瞳と、真っ直ぐに重なった。


「……ぁ……」


 サラの喉から、掠れた声が漏れた。


 ファルは、サラがほんの僅かに歩みを戻したのを見て、そっと肩に手を添えた。

 その手が、綿すら潰せない程の力で、「いってきなさい」と囁く。


 父親は、見間違えるはずのない娘の姿を認めると、驚きに目を見開いた。


 手にした道具を置き、慌てて立ち上がる。

 その顔に刻まれているのは、日々の暮らしの中で培われた、深く温かい慈しみの色だった。


「……サラ、なのか」


 父親は、泥のついた手で腰を叩き、信じられないものを見るように一歩踏み出し、徐々に早足になり駆け出す寸前で足を止めた。


 かつてのサラであれば、真っ先に駆け寄っていただろう。

 けれど今は、罪を着せられ、罪を犯すという意識が彼女を縛り付けている。


「……ぅん……ごめん、私……」


 溢れそうになる涙を堪え、サラは声を震わせた。


 拒絶の言葉を待つ彼女に対し、父親はただ、三年前と同じ穏やかな声で、そっと目を細めた。


「……帰ってきてたんだな。……えっと、その…なんて言うか……」


 言葉を必死に絞り出そうと、首を上へ下へと彷徨わせる仕草をするサラの父親だが、視線だけはしっかりと愛娘を捉えていた。


 そんな父親が軽く息を吐く。


「……おかえり、サラ……夕飯、食ってくか?」


 父親の選んだ一言はあまりに日常的で、ありのままのサラを無条件に受け入れようとする。

 それが、張り詰めていたサラの心を一瞬で解いてしまった。サラは、堪えていた雫が再び溢れるのを止めることができなくなる。


 溢れ出した感情は、王宮で張り巡らせていた魔術師としての意地も、罪人としての覚悟も、一瞬で押し流してしまった。

 今ここにいるのは、ただ立ち尽くし、涙を零す一人の娘だった。


 父親は、そんなサラの心情を知ってか知らずか、いつものように大きな手でサラの頭を撫でようとして――ふと、自らの汚れた手に気付き、空中でその動きを止めた。


 土と泥にまみれた、無骨な農夫の手。


 三年前、村一番の秀才として王都へ送り出した、汚れ一つない銀の髪を持つ自慢の娘。

 立派な服を纏い、胸を張って一人立ちした娘。

 それが、まるで農作業でもしたかのように汚れた靴を履き、今にも割れてしまいそうなガラス玉のような姿で帰ってきた。

 そんな娘でも、汚してはいけない。

 そう思ったのか、父親は苦笑いを浮かべ、上げた手をぎこちなく下ろそうとした。

 だが、その手を止めたのはサラだった。


 サラは父親の汚れを気にする様子もなく、その無骨な手を自らの頭へと引き寄せ、縋るように額を押し当てる。


「……ぅ……っ……ごめん、なさい…」


 サラの嗚咽は、村の静かな空気にすら飲まれて見失いそうな程小さい。


 父親は、そんな娘の涙を、戸惑いながらもしっかりと受け止め、手の汚れを気にするのをやめて、優しく、本当に優しく、サラの頭を撫でた。


 その光景を、ファルは少し離れた場所で、静かに見守っていた。

 彼が纏う漆黒の衣は、春の香りが微かに感じられる陽光の中でも、そこだけ切り取られた夜のように深い。

 親の情愛等と言う温もりは、遠い過去に置き去りにしてしまった彼にとって、目の前の光景は眩しすぎて、直視することさえ躊躇われるほどに尊いものだった。


 サラが自分の存在を忘れて泣きじゃくる姿を、柔らかな眼差しで見つめた後、音もなく数歩、後ろに下がった。

 今の彼女に必要なのは、神の加護でも、共犯者の言葉でもない。

 ただ、自分を無条件に愛してくれる肉親の温もりなのだ。


 ファルは、再会を喜ぶ親子の邪魔をせぬよう、農道の脇にある古い楡の木陰へと身を寄せた。

