醤油蔵の近代化戦争 第2話:蔵に現れた、白衣の男たち
作者のかつをです。
第十章の第2話をお届けします。
伝統と革新。現場と研究室。
いつの時代も、変化はこうした異文化の衝突の中から生まれるのかもしれません。
今回は、頑なな職人たちの心が少しずつ開かれていく、その過程を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
明治の半ば。
野田と銚子、二つの醤油の町で前代未聞の試みが始まっていた。
それぞれの醤油醸造家組合が共同で専門の研究機関を設立したのだ。
そして、そこに東京帝国大学などで最新の醸造学や微生物学を学んだ、若き科学者たちを次々と招聘した。
醤油蔵という、何百年も続く男たちの聖域。
そこに、ある日突然フラスコや顕微鏡を抱えた白衣の男たちが現れたのである。
当然、現場の職人たちは猛反発した。
「わしらの仕事に、学問なんぞいらん!」
「醤油は頭で造るもんじゃねえ。体で覚えるもんだ」
「よそ者の若造に、何が分かるか」
職人たちのプライドは高かった。
彼らにとって、白衣の研究者たちは自分たちの神聖な仕事を土足で踏み荒らす邪魔者でしかなかったのだ。
研究者たちの道のりは、困難を極めた。
職人たちは研究のためのサンプルを提供することさえ拒んだ。
蔵の秘密を、外部の人間には決して明かそうとはしなかった。
しかし、研究者たちは諦めなかった。
彼らは白衣を脱ぎ、職人たちと同じ作業着を身につけた。
そして、言葉で語るのではなく、まず行動で自らの覚悟を示したのだ。
重い大豆の袋を共に担ぎ、汗まみれになって釜の火の番をする。
冷たい水に手を突っ込み、米を研ぐ。
職人たちと同じ仕事を、黙々と愚直に続けた。
その真摯な姿は、頑なだった職人たちの心を少しずつ溶かしていった。
「あいつら、口だけじゃねえな……」
「本当に、うまい醤油を造りたいのかもしれん」
やがて、一人の年老いた杜氏が研究者の一人をそっと手招きした。
「……先生。うちの、一番麹を見てみるかい?」
それは、固く閉ざされていた伝統の世界の扉が、科学の世界に向かってほんの少しだけ開かれた歴史的な瞬間だった。
白衣の男たちは、ついに醤油造りの心臓部へと足を踏み入れることを許された。
彼らの手には、最新兵器である顕微鏡があった。
そのレンズの先で彼らが発見することになる、小さな小さな生命の正体。
それが、日本の醤油の運命を大きく変えることになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
野田には「野田醤油醸造組合醸造試験所」、銚子には「銚子醤油同業組合研究所」が相次いで設立されました。ライバル同士が科学技術の導入という、同じ目標に向かって競い合っていたのです。
さて、ついに蔵の心臓部へのアクセスを許された研究者たち。
彼らはそこで、驚くべき発見をします。
次回、「優良菌の、純粋培養」。
醤油造りが偶然の産物から、狙って造るものへと変わる瞬間です。
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