とんこつラーメン、偶然の誕生秘話 第3話:失敗から生まれた白濁スープ
作者のかつをです。
第二十一章の第3話をお届けします。
今回はとんこつラーメンの科学的な核心である「乳化」という現象に光を当てました。
失敗と思われた現象の裏側にどんな化学のドラマが隠されていたのか。
その謎解きの面白さを描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
杉野勝見は震える手で寸胴鍋の蓋を開けた。
次の瞬間、彼の顔は絶望に歪んだ。
そこに広がっていたのは彼が丹精込めて作り上げてきた黄金色のスープではなかった。
それはまるで牛乳を注ぎ込んだかのように白く濁りきっていた。
表面には分厚い脂の膜が張り、そしてむせ返るような強烈な獣臭が彼の鼻腔を直撃した。
「……なんばしよっとか!」
思わず母親に怒鳴りつけてしまった。
しかし母親を責めてもスープは元には戻らない。
彼は目の前の白い液体をただ呆然と見つめるしかなかった。
貴重な豚の骨も香味野菜も、そして何よりも彼の何時間もの労力も。
そのすべてがこの一瞬の気の緩みによって台無しになってしまった。
「……もう捨てるしかなか」
それは職人としての当然の判断だった。
こんな濁りきった臭いスープなど客に出せるわけがない。
それは彼のプライドが許さなかった。
彼は鍋の中の液体がなぜこんな姿に変わり果ててしまったのか、その原因を冷静に分析しようとした。
強火で長時間煮込み続けたこと。
それによって豚の骨の中にある骨髄やゼラチン質のコラーゲンが完全に溶け出してしまったのだ。
そしてその溶け出したタンパク質と脂がスープの中で激しく攪拌され、混じり合う。
「乳化」である。
水と油、本来決して混じり合うことのない二つの物質がタンパク質をつなぎとして強制的に結びつき、白く濁った液体へと姿を変える。
マヨネーズが生まれるのと同じ原理だ。
なるほど、理由は分かった。
しかしそれはあくまで化学的な現象の説明に過ぎない。
彼にとってそれは紛れもない「失敗」の二文字でしかなかった。
彼は腕まくりをし、重い寸胴鍋を持ち上げようとした。
この失敗作を一刻も早く自分の前から消し去りたかったのだ。
しかしその時だった。
鍋の底に沈殿している大量の骨。
その骨の一本一本がまるで彼に語りかけてくるような気がした。
「本当に捨ててしまうのか?」と。
戦後の何もない時代、食べ物を粗末にすることへの強い罪悪感があった。
そしてこの白い液体の正体をまだ自分の舌で確かめていないという、料理人としての最後の好奇心もあった。
その二つの相反する感情が彼の心の中で激しくせめぎ合った。
彼は一度持ち上げかけた寸胴鍋を静かにかまどの上に戻した。
そしておそるおそる一本のレンゲを手に取った。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
強火で煮込むことで骨からコラーゲンなどが溶け出し、それが乳化剤となってスープを白濁させる。
この偶然の発見がなければ、ラーメンの歴史は全く違うものになっていたかもしれません。
さて、ついに禁断の白いスープを口にすることになる杉野。
彼はそこで何を発見するのでしょうか。
次回、「捨てられなかった、未知の味」。
絶望が歓喜へと変わる運命の瞬間です。
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