かまどの前の解放宣言 第1話:妻の涙と、失敗したごはん
作者のかつをです。
本日より、第二章「かまどの前の解放宣言」の連載を開始します。
今回の主役は、現代の私たちの食卓に、当たり前のように存在する「自動炊飯器」。
その誕生の裏にあった、名もなき技術者たちの、涙と情熱の物語です。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
あるマンションの一室。帰宅したばかりの若い女性が、慣れた手つきで米を研ぎ、炊飯器の内釜に入れる。
水を注ぎ、スイッチを押す。
軽やかな電子音と共に、炊飯が始まった。
あとは、炊きあがりを待つだけ。
焦げる心配も、火加減を気にする必要もない。
ボタン一つで、ふっくらと美味しいご飯が炊きあがる。
それは、現代の日本人にとって、あまりにも当たり前の光景だ。
しかし、その「当たり前」が、かつては存在しなかった時代がある。
かまどの前で火の番をし、汗と涙と、そしてススにまみれながら、毎日ごはんを炊いていた、母たちの時代が。
この物語は、その過酷な労働から日本の女性たちを解放した、魔法の釜の誕生秘話である。
物語は、戦後の復興期、1950年代初頭の日本に遡る。
東京芝浦電気(後の東芝)の、とある若き技術者の自宅。
その日、彼は、妻が台所の隅で、静かに肩を震わせているのを見てしまった。
かまどには、黒焦げになったお米が、無惨な姿を晒している。
「また、やってしまった……」
妻の目には、涙が浮かんでいた。
ほんの少し火の番を怠っただけで、貴重なお米をダメにしてしまった。
その悔しさと、家族への申し訳なさで、彼女は打ちひしがれていたのだ。
当時のごはん炊きは、重労働であり、博打でもあった。
「はじめチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いてもフタ取るな」
そんな唄が生まれるほど、繊細な火加減が求められる。
火力が強すぎれば焦げ付き、弱すぎれば芯が残る。
暑い夏も、寒い冬も、主婦たちはかまどの前に付きっきりで、火の燃えさかる釜と格闘しなければならなかった。
その妻の涙が、技術者である彼の心に、静かな火を灯した。
「こんな辛い仕事を、毎日続けさせてはいけない」
「火の番をしなくても、誰でも、失敗なくご飯が炊けるような機械は作れないだろうか」
それは、一人の夫としての、ささやかな、しかし切実な願いだった。
そして、一人の技術者としての、前例のない挑戦の始まりでもあった。
彼の頭の中に、まだ誰も見たことのない、自動式電気釜の、ぼんやりとした設計図が描かれようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第二章、第一話いかがでしたでしょうか。
今ではボタン一つですが、昔の「かまど」での炊飯は、本当に大変な重労働でした。特に、薪をくべての火加減調整は、熟練の技が必要だったそうです。
さて、妻の涙をきっかけに、壮大な開発を決意した技術者。
しかし、あの有名な「はじめチョロチョロ、中パッパ」を、機械にやらせることは、想像を絶するほど困難でした。
次回、「『はじめチョロチョロ』の機械化という難題」。
技術者たちの、悪戦苦闘が始まります。
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