昆布と博士と魔法の粉 第1話:湯豆腐に隠された謎
はじめまして、作者のかつをです。
本日より、新シリーズ『食文化創世記~味の開拓者たち~』の連載を開始します。
この物語は、私たちが当たり前に味わっている「食」の礎を築いた、知られざる開拓者たちの物語です。
記念すべき最初の章は、世界中の料理の常識を覆した「うま味」の発見と、その立役者である一人の日本人化学者に光を当てます。
料理の知識は一切不要です。
ただ、歴史の裏側で繰り広げられた人間ドラマとして、楽しんでいただけたら幸いです。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
それでは、壮大な食文化創世記の旅へ、ようこそ。
2025年、東京。
とある家庭の食卓で、一杯の味噌汁が湯気を立てている。
ごくありふれた、日本の日常風景だ。
一口すする。
じんわりと体に染み渡る、温かい味わい。
誰もが知っている、ホッとするような、この美味しさ。
私たちは、この味の正体を、当たり前のように知っている。
出汁に含まれる「うま味」成分が、そう感じさせるのだ、と。
しかし、その「うま味」という第五の味覚が、一人の日本人化学者の純粋な好奇心によって発見されたという事実を、知る者は多くない。
今から、百十数年前。
世界中の誰もが、味には四種類――甘味、塩味、酸味、苦味――しかないと信じていた時代の、物語である。
物語の始まりは、1907年。
東京帝国大学理学部化学教室の教授、池田菊苗。
四十五歳の彼は、その日、自宅の食卓で、妻のてい子が作った湯豆腐を味わっていた。
何の変哲もない、いつもの夕食。
しかし、その日の池田は、ある一つの「味」に、心を奪われていた。
湯豆腐に添えられた、昆布だし。
舌の上に広がる、まろやかで、持続性のある、奥深い味わい。
これは、甘いのか? いや、違う。
塩辛いのか? それも違う。
酸っぱくも、苦くもない。
四つの味の、どれにも当てはまらない。
しかし、間違いなく「美味しい」と感じる、この独立した味。
「……てい。この昆布だしの味は、格別だな」
妻への言葉は、半分、自分自身への問いかけだった。
トマトを食べた時にも、チーズを食べた時にも、アスパラガスを食べた時にも、同じような感覚があった。
この、舌に絡みつくような、豊かな味の正体は、一体何なのだろうか。
一人の化学者としての、純粋な探求心が、むくむくと頭をもたげた。
「よし、決めた。この味の正体を、私が突き止めてみせる」
それは、誰に頼まれたわけでもない、壮大な謎への挑戦宣言だった。
池田菊苗は、まだ知らない。
この食卓でのささやかな疑問が、やがて世界の料理の歴史を、根底から塗り替えることになるということを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
新シリーズ「食文化創世記」、第一話いかがでしたでしょうか。
当たり前の食卓に潜む、壮大な歴史。
すべての始まりは、一人の化学者が抱いた、素朴な「なぜ?」でした。
さて、壮大な目標を掲げた池田博士。
彼は、一体どうやって、昆布の中から未知の味の正体を探り当てたのか。
次回、「グルタミン酸との出会い」。
彼の、地道で過酷な研究が始まります。
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それでは、また次の更新でお会いしましょう。
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