激辛ブームを創ったエスニック料理の伝道師たち 第3話:「激辛」という言葉の誕生
作者のかつをです。
第二十二章の第3話をお届けします。
1986年の流行語大賞受賞。
それは激辛が市民権を得た瞬間であり、同時に暴走し始めた瞬間でもありました。
今回は社会現象となったブームの光と影を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
1986年。
日本列島は、空前の「激辛ブーム」に沸き立っていた。
火付け役となったのは、湖池屋が発売したスナック菓子「カラムーチョ」だった。
「こんなに辛くてインカ帝国」というユニークなCMと共に登場したそのお菓子は、子供だけでなく大人たちをも虜にした。
それまでのスナック菓子にはなかった、唐辛子の刺激的な辛さとガーリックの旨味。
「辛いものは売れない」という食品業界のジンクスを真っ向から打ち破り、爆発的なヒット商品となったのだ。
これに続けとばかりに、各メーカーから辛さを売りにした商品が次々と発売された。
激辛カレー、激辛ラーメン、激辛せんべい。
スーパーやコンビニの棚は、パッケージの赤い色で埋め尽くされた。
そして、この年。
新語・流行語大賞の銀賞に「激辛」という言葉が選ばれる。
それまで「大辛」や「超辛」といった言葉はあったが、「激」という文字を使ってその強烈さを表現したこの造語は、時代の空気を完璧に捉えていた。
人々は刺激に飢えていたのだ。
安定成長に入り、どこか閉塞感が漂い始めていた社会。
その退屈な日常を打破してくれる手軽で強烈な刺激として、唐辛子のカプサイシンが求められたのかもしれない。
エスニック料理店の店先には、連日長蛇の列ができた。
汗をかきながら激辛料理を食べることは、一種のストレス解消法であり、時代の最先端を行くファッションでさえあった。
しかし、ブームが過熱するにつれて本来の目的を見失ったような商品も現れ始めた。
ただひたすらに辛いだけで旨味のない料理。
唐辛子エキスを抽出して危険なレベルまで辛くしたソース。
「辛ければ辛いほどいい」
そんなエスカレートする競争の中で、激辛ブームは次第にその質を変え始めていた。
それはもはや食文化の探求ではなく、我慢比べの様相を呈していたのだ。
ブームの火付け役となった料理人たちは、その狂騒を複雑な思いで見つめていた。
「私たちが伝えたかったのは、唐辛子の奥にあるハーブの香りや食材の旨味だ」
「ただ痛いだけの料理なんて、本場の味ではない」
彼らは危惧していた。
このままでは激辛は一過性のブームで終わり、消費され尽くして捨てられてしまうのではないかと。
ブームを文化として定着させるためには、もう一度「味」という原点に立ち返らなければならなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「カラムーチョ」の発売当初、社内では「辛いお菓子なんて売れるわけがない」と猛反対されたそうです。しかし担当者の熱意で発売にこぎつけ、結果として歴史を変えるヒット商品となりました。
さて、過熱するブームの中で本来の味を見失いかけていた激辛料理。
料理人たちはここから「旨辛」という新しい境地を目指します。
次回、「ただ辛いだけじゃない」。
ブームから文化への転換点です。
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