第9話 正しい道より、美味しそうな道
夏の強い日差しが照りつける七里ヶ浜。その地下に、私たちの目的地はある。
「本当に、第二階層まで行くのね……」
ダンジョンのひんやりとした入り口で、私は最後の抵抗を試みたが、夏帆に「大丈夫だって! なんとかなるって!」と笑顔で腕を引かれ、あっけなく中へと連行された。
第一階層は、もはや見慣れた、明るく安全な空間だ。私たちは、他のレジャー探索者たちに混じって、フロアの奥にある『第二階層へ』と書かれた看板の方へ向かう。そこにある下り階段は、第一階層とは明らかに雰囲気が違っていた。照明は少し暗く、壁はコンクリートではなく、ゴツゴツした岩肌が剥き出しになっている。
「う……。なんか、急にダンジョンっぽくなったわね」
「問題ない。手すりも非常ボタンも完備されている。安全基準はクリアしているはずだ」
澪は冷静に分析するが、私の不安は消えない。
ひんやりとした階段を降りきると、そこは広大な洞窟空間だった。空気は湿り気を帯び、時折、天井の鍾乳石から滴が落ちる音が響く。
「よし! じゃあ早速、岩塩ゴーレムを探すぞ! 澪、ナビは任せた!」
「承知した」
夏帆に言われ、澪は得意げにあの『地質共鳴音叉』を取り出した。
キィィン……、と不快な共鳴音が洞窟に響く。
「この音叉の微細な振動が、岩塩鉱床、すなわちゴーレムの生息地を指し示している。……こっちだ」
澪が指し示したのは、道とも呼べないような、苔むした岩が転がる薄暗い脇道だった。
「え、そっち? 道、ちゃんとある方に行きましょうよ……」
「非合理的だ、小日向さん。最短ルートを行くのがセオリーだろう」
「さっすが澪! 近道だね!」
方向音痴の夏帆が、何の疑いもなく澪の後に続く。私は、ひまりの袖を掴んで、恐る恐るその後に続いた。
しかし、進めども進めども、辺りの湿気は濃くなるばかり。岩塩どころか、ナメクジくらいしかいなさそうなジメジメした空間だ。
「……ねえ、本当にこっちで合ってるの? なんか、どんどん変な場所に来てない?」
「データによれば、この先に巨大な岩塩ドームが……」
澪が自信満々にタブレットを確認した、その時だった。
ふと、それまで黙ってついてきていたひまりが、立ち止まってくん、と鼻を鳴らした。
「皆様、この香り……」
「え、香り?」
私が首を傾げると、ひまりはうっとりとした表情で、洞窟の壁に自生している、青々とした葉を指差した。
「この湿気と、壁の苔が、素晴らしいハーブを育てているようですわ。清涼感の中に、ほんのりとスパイシーさが感じられます。これはきっと、鶏肉のソテーに添えたら、絶品ですわね」
その葉っぱは、確かにマスターが見せてくれた『洞窟ハーブ』の写真とそっくりだった。
夏帆が「うおお! ハーブゲット! これでクエスト半分クリアじゃん!」と大喜びでハーブを摘み始める。
「解せないな。私のデータでは、ハーブと岩塩は乾燥地帯で共生関係にあるはず……。なぜこのような湿地に?」
澪は、自分の音叉とタブレットを交互に見ながら、首を捻っている。
私は、腕いっぱいに抱えることになった洞窟ハーブの、爽やかな香りに包まれながら、目の前の現実をただ受け止めるしかなかった。
「ていうか、結局ただ道に迷っただけじゃない! なんで結果オーライみたいな雰囲気になってるのよ!」
私のツッコミも、ハーブを摘む夏帆と、ぶつぶつと分析を続ける澪には届かない。
「それで、肝心の岩塩ゴーレムは、一体どこにいるのよ!」
洞窟の奥から、ゴゴゴゴゴ……、と、何かが大地を揺るがすような、低い音が聞こえてきたのは、その直後のことだった。