第22話 洞窟の入り口は、お菓子箱の香り
じりじりと蝉が鳴く、真夏の昼下がり。
私たちは、町の外れにある美浜神社の、長い石段を登っていた。木漏れ日が揺れる境内は、風鈴の音が涼やかで、数日後に迫った夏祭りの準備のためか、あちこちに紅白の幕が張られている。
(普通の女子高生なら、お祭りの約束とかで、キャッキャウフフするところなのに……)
なんで私たちは、これから正体不明のモンスターの、お友達作りの手伝いに行かねばならんのか。
本殿の脇にある、鬱蒼とした裏山への道。そこには、古びた木の立て札が一つ。
『この先、万年氷の洞窟。危険につき、立ち入りをご遠慮ください』
夏帆は、その文字を指差して、ニヤリと笑った。
「こういうのって、『押すなよ』って言ってるのと同じだよね!」
「絶対に違うから! 親切心からの警告だから!」
私の制止も聞かず、夏帆を先頭に、私たちは草いきれのむせ返る山道へと分け入っていく。
しばらく行くと、澪が持っていた『広域モンスターフェロモン探知機』のランプが、ピコピコと点滅を始めた。
「この辺りから、未知のアミノ酸結合体を検知。目標は近い」
「どんな感じなの、澪?」
「データによれば、このフェロモンパターンは……『極度の緊張状態と、糖分への強い渇望』を示唆している」
「……それ、単に、今のお祭りを前にした私の心理状態をスキャンしてるだけじゃない?」
私の合理的な疑念は、澪には届かない。
やがて、道の先に、ぽっかりと空いた洞窟の入り口が見えてきた。近づくにつれて、真夏とは思えないほどの、キーンと冷たい空気が肌を刺す。
そして、私たちは息を呑んだ。
洞窟の入り口は、まるで芸術品のように、繊細で複雑な霜の結晶に縁取られていたのだ。キラキラと光を反射するその様は、およそ、凶暴なモンスターの住処とは思えない。
「まあ……見てください、この霜の結晶を。まるで、レース編みのような、繊細な砂糖菓子のようですわ。乱暴なモンスターさんの仕業とは思えませんわね」
ひまりが、うっとりと呟く。その言葉が、彼女の「寂しがり屋のお友達になりたいだけ」説に、妙な説得力を持たせてしまう。
「よし、突撃ーっ! モンスターさん、こんにちはー!」
夏帆が、いつもの調子で中に飛び込もうとするのを、ひまりが「お待ちになって、夏帆ちゃん」と、優しく制した。
「もし、中にいらっしゃるのが、本当に繊細で寂しがり屋な方でしたら、突然大声を出しては、驚かせてしまいますわ」
「えー、じゃあどうすんの?」
「まずは、ご挨拶からですわ」
ひまりはそう言うと、持っていた可愛らしいバスケットの中から、リボンで綺麗にラッピングされた小箱を取り出した。
箱の中には、宝石のように色とりどりの手作りキャンディーが詰められている。
「このお菓子で、私たちの敵意がないことを伝えましょう。きっと、心を開いてくださるはずですわ」
……心を開く?
相手は、正体不明のモンスターなのに?
「だから、ただの凶暴なモンスターかもしれないでしょ!? なんで初手から、隣の家に引っ越してきた挨拶みたいなこと始めてるのよ!?」
私のツッコミも、もはや誰にも響かない。
ひまりは、そのお菓子の箱を手に、まるで友人の家を訪ねるかのように、にこやかに、ためらいなく、ひんやりとした洞窟の中へと、その一歩を踏み出したのだった。