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虚飾の歴史に、夢は解けて。――二人の罪人は再演の旅を  作者: はる
【第一章】二人の罪人

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第十話:嘘が嘘になる時

 白亜の大階段。

 まるで天を貫く意志を持つかのように、垂直にそびえ立っていた。

 そこは帝城へと続く、この世界で最も奥深く、最も高い場所。


 見上げる空は重く灰色に光る。

 見る者の心まで凍てつかせてしまうような雪が、絶え間なく降り注いでいた。

 しかし、この階段の周囲にだけは、一片の雪も、一粒の塵も、落ちることはない。

 別世界にあるような濃密な静寂が横たわっていた。


「……あ」


 サラは、階段の中ほどで足を止めた。


 ――視線の先。


 白の石畳の上に、一人の女性が横たわっている。

 それは「遺体」と呼ぶには、あまりに生々しく、あまりに鮮やか。


 腹部を貫いた凄惨な傷口からは、たった今溢れ出したばかりのような、熱を孕んだ赤が石畳を濡らしている。

 触れれば、まだ確かな体温すら残っているのではないかと思わせるほどに。


 名前すら知らない。

 見知らぬ女性。

 けれど、その人はサラと全く同じ顔、同じ髪、同じ指先をしていた。


 その瞬間で時を止められたように。

 今まさに絶命したかのように。

 今も泣き続けているかのように。


 その苦痛に満ちた表情の奥底。

 まるで、愛しい者の腕の中にいるような、色が混じり合っていた。


「ねぇ……ソフィア。ファルは、ちゃんと約束、守ってるよ」


 サラの震える声が、一度も耳にしたことのないはずの女性の名を呼んだ。


 明確な記憶の奔流はない。

 懐かしさもない。


 けれど、サラには分かる。

 目の前に横たわるこの女性は、『かつての私』なのだと。


 突如として脳裏に焼き付いた死の光景。

 その間際に、彼女が最後の力を振り絞って吐き出したはずの言葉。

 その残響が、逃れられぬ呪いのように、木霊し続けているのを肌で感じていた。


 隣に立つファルの手が、目に見えて激しく震えていた。


 その最期の言葉こそ、神を殺し、理の外へと踏み出した、ファルの魂に打ち込まれた、最大の楔だった。

 

 愛している人を『うそつき』と呼んだ。

 その呪いに等しい言葉によって互いを縛りつけてしまった。


 その一言が、ファルの心を留めてしまっていりる。

 この場所の時間も、永きにわたって停滞の檻に閉じ込めてしまった。


 ファルは、ソフィアの遺体を見つめている。


 近づけない。

 触れられない。

 言葉も出ない。


 痛い程の震えが、ファルを遅い続ける。


 サラは静かに、真っ直ぐに、ファルの目を見た。

 

 黒い瞳。

 その中に覗く光。

 それが、溶けるように混ざっている。


「ごめんね……ファル」


 サラの静かな、けれど凛とした声がファルの耳を支配した。

 時間という理から隔絶された真空の空間に、優しい波紋を広げていく。


 「ファルは…うそつきなんかじゃ、なかったね」

 

 塵すら受け付けなかった空間に、一粒の雪が落ちて、石段に染みを作った。


 ファルがその漆黒の瞳を見開く。


 瞳が、激しい激情に煽られるように揺らめく。

 

 信じられないものを、見るかのように。

 サラの言葉を、否定したがるように。

 サラの言葉を、受け入れるかのように。

 


「…サラさん、何を……」


 絞り出したその声は、ファルの声とは思えない程、細く、か弱い。


「ファルは、約束を守り続けてた。ずっと……。彼女との約束も、未来の『誰か』との約束も、全部…全部……」


 サラは力なく笑い、けれど包み込むようにファルを見る。


 ファルは、語らない。

 ソフィアは語れるはずもない。

 しかし、サラには、ファルが背負ってきたもが、手に取るように分かってしまった。


 ソフィアと交わした、「ずっと一緒だ」という約束。

 『私たち』と交わした、「必ず守る」という約束も。


 ファルは心を磨り潰し、神でも人でもない存在として、地獄のような孤独を生き抜いてきた。


「そんなに自分を壊して……。うそつきどころか、正直すぎるくらいだよ」


 サラの声が、視線が、ファルの防壁を融かしていく。


 瞳に宿る金の光が混ざり、分からなくなる。


 彼の頬を雪解け水のように一筋の涙が伝い落ちた。


 サラは、ファルが自分に触れてくれた時のように、震える指先で、そっと彼の涙を拭う。

 その指には、体温が伝わってきた。


 神でもない。

 化け物なんかでもない。

 強くて、優しくて、脆い、人の温もり。


「辛かったよね。……苦しかったよね。本当は、どこかへ逃げたかったよね……もう……頑張らなくて、いいよ。ファル」


 『ファルを縛り付けた私たち』を『他の誰でもない今の私』がファルを肯定する。


「ファルは…本当……ばかだなぁ」


 それは、『嘘を真実』に変えてしまったファルに捧げる、最大級の褒め言葉。


 ファルの、強く閉じられた瞼。

 震える指。

 震える唇。


 それは、ファルの言葉にはならないサラへの想い。

 

「行こう…ファル」

 

 その瞬間、吐息を一気に漏らすように、辺りが軋みだす。


 サラの「許し」を待っていたかのように、ソフィアの遺体が、淡く、柔らかな光の塵となって大気へと溶け出していく。


 そして、階段の頂上で固く閉ざされていた帝城の扉が、重々しい地響きと共にゆっくりと開き始めた。

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