冷凍パン生地が起こしたパン屋革命 第2話:生きていた、酵母との戦い
作者のかつをです。
第十九章の第2話をお届けします。
今回の開発チームの敵は、なんと「生き物」でした。
目に見えない酵母という小さな生命をいかにして冷凍下で生き永らえさせるか。
その生命科学の領域にも踏み込んだ壮絶な戦いを描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
「パン生地を凍らせる」
そのアイデアはシンプルだった。
しかし、開発チームが実験を始めるとすぐに絶望的な壁にぶつかることになる。
試作した冷凍パン生地を解凍し、オーブンで焼いてみる。
しかし、焼きあがったパンは石のように硬く、まったく膨らんでいなかった。
それはもはやパンとは呼べない、ただの小麦粉の塊だった。
「なぜだ……! なぜ膨らまないんだ!」
研究者たちは頭を抱えた。
彼らが戦っていた相手。
それは魚や野菜といった、単なる「食材」ではなかった。
パン生地の中には「酵母」という、目に見えない、しかし確かに「生きている」微生物が存在していたのだ。
パンがふっくらと膨らむのは、この酵母が生地の中の糖を食べてアルコールと炭酸ガスを発生させるからだ。
その小さな小さなガスの泡が、パンのあの柔らかな食感を生み出す。
しかし、このデリケートな酵母は冷凍という過酷な環境に耐えることができなかった。
第五章で学んだように、冷凍する際に生まれる氷の結晶が酵母の細胞膜を無惨に破壊してしまう。
解凍した時には酵母はすでに死骸と化しており、もはやパンを膨らませる力を失ってしまっていたのだ。
「ならば、急速冷凍だ。氷の結晶が育つ前に一瞬で凍らせればいい」
チームは最新の急速冷凍機を導入した。
しかし、結果は変わらなかった。
魚や肉に比べてパン生地は分厚く、密度が高い。
表面は急速に凍っても中心部まで完全に凍りきるには、どうしても時間がかかってしまう。
そのわずかな時間の間に、酵母は致命的なダメージを負ってしまうのだ。
「酵母が死んでしまうのなら、いっそのこともっと強い酵母を見つけ出すしかない」
チームは方針を大きく転換した。
彼らは世界中からありとあらゆる種類の酵母菌を取り寄せた。
そして、その中から冷凍という極低温のストレスに耐えることができる「スーパー酵母」を探し出すという、途方もないスクリーニング作業を始めた。
それは、まるで広大な砂漠の中からたった一粒のダイヤモンドを探し出すような、気の遠くなる挑戦だった。
何千、何万という候補の中から有望な酵母を見つけ出し、実際にパン生地に混ぜて凍らせて焼いてみる。
その地道な実験が、来る日も来る日も繰り返された。
彼らの孤独な戦いは、まだ始まったばかりだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
酵母は非常にデリケートな生き物です。温度、湿度、栄養、ストレス。あらゆる環境の変化に敏感に反応します。パン職人が酵母を「育てる」と表現するのは、まさにそのためなのです。
さて、最強の冷凍耐性酵母を探し求める開発チーム。
しかし、彼らの前にはもう一つの大きな壁が立ちはだかります。
次回、「グルテンとの、対話」。
パンの骨格を作るもう一つの重要な要素との戦いです。
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