第13話 運命のコイントスは灼熱の香り
「だから! 地熱という明確なエネルギーソースがある以上、灼熱砂漠フロアである蓋然性が九十二パーセントだと……!」
「いいえ、澪ちゃん。それはただの物理現象ですわ。食材の持つ美学、すなわち『物語』を考慮しておりませんわ!」
部室では、未だに澪とひまりによる不毛な神学論争が続いていた。
夏帆は「どっちも面白そうで、選べないよー!」と頭を抱えているし、私はと言えば、もう三杯目のお茶を淹れている。この議論、日が暮れるまで続く気だ。
「よし! こうなったら、シーラカンスのマスターに聞きに行こう!」
夏帆が、閃いたとばかりに叫んだ。
「マスターなら、何か知ってるかもしれないじゃん!」
その提案に、あれだけ白熱していた澪とひまりが「……それもそうだな」「一理ありますわね」と、あっさり矛を収めた。私の淹れたお茶は、一体……。
結局、私たちはまたしても喫茶店「シーラカンス」の扉を叩いていた。
カウンターで黙々とグラスを磨いていたマスターに、私たちが『常夏ココナッツ』の在処について尋ねると、彼はふう、と一つ息を吐いた。
「……昔、あるベテランの探索者が言っていたな。『一番暑いものは、一番寒い場所で輝きを増す』と」
ひまりが「まあ!」と、我が意を得たりとばかりに目を輝かせる。
「だが、別の奴はこうも言っていた。『素直が一番だ。熱いもんは、素直に熱いとこにある』とな」
今度は澪が「……合理的だ」と、深く頷いた。
「どっちも、うちのサンドイッチを美味そうに食う、いい常連だった。……さて、どっちを信じるかだな」
マスターはそれだけ言うと、またグラスを磨く作業に戻ってしまった。
(全然、解決になってないじゃない!)
むしろ、二人の主張に権威のお墨付きを与えて、論争を激化させただけだ。私が頭を抱えていると、痺れを切らした夏帆が、パン! と手を叩いた。
「もう、どっちでもいいじゃん! コインで決めようよ!」
夏帆はポケットから百円玉を取り出すと、高らかに宣言した。
「表が出たら、澪の言う『灼熱砂漠フロア』! 裏が出たら、ひまりの言う『極寒氷雪フロア』! これで文句ないでしょ!」
「……確率論的にも、公平な判断方法だ」
「ええ、天啓に身を委ねるのも、また一興ですわね」
なんと、あれだけ議論していた二人が、あっさりと同意してしまった。
夏帆はニヤリと笑うと、親指で百円玉を高く、高く弾き上げた。
くるくると回転しながら宙を舞う、銀色のコイン。
私だけが、その軌跡を、やけにスローモーションに見える視界で追いかけていた。私たちの運命が、たかが百円玉一つで決まろうとしている。
チャリン。
軽い音を立てて、コインはテーブルの上に落ちた。
四つの頭が、テーブルに寄せられる。
そこに示されていたのは、『表』。桜の花だった。
「よっしゃーっ! 灼熱砂漠に決定ーっ!」
夏帆の歓声が店内に響く。
澪は満足げに頷き、ひまりは「まあ、砂漠ですの。食材の水分管理という、新たな課題ができましたわね」と、即座に思考を切り替えている。
全員の意見が、一瞬で一つにまとまった。
その光景を前にして、私は、もはやツッコむ気力すら失いかけていた。
(最初から……最初から、それでよかったんじゃない……)
私たちの、あの白熱した議論と、わざわざ店まで来た往復の時間は、一体何だったというのだろう。
「さあ、円! 行くよ! 灼熱砂漠へ、レッツゴー!」
夏帆に腕を引かれ、私は、これから始まる地獄の暑さに思いを馳せ、ただただ、遠い目をするしかなかった。