第12話 灼熱のココナッツは極寒がお好き?
岩塩ゴーレムとの死闘(という名の一方的なカウンセリング)から数日。
旧校舎の部室には、ようやく平和が戻ってきた。窓から吹き込む七月の風が、畳の匂いを優しく運んでくる。私は一人、穏やかな時間の中でお茶を啜っていた。この日常こそが、私の宝物だ。
「なーなー、なんか面白いことないのー?」
その宝物は、ちゃぶ台に頬杖をついてつまらなそうにしていた夏帆の一言によって、ガラスのように粉々に砕け散った。
「面白いことなんて、なくていいのよ。平和が一番」
「えー、でも暇じゃん! そうだ!」
夏帆は何かを思いついたとばかりに、ばっと顔を上げた。
「『伝説のダンジョン飯フルコース』! 次のメニューを決めようよ! 前菜のプリンは(いろんな意味で)クリアしたし、次はメインディッシュじゃない!?」
「え、もうメイン……?」
「よし! 幻の食材、『常夏ココナッツ』を探しに行こう!」
常夏ココナッツ。
その単語を聞いただけで、私の額には嫌な汗がにじむ。常夏、というからには、どうせまた面倒な場所に……。
「常夏ってくらいだから、行く場所は決まってるじゃん! 七里ヶ浜ダンジョンの第三階層、『灼熱砂漠フロア』だよ!」
「絶対嫌よ! 灼熱!? 砂漠!? 考えただけで熱中症になるわ!」
私の全力の拒否に、澪が冷静な分析を差し挟む。
「小日向さんの懸念はもっともだが、高城の推測は論理的だ。『常夏ココナッツ』は、その名の通り、常に真夏の環境を維持する生態系にのみ存在する。データによれば、その熱源はダンジョン内の地熱スポットであり、灼熱砂漠フロアはその最有力候補地点と言える」
澪はそう言うと、ヘルメットに無数のファンと蛇腹のチューブが取り付けられた、拷問器具のような機械を取り出した。
「この『パーソナル冷感システムMARK-Ⅳ』があれば、外気温五十度の環境下でも、装着者の体感温度を十五度に保つことが可能だ」
「……それ、どう見ても熱風を顔に送るだけの機械じゃない?」
私がジト目で指摘すると、ひまりがおっとりとした声で口を開いた。
「まあ、『常夏ココナッツ』! その果汁は極上のピニャ・コラーダに、果肉は南国のスパイスを効かせたカレーに……。夢が広がりますわね」
うっとりと呟いたひまりは、しかし、ふと首を傾げた。
「でも皆様。本当に、灼熱砂漠にございますのかしら?」
「え?」
「最高の食材というものは、常に最高の環境で自らを演出するものです。灼熱のココナッツが、ありきたりな砂漠にあるとは思えませんわ。むしろ……」
ひまりは、慈しむような笑みを浮かべた。
「最も涼しい場所で、その熱を際立たせるのではないでしょうか? 例えば、同じ第三階層にあるという、『極寒氷雪フロア』とか」
……極寒、氷雪フロア?
灼熱の砂漠と、極寒の雪原。
二つの、正反対の単語が部室の空気に漂う。
「え、どっちも面白そう!」
「いや、地熱という熱源から考えれば、砂漠フロアである蓋然性が九十二パーセントだ」
「いいえ、食材としての美学を考えれば、氷雪フロアに違いありませんