世界を麺で満たしたカップヌードル開発物語 第6話:あさま山荘の生中継
作者のかつをです。
第十二章の第6話をお届けします。
製品の運命は時に作り手の意図を遥かに超えた、偶然によって大きく左右される。
今回は、カップヌードルを一夜にしてスターダムに押し上げた、あまりにも有名な歴史的事件を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
1971年9月18日。
安藤百福の長年の夢と、数々の発明が詰め込まれた奇跡の食品「カップヌードル」がついに発売された。
しかし、その船出は嵐の中だった。
価格は一食100円。
袋麺のチキンラーメンが25円だった時代、それはあまりにも高価な値段だった。
「ラーメン一杯に100円? 立ち食いソバが食える値段やないか」
人々は、敬遠した。
その未来的な食べ方もすぐには理解されなかった。
主な販売場所だったデパートの店員でさえ、その価値をどう説明していいか分からなかった。
売上は、惨憺たるものだった。
安藤は、焦らなかった。
彼は銀座の歩行者天国に巨大なパラソルを立て、大々的な試食販売イベントを開催した。
「ムービング・ストリート」と名付けられたその派手な宣伝活動は、若者たちの間で話題にはなった。
しかし、それが爆発的なヒットに繋がることはなかった。
カップヌードルは、時代を少しだけ先取りしすぎていたのかもしれない。
このまま歴史の徒花として終わってしまうのか。
社内にも、そんな諦めの空気が流れ始めていた。
そんなある冬の日。
運命の女神が、思いもよらない形で彼らに微笑むことになる。
1972年2月。
日本中のすべての国民が、テレビの画面に釘付けになっていた。
連合赤軍が人質を取って立てこもった、「あさま山荘事件」である。
連日連夜、テレビはその模様を生中継で報じ続けた。
視聴率は、驚異的な数字を記録していた。
その緊迫した映像の片隅に、日本中の誰もが目にするある光景が何度も何度も映し出された。
氷点下の極寒の雪山。
人質の救出作戦のため現地で警備にあたる機動隊員たち。
その冷え切った体を温めるために彼らが実に美味そうにすすっていたもの。
それが、湯気の立つカップヌードルだったのだ。
お湯を注ぐだけで、すぐに温かい食事が食べられる。
その圧倒的な利便性。
極限状況で働く男たちの心と体を温める、その一杯の価値。
それは、どんな派手な宣伝文句よりも雄弁にカップヌードルの本質的な魅力を、日本中のお茶の間に伝えてみせた。
「……あの隊員が食べているカップに入ったラーメンは、一体何だ?」
翌日から、日清食品の電話は鳴り止まなくなった。
スーパーや小売店から注文が殺到した。
棚に並べられたカップヌードルは、並べたそばから消えていく。
生産はまったく追いつかなかった。
一つの歴史的な事件。
その偶然の生中継が、カップヌードルの運命を一夜にして変えた。
それはもはや単なる新製品ではなかった。
時代の寵児として、社会現象として日本中に認知されたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
この「あさま山荘事件」での思わぬ形での宣伝効果は、マーケティングの歴史において伝説的な逸話として今も語り継がれています。まさに、歴史が味方をした瞬間でした。
さて、ついに国民的ヒット商品となったカップヌードル。
しかし、安藤百福の夢はまだその先にありました。
次回、「常識を、ひっくり返せ」。
彼の目は、すでに「世界」を見据えていました。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。
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