激辛ブームを創ったエスニック料理の伝道師たち 第4話:ただ辛いだけじゃない
作者のかつをです。
第二十二章の第4話をお届けします。
ブームが去った後に残るものこそが本物。
今回は、単なる刺激物だった激辛料理が、「旨味」と結びつくことで深みのある食文化へと成熟していく過程を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
狂乱の激辛ブームが一段落し、ただ辛いだけの店が淘汰されていく中、本物の味を追求し続けた店だけが生き残った。
彼らが目指したのは「旨辛」という境地だった。
唐辛子の辛さは、あくまで他の食材の味を引き立てるためのアクセントであるべきだ。
その哲学のもと、料理人たちはスープのコクやスパイスの配合比率を徹底的に研究し直した。
例えば、宮崎県発祥の「辛麺」。
大量の唐辛子とニンニクを使いながらも、溶き卵とニラで味をマイルドにまとめ上げ、鶏ガラスープの旨味をしっかりと感じさせる。
食べた瞬間は辛いが、その直後に押し寄せる甘みとコクが箸を止めさせない。
あるいは、中国・四川省の「麻婆豆腐」。
単に唐辛子の辣の辛さだけでなく、花椒の痺れるような麻の刺激を加えることで、味に立体的な奥行きを持たせた。
「辛いけれど、また食べたくなる」
「汗をかいた後の爽快感がたまらない」
人々は気づき始めた。
激辛料理の真髄は我慢比べではなく、複雑に絡み合ったスパイスのハーモニーを楽しむことにあるのだと。
さらに、この頃から「カプサイシン」という成分の健康効果にも注目が集まるようになった。
脂肪燃焼効果や発汗作用。
激辛料理は単なる嗜好品から、美容や健康に良い食事としての新たな価値を獲得していった。
「キムチ鍋」が冬の定番メニューとして食卓に定着したのもこの頃だ。
かつては朝鮮漬けと呼ばれ匂いが敬遠されていたキムチが、日本の家庭の味として完全に市民権を得た瞬間だった。
激辛ブームという荒波に揉まれながら、日本人の舌は確実に鍛えられ、そして進化していた。
もはや唐辛子の赤色は「危険」のサインではなく、「食欲」をそそる魅力的なシグナルへと変わっていたのだ。
料理人たちの、妥協なき味への探求。
それが一過性のブームを、日本人の食生活の一部となる「文化」へと押し上げた原動力だった。
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90年代に入るとタイ料理やベトナム料理などのエスニックブームが再燃し、パクチーなどのハーブ類も広く受け入れられるようになりました。日本人の味覚のストライクゾーンはこの時期に一気に広がったと言えるでしょう。
さて、完全に定着した辛い料理。
その赤い魔法は現代の私たちに何をもたらしたのでしょうか。
次回、「食卓を彩る赤(終)」。
第二十二章、感動の最終話です。
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