 そこは、二人の会話が届かないほど遠く、それでいて、何かあればすぐに駆けつけられるほどには近い場所。

 ファルは一人の旅人として、あるいはただの傍観者として、静かにその場に溶け込んだ。


 しばらくして、少し落ち着いたサラを伴い、お父さんが家の扉を開けた。


「帰ったぞ!」


 父親の逞しい声が家の中に響く。


 すると、家の奥から何度も聞いていた言葉と声が、懐かしく返ってくる。


「おかえり! 湯浴みの準備出来てるから!」


 サラが「ただいま」と言う一言が言えないでいると、父親がサラの頭に優しく手を乗せ、母親の名前を呼ぶ。


「レア! 今日は最高の日なんだから、出迎えぐらいしてくれよ!」


 名前を呼ばれた母親がそれに答えながら、少し忙しそうな足音を立て、優しく明るい声で近づくが、途中で途切れた。


「もう、なに訳の分からないこと……言……て……っ!」 


 母親の言葉が、途切れたまま静寂に消える。


 手にしていた布巾が床に落ち、湿った音が一度だけ響いた。

 音と一緒に、サラの肩が僅かに震える。


「……サラ?」


 絞り出すような母親の声。


 三年前、自慢の娘だと送り出した時の、凛とした姿ではない。

 怯えるように下を向き、微かに肩を震わせ、今しがた泣いたであろう顔で、立ち尽くす娘の姿。

 まるで、悪いことをしたことがバレて叱られている子供のような娘を、母親は言葉より先に抱き締めた。


 サラは、自分を叱るでもなく、ただただ温もりを与えてくれる母親の見せる無償の愛に、吸い込まれるように身を委ねた。


「お母さん……っ、ごめんなさい……ごめんなさい……」


 母親の温もりは、覚悟と言う楔を抜いてしまいそうな程にサラの心を、芯から溶かしていく。


「馬鹿ね……帰ってきたら『ただいま』、でしょ?」


 サラは母親の肩に顔を埋め、まるで幼子に戻ったかのように、声の限り泣きじゃくった。

 そこには、元王宮魔術師としての矜持も、罪人としての覚悟もない。


 ただの十七歳の少女としての素顔があった。


 父親は、そんな二人を眩しそうに見守りながらも、ふと開いたままの扉の外へと目をやった。

 日が傾くにはまだ早い村の農道の先。楡の木の影に、一人佇む青年の姿がある。


 父親は少しだけ眉を寄せた。娘を連れてきてくれた恩人だろうか、それとも――。


 まるで、木漏れ日が青年に感謝を捧げるように瞬いている。


 青年は目が合うと、綺麗な所作で深々と礼をして、その場から離れていった。


 その異質な美しさと、あまりに深い何かをまとっているような姿に、人としての本能的な畏怖が微かに疼く。

 しかし、今は娘の涙を止めるのが先だった。

 父親は静かに扉を閉め、外の世界と、家族の時間を切り離した。


 木陰に立ち去ったファルは、扉の閉まる乾いた音を、穏やかな微笑みと共に聞いていた。

 家の中から漏れ聞こえる、むせび泣く声と、それを宥める親たちの慈愛に満ちた言葉。


 村の入り口に戻ったファルは、ゆっくりと目を閉じる。

 彼にはもう、二度と手に入らない温度。

 遥か遠い過去に置き去りのまま、忘れてしまった小さくとも確かな人の灯。


「……人の心はいつも、こんなにも美しいというのに、どうして『私』や『世界』は、こんなにも残酷なのか……」


 その呟きは、誰に届くこともなく夜風に消えた。


 サラが選んだ残酷な『世界』で、今この瞬間だけは、彼女が「罪人」であることを忘れられるように。

 ファルは一人、深い夜の底へ沈んでいく村の静寂に身を浸していた。

読者の皆様が気付いて下さることを願って…。


次回、第十六話

宜しくお願いします。

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