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第31話 星光トマトと夜空のドレッシング

『人魚の竪琴貝』が奏でたスープは、私たちの想像を、遥かに超えていた。

 一口飲むごとに、体中の細胞が、喜んでいるのがわかる。昆布と鰹節、そして、貝のエキスが織りなす、あまりにも完璧な三重奏。私たちは、部室で、無言のまま、ただひたすらに、その命のスープを味わっていた。


「……ぷはーっ! 美味かったー!」


 最後の一滴まで飲み干した夏帆が、満足げに息を吐いた。

「このスープ、最高だけどさ……。これに合う、さっぱりしたサラダが欲しくない!?」

「え、まだ食べるの……?」

「当たり前じゃん! フルコースは、まだ始まったばっかりだよ!」


 夏帆は、またしても、あの怪しい雑誌の切り抜きを取り出した。今度は、暗闇の中で、自ら、星のように淡い光を放つ、真っ赤なトマトの絵だ。


「次のターゲットはこれ! 『星光トマト』! 七里ヶ浜ダンジョンの、第五階層……『星降りの丘』に自生してる、伝説のトマトなんだって!」


 第五階層。

 その言葉に、私の背筋が、ぴんと伸びた。私たちのライセンスで立ち入りが許可されている、最深部。


「第五階層!? さすがに、そこは準備不足じゃ……。危険なモンスターも出るって言うじゃない!」

「問題ない」

 澪が、私の不安を、いつもの一言で切り捨てる。

「『星光トマト』の発光現象は、地中の希少な魔力素子を吸収することによる、生物ルミネセンスだ。『星降りの丘』は、その魔力素子が流星のように降り注ぐという伝承から名付けられた場所。論理的な整合性は取れている」


 彼女は、銀色に輝く、物々しい手袋を取り出した。

「第五階層のモンスターは、素早い動きの個体が多い。だが、この『クロノ・アクセラレーター・グローブ』を装着すれば、装着者の知覚時間を加速させ、時が止まって見える。回避は容易だ」

「絶対、副作用で三半規管がめちゃくちゃになるやつじゃない、それ……」


 私が、新たなポンコツガジェットに戦慄していると、ひまりが、うっとりとしたため息をついた。

「まあ、星光トマト……。そのまま冷やして、岩塩を軽く振るだけで、きっと、最高の逸品になりますわね」

 だが、彼女は、ふと、何かを考えるように、顎に手を当てた。


「ですが、皆様。そのような天上の果実を、ただ、もぎ取るだけで、本当にその真価を味わえるのでしょうか?」

「え?」

「きっと、そのトマトは、『夜空』を求めていますのよ」

「夜空……?」

「最高のサラダには、最高のドレッシングが不可欠。私たちの手で、最高の『夜空のドレッシング』を作り、それをトマトにかけることで、トマト自身が、最も輝く瞬間を迎えるのです」


 夜空のドレッシング。

 その、あまりにも詩的な響きに、私以外の全員が、なるほど、と頷いている。


「つまり、収穫の前に、まず、我々が作ったドレッシングを、トマトに捧げる、と。……面白い。植物に対する外部からの液体付与が、果実の成分に与える影響は、未知数だ。検証の価値はある」

「へえー! 面白そうじゃん! トマトにお化粧してあげるみたいな感じ?」


 違う、絶対に違う。

 ていうか、そもそも。


「なんで食べる前にドレッシングかけるのよ! それじゃ、ただの、枝付きトマトのマリネじゃない! サラダにする意味、全くないでしょ!」


 私の、あまりにも、あまりにも真っ当なツッコミは、またしても、誰にも届かない。

 次の私たちの冒険は、どうやら、伝説のトマトを収穫し、その場で、食べる前にドレッシングをかける、という、本末転倒なミッションに決定してしまったようだ。

 私の夏休みは、一体、どうなってしまうのだろうか。

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