「サーティワン」が日本にアイスクリーム文化を根付かせた日 第3話:「楽しい」を、どう売るか
作者のかつをです。
第十八章の第3話をお届けします。
新しい文化が異国の地で受け入れられることの難しさ。
今回は、サーティワンが日本で最初に直面した「文化の壁」とその苦悩を描きました。
今では大人気のフレーバーも、最初は敬遠されていたのですね。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
1974年4月。
アメリカのバスキン・ロビンス社と日本の不二家との合弁会社によって、記念すべき日本第一号店がオープンした。
その場所は、東京の高級住宅街、目黒。
店舗のデザインはアメリカのマニュアル通り。
ピンクとブラウンを基調としたポップでカラフルな内装。
そして、店のど真ん中に鎮座する巨大なガラス張りのショーケース。
その中には31種類の色とりどりのアイスクリームが、宝石のように輝いていた。
それは、当時の日本のどんな菓子店とも似ていない、異次元の空間だった。
しかし、その異質さこそが最初の壁となった。
店の前を通りかかる人々は、好奇の目で中を覗き込む。
しかし、そのあまりにもアメリカンで派手な雰囲気に気後れして、なかなか店の中に入ってきてはくれないのだ。
勇気を出して入ってきた客もまた、ショーケースの前で戸惑うばかりだった。
「ロッキーロード……?」
「チョコミント……?」
「ポッピングシャワー……?」
メニューに並ぶのは、聞いたこともないカタカナの名前ばかり。
一体どんな味がするのか、想像もつかない。
当時の日本の人々にとって、アイスクリームとはまだバニラかチョコかストロベリー。
その三つの安心できる世界がすべてだった。
ミント味のアイスは、「歯磨き粉の味がする」と敬遠された。
ラムレーずんは、「子供のおやつにお酒の味なんて」と眉をひそめられた。
口の中でパチパチと弾けるキャンディーが入ったポッピングシャワーに至っては、「気味が悪い」と一蹴された。
「美味しい」の前に、「楽しい」の前に、「未知への警戒心」という分厚い壁が立ちはだかっていた。
店長や店員たちは、頭を抱えた。
「どうすれば、この楽しさが伝わるんだ……」
「この宝石箱を開けるドキドキ感を、どうすれば味わってもらえるんだ……」
売上は伸び悩み、開店当初の熱気は少しずつ冷めていった。
日本の保守的な味覚の壁は、彼らが想像していた以上に高くそして厚かった。
このままでは、アメリカの夢物語は日本の地で根付くことなく終わってしまうかもしれない。
そんな敗北の予感が、店を重く包み込んでいた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ちなみに、日本で最初に人気が出た意外なフレーバーの一つが「ラムレーズン」だったそうです。当初は子供向けではないと反対の声も多かったのですが、その本格的な大人の味わいが逆に新しいもの好きの若者たちの心を掴んだのです。
さて、苦戦の続く第一号店。
しかし、その状況を一変させる小さな、しかし偉大な「革命」が始まります。
次回、「ピンクのスプーン革命」。
サーティワンの象徴ともいえるあのサービスが、奇跡を起こします。
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