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第20話 カレーは全てを解決する、たぶん

 夕暮れの茜色が差し込む部室。

 ちゃぶ台の真ん中には、あの『常夏ココナッツ』が、まだほのかに熱を帯びながら、オレンジ色の光を放っている。

 あの灼熱の洞窟と、ひまりの怪力沙汰が、まるで嘘のようだ。いや、嘘であってほしい。私の隣で、夏帆と澪がまだ、さっきの光景が信じられないといった顔で、ひまりをチラチラと見ている。


 当のひまりは、そんな私たちの視線には全く気づかず、うっとりとした表情でココナッツを撫でていた。


「それでは、調理を始めますわ」


 その一言で、部室の空気が変わった。先ほどまでの、恐怖と驚愕に満ちた空気は消え去り、神聖な儀式の前のような、厳かな緊張感が場を支配する。

 ひまりの目は、もう完全に“料理人”のそれだった。


「夏帆ちゃんは、そこの野菜をお願いします。大きさは、まあ、お任せしますわ」

「お、おう!」

「澪ちゃんは、スパイスの計量を。一ミリグラムの誤差も許しませんからね」

「任せろ。私の目は、電子天秤より正確だ」


 そして、ひまりは私に向き直り、にっこりと微笑んだ。

「円ちゃんは、お米を研いでくださる? 愛情を込めて、優しく」

「は、はい!」


 私は、まるで蛇に睨まれたカエルのように、素直に頷くことしかできなかった。

 ひまりの指示のもと、私たちは、まるで何かに取り憑かれたかのように調理を進めていく。夏帆が切る野菜の大きさはバラバラだし、澪は分度器を持ち出して、玉ねぎの切り込み角度を計算している。カオスな光景なはずなのに、ひまりが醸し出す奇妙な神聖さの前では、それすらも正しい手順のように思えてくるから不思議だ。


 いよいよ、メインイベント。ココナッツの開封だ。

 澪が「超硬度物質用のレーザーカッターがある」と取り出そうとするのを、ひまりは「風味が飛びますわ」と、静かに制した。

 そして、彼女はどこからともなく、白木の鞘に収められた、美しい小刀を取り出した。


「これは、食材に敬意を払うための、わたくしの『一之太刀』ですの」


 ひまりは、ココナッツの継ぎ目らしき場所に、すっ、と刃を当てる。そして、トン、と。本当に、軽く叩いただけ。

 すると、パカッ、と。あれだけ硬そうに見えたココナッツが、綺麗に真っ二つに割れたのだ。


 割れた瞬間、とろりとした、夕焼け色に輝く液体が姿を現し、部屋中に、えもいわれぬ甘く芳醇な香りが広がった。ココナッツだけではない。マンゴーやパパイヤのような、いくつもの南国の果物が凝縮された香りだ。


「まあ……。これは、ダンジョンの地熱エネルギーを、直接養分にしていたようですわね。果実そのものが、半ば調理された奇跡の食材……」


 ひまりの解説も、もう耳に入らない。

 やがて、スパイスとココナッツが融合し、琥珀色に輝くカレーが完成した。炊きたてのご飯の横に、とろりとかけられる。


 全員、無言で、最初の一口を口に運んだ。


「――っ! う、美味あああああいっ!」

 夏帆が、椅子から転げ落ちそうな勢いで叫ぶ。

「な、なんだこの多層的な味わいは……! 二十七種類のスパイスの相互作用が、ココナッツの甘味と酸味によって触媒され、味蕾の上で幸福の連鎖反応を……!」

 澪の目にも、涙が光っている。


 私も、言葉を失っていた。

 口に入れた瞬間、暴力的なまでの旨味と、優しく包み込むような甘みが、全身を駆け巡る。辛いのに、甘い。濃厚なのに、後味は爽やか。


(もう、いいか……)


 こんなに美味しいものが食べられるなら。

 ダンジョンの備品を破壊しようと、ひまりちゃんが人間離れした怪力の持ち主だろうと、もう、どうだっていいかもしれない。


 私の常識と引き換えに、私たちは、世界で一番美味しいカレーを手に入れたのだ。

 夕焼けに染まる部室で、私たちは、ただ夢中で、スプーンを口に運び続けた。

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