無洗米開発、百年続いた習慣への挑戦 第5話:災害と、無洗米の真価
作者のかつをです。
第二十三章の第5話をお届けします。
震災という悲劇の中で、技術が人々を救う光となる。
今回は、無洗米が持つ「水を節約できる」という特性が、いかにして社会の役に立ったのかを描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
1995年1月17日。
阪神・淡路大震災が発生。
都市機能は麻痺し、電気、ガス、そして水道というライフラインが寸断された。
避難所には多くの被災者が身を寄せ、食料と水を求めていた。
救援物資としておにぎりやパンが届けられたが、温かい食事への渇望は日に日に高まっていた。
しかし、米があっても炊くための水が貴重だった。
米を研ぐために大量の水を使うことなど、許される状況ではなかった。
そんな中、被災地に届けられたのが東洋精米機製作所の「無洗米」だった。
雜賀慶二は震災直後、トラックに無洗米を積み込み、自ら神戸へと走った。
「この米は洗わなくていいんです。ペットボトルの水を入れるだけで、すぐに炊けます!」
避難所の炊き出しボランティアたちは、半信半疑でその米を受け取った。
しかし、実際に炊いてみて驚いた。
貴重な水を一滴も無駄にすることなく、そのまま炊飯釜に入れて炊くことができる。
そして炊き上がったご飯は、真っ白でツヤツヤとしており、何より温かくて美味しかった。
「美味しい……」
「温かいご飯が食べられるなんて」
被災者たちの顔に、久しぶりに笑顔が戻った。
極限状態の中で、手間をかけずに安全で美味しい食事を提供できる。
無洗米は単なる「便利な米」ではなく、「命を繋ぐ米」としてその真価を証明したのだ。
この経験は、無洗米に対する世間の見方を一変させた。
「災害備蓄用として最適だ」
「水不足の時にも役立つ」
環境保護という理念に加え、防災という新たな価値が加わったことで、無洗米は急速に市民権を得ていった。
さらに、時代も追い風となった。
女性の社会進出が進み、共働き世帯が増加する中で、「家事の時短」は後ろめたいことではなく、賢い選択として受け入れられるようになっていった。
冬場の冷たい水で米を研ぐ辛さからの解放。
ネイルアートを楽しむ女性たちにとっての福音。
高齢者にとっても、重い釜を持って水を替える作業がなくなることは大きな助けとなった。
かつて「手抜き」と批判された無洗米は、いつしか現代社会になくてはならない「優しさの技術」として、日本の台所に定着していったのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
阪神・淡路大震災だけでなく、その後の新潟県中越地震や東日本大震災でも、無洗米は救援物資として大きな役割を果たしました。今では自治体の備蓄食料としても採用されています。
さて、ついに日本の食卓に定着した無洗米。
その小さな米粒は、未来へ向けてどんな可能性を秘めているのでしょうか。
次回、「環境を守る白い粒(終)」。
第二十三章、感動の最終話です。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。
ーーーーーーーーーーーーーー
もし、この物語の「もっと深い話」に興味が湧いたら、ぜひnoteに遊びに来てください。IT、音楽、漫画、アニメ…全シリーズの創作秘話や、開発中の歴史散策アプリの話などを綴っています。
▼作者「かつを」の創作の舞台裏
https://note.com/katsuo_story




