冷凍パン生地が起こしたパン屋革命 第1話:午前3時の、孤独な戦い
作者のかつをです。
本日より、第十九章「職人不要のパン屋さん」の連載を開始します。
今回の主役は、街のパン屋さんを支える縁の下の力持ち「冷凍パン生地」。
その驚くべき技術がいかにして生まれたのか、その誕生秘話に迫ります。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京・郊外の駅前。
焼きたてのパンの香ばしい匂いが、通勤客の鼻をくすぐる。
ガラス張りの洒落たベーカリー。その棚には黄金色に輝くクロワッサンやデニッシュが、宝石のように並んでいる。
私たちはその光景を当たり前のものとして享受している。
街のいたるところに焼きたてのパンを提供してくれるパン屋さんがあることを。
その温かいパンの裏側に、かつてパン職人たちの過酷な労働を根底から覆した、静かなる「冷凍革命」があったことを知る者は少ない。
これは、パン屋の厨房から「職人」という聖域を解き放った、名もなき開拓者たちの知恵と工夫の物語である。
物語は1980年代、日本がグルメブームに沸き、人々の「食」への関心が急速に高まっていた時代に遡る。
焼きたての美味しいパンへの需要は、日に日に高まっていた。
しかし、街のパン屋を新しく開業することは素人にとってはあまりにもハードルの高い夢物語だった。
その最大の壁。
それは、「パン職人」という専門技術者の確保だった。
パン作りは科学であり芸術である。
その日の気温や湿度に合わせて小麦粉と水の量を微調整し、酵母のご機嫌を伺いながら生地をこね、発酵させ、そして焼き上げる。
そのすべての工程には長年の経験と勘がものを言う。
一人前のパン職人を育てるには、十年以上の歳月が必要とされていた。
そして、その労働はあまりにも過酷だった。
朝一番の焼きたてのパンを客に届けるため、職人たちはまだ街が深い眠りについている深夜、午前2時、3時から厨房に立ち、たった一人で孤独な戦いを始めなければならない。
粉まみれになり汗を流し、巨大なオーブンの灼熱と向き合う。
「こんな過酷な仕事を、若い世代がやりたがるはずがない」
「このままでは日本のパン文化は、先細っていく一方だ」
多くの製パン業界の関係者が、強い危機感を抱いていた。
「どうすれば、パン屋の参入障壁を下げることができるのか」
「職人でなくても、誰でも美味しいパンが焼けるような魔法のシステムは作れないものか」
その業界全体の大きな課題に真っ向から挑んだのが、製粉会社や製パン機械メーカーの名もなき技術者たちだった。
彼らが目を付けたのは、第五章でも登場したあの「冷凍」という氷の魔法。
もしパン生地そのものを美味しい状態のまま凍らせることができたなら、パン屋の常識をすべてひっくり返すことができるかもしれない。
彼らの前例のない挑戦が、今始まろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第十九章、第一話いかがでしたでしょうか。
パン職人の過酷な労働環境、そして後継者不足。それは現代のあらゆる伝統的な職人仕事が共通して抱える根深い課題です。冷凍パン生地は、その一つの答えでした。
さて、壮大な目標を掲げた技術者たち。
しかし、パン生地を凍らせることは魚を凍らせるのとは全く違う、未知の困難に満ちていました。
次回、「生きていた、酵母との戦い」。
目に見えない小さな生命が、彼らの前に立ちはだかります。
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