昆布と博士と魔法の粉 第5話:「味の素」の誕生
作者のかつをです。
第5話をお届けします。
どんなに画期的な製品でも、その価値が伝わらなければ、ただのガラクタになってしまう。
今回は、製品を「売る」ことの難しさと、それを乗り越えようとした、黎明期のマーケティングの物語です。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
1909年。
幾多の困難を乗り越え、ついに、世界初のうま味調味料が完成した。
池田菊苗と鈴木三郎助は、その製品に、願いを込めて名前を付けた。
「味の素」。
味の精髄、という意味だ。
美しいガラス瓶に詰められた、真っ白な粉。
それは、彼らの夢の結晶だった。
しかし、その結晶は、発売当初、まったく売れなかった。
人々にとって、「うま味」という概念そのものが、未知のものだったのだ。
店頭に並んだ「味の素」を前に、客たちは、首を傾げるばかりだった。
「これは、一体何だい? 砂糖か? 塩か?」
「どうやって使うものなんだ?」
当時の人々にとって、調味料とは、醤油、味噌、塩、砂糖。それだけだった。
料理に「振りかける白い粉」は、あまりにも得体が知れなかったのだ。
鈴木三郎助は、頭を抱えた。
しかし、彼は諦めるような男ではなかった。
「製品の価値が伝わらないのなら、こちらから伝えに行くまでだ」
ここから、鈴木の天才的な商才が、本領を発揮する。
彼はまず、新聞に、大々的な広告を打った。
「家庭の福音」「滋養に富む高尚な調味料」といったキャッチコピーで、人々の興味を引く。
さらに、チンドン屋を雇い、派手な衣装で町を練り歩かせた。
「味の素」のロゴが入った広告宣伝カーを走らせ、人々の度肝を抜いた。
最も効果的だったのは、料理講習会だった。
彼は、割烹着姿の女性たちを各地に派遣し、主婦たちを相手に、「味の素」を使った料理の実演を行ったのだ。
実際に、その味を体験してもらうことで、うま味の価値を、直接、人々の舌に訴えかけた。
それは、現代のマーケティングの、まさに原型ともいえる手法だった。
一人、また一人と、「味の素」の価値を理解する人が、増えていく。
口コミが、じわじわと広がっていく。
それは、まだ小さなさざ波だった。
しかし、その波が、やがて日本の食卓全体を飲み込む、大きなうねりになることを、鈴木は確信していた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
チンドン屋や広告宣伝カーを使ったPRは、当時としては、非常に画期的なものでした。また、女性の社会進出がまだ珍しかった時代に、割烹着姿の「セールスレディ」を組織したのも、鈴木三郎助の先見の明と言えるでしょう。
さて、地道な努力の末、少しずつ認知され始めた「味の素」。
その白い粉は、やがて、日本の食卓の風景を、永遠に変えることになります。
次回、「世界を変えた第5の味覚(終)」。
第一章、感動の最終話です。
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