本わさびの香りを食卓へ届けた挑戦 第3話:最後の砦、プラスチックチューブ
作者のかつをです。
第八章の第3話をお届けします。
今では当たり前のプラスチックチューブ。
その裏側には、こんなにも緻密で複雑な技術開発の歴史がありました。
今回は、素材との戦いという化学の面白さに光を当ててみました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
開発チームは、まず金属チューブの改良から試みた。
チューブの内側を特殊な樹脂でコーティングし、わさびが直接金属に触れないようにする。
しかし、結果は惨憺たるものだった。
チューブを絞り出す際にわずかな傷がつき、そこからわさびと金属が接触してしまう。
ほんの僅かな接触でも、香りの劣化を完全に防ぐことはできなかった。
ガラス瓶も試してみた。
ガラスなら化学的に安定しており、香りへの影響はない。
しかし、これではチューブの手軽さが完全に失われてしまう。それに、光を遮断することも難しい。
「やはり、金属もガラスもダメだ……」
試せる素材はすべて試した。
万策尽きたかと思われた、その時だった。
一人の研究者が、まだ黎明期にあった新しい素材のサンプルをどこからか見つけてきた。
「ポリエチレン」である。
石油から作られるその白い樹脂は、軽くて丈夫で、そして何より化学的に非常に安定していた。
これなら、わさびの香りに影響を与えることはないはずだ。
「これだ! これしかない!」
チームは、最後の望みをこの「プラスチック」という未来の素材に賭けることにした。
しかし、当時の日本のプラスチック成形技術はまだ発展途上だった。
チューブのような薄くて均一な厚みの製品を作るのは至難の業。
ましてや、食品の容器として衛生基準をクリアする高品質なチューブなど、どこにも存在しなかった。
「ないのなら、自分たちで作るしかない」
S&Bは、プラスチック容器の専門メーカーと共同でわさび専用のオリジナルチューブの開発に乗り出した。
まず光を遮断するために、ポリエチレンの原料に緑色の着色料を練り込んだ。
さらに、酸素の侵入を極限まで防ぐため、チューブの素材を多層構造にすることを思いつく。
性質の違う複数のプラスチックフィルムを、まるでミルフィーユのように重ね合わせ、鉄壁のバリアを作るのだ。
そして、最大の難関はキャップだった。
一度開封した後もキャップを閉めれば、中身の乾燥と香りの揮発をしっかりと防いでくれる。
その、完璧な密封性をどうやって実現するか。
何度も、何度も金型を作り直し、試作品のテストを繰り返した。
キャップのネジ山の僅かな角度の違いが、密封性を大きく左右した。
何ヶ月にも及ぶ試行錯誤の末、ついにその理想のチューブは完成した。
緑色の、美しいボディ。
光も空気も通さない、多層構造の壁。
そして、中身の鮮度を完璧に守る、高密封性のキャップ。
それは、もはや単なる容器ではなかった。
わさびの儚い魂を守るためだけに、ゼロから設計された小さな小さな「要塞」だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
この時S&Bが開発した多層構造チューブの技術は、非常に画期的なものでした。この成功が後に日本の食品パッケージ技術を世界トップレベルへと押し上げる、大きなきっかけの一つとなったのです。
さて、ついに完璧な「棺」は完成した。
しかし、その棺に納めるべき「中身」がまだ完成していませんでした。
次回、「本物の味を、どう作るか」。
究極の「練りわさび」を巡る、味の探求が始まります。
物語の続きが気になったら、ぜひブックマークをお願いします!
ーーーーーーーーーーーーーー
もし、この物語の「もっと深い話」に興味が湧いたら、ぜひnoteに遊びに来てください。IT、音楽、漫画、アニメ…全シリーズの創作秘話や、開発中の歴史散策アプリの話などを綴っています。
▼作者「かつを」の創作の舞台裏
https://note.com/katsuo_story




