第21話 祭りの前の、面倒な予感
あの奇跡のカレーパーティーから数日後。
部室のちゃぶ台には、飲みかけの麦茶のグラスだけが並び、気だるい午後の空気が漂っていた。常夏ココナッツの衝撃的な美味しさは、私たちの胃袋だけでなく、活動意欲までも見事に満たしきってしまったらしい。
(ああ、平和……。このまま、夏休みまで何も起きなければいいのに……)
私がそんな幸せな現実逃避に浸っていた、その時だった。
がらり、と障子戸が開き、気だるさの化身、冴島先生がひょっこりと顔を出した。
「なんだ、生きてたか、お前ら。やけに静かだと思ったぞ」
「先生……。何かご用ですか?」
「いや、別に。ただの愚痴だ」
先生はそう言うと、勝手に冷蔵庫から麦茶を取り出し、私たちの輪に加わった。
「今年の美浜神社の夏祭り、中止になるかもしれん」
「ええっ!?」
夏帆が、がばっと身を起こした。
「出店の目玉、『ひえひえ氷スライム』のかき氷が出せないらしくてな。なんでも、神社の裏山にある『万年氷の洞窟』に、最近、変なモンスターが住み着いたそうだ。それで、原料のスライムが採れなくなった、と」
先生は、心底面倒くさそうに続ける。
「私は、あのシャリシャリの氷に、練乳をたっぷりかけて食うのを唯一の楽しみにしていたんだがな。……まあ、面倒くさいから、私は何もしないが」
言うだけ言って、先生は麦茶を飲み干すと、「じゃあな」と去って行った。
後に残されたのは、不穏な情報と、そして、一人だけ、目を爛々と輝かせている少女。
「お祭り! モンスター! 面白そうじゃん!」
夏帆が叫んだ。私の平和な午後は、今、終わりを告げた。
「あたしたちで、そのモンスター、やっつけに行こうよ!」
「絶対嫌よ! 神社の裏山って、管理されてるダンジョンじゃないんでしょ? 危ないわよ!」
私の悲鳴に、澪が冷静な分析を加える。
「『ひえひえ氷スライム』は、体組織が純粋な氷で構成された、極めてデリケートな生物だ。その生息環境が脅かされているというのは、この地域の生態系における重大なインシデントであり、学術的調査の価値は高い」
澪は、どこからかアンテナの付いた手のひらサイズの機械を取り出した。
「この『広域モンスターフェロモン探知機』があれば、正体不明のモンスターの種別特定も可能だ」
どうせまた、近くの屋台の焼きそばのソースの匂いにでも反応するに決まっている。
すると、それまで静かにお茶を飲んでいたひまりが、ぽつりと呟いた。
「まあ、氷のスライム……。きっと、削れば淡雪のようにふわふわとした、繊細な口溶けのかき氷になりますわね。なんと、はかなくも美しい食材なのでしょう」
うっとりとした表情のひまりは、やがて、私たちを見回して、首を傾げた。
「でも、そのモンスターさんが、氷スライムを食い荒らしている、とは限りませんわよね?」
「え?」
「もしかしたら、そのモンスターさん、とても寂しがり屋で……。ただ、冷たくて気持ちのいい氷スライムさんたちと、お友達になりたくて、ぎゅっ、と抱きしめているだけなのかもしれませんわ」
……抱きしめているだけ?
友達になりたくて?
「そんなわけないでしょ! 普通に考えて、捕食者よ! なんでそんな、子供向けの絵本みたいな、優しい世界の話になるの!」
私のツッコミも虚しく、夏帆は「そっかー! じゃあ、仲直りさせてあげなきゃ!」と拳を握り、澪は「生物間のコミュニケーションに、新たな仮説……。興味深い」と分析を始めている。
ああ、もう。
私たちの次のクエストは、どうやら、モンスター退治ではなく、寂しがり屋さんのモンスターの、お友達作りの手伝い、ということになってしまったらしい。
私の頭痛だけが、確実に再発していた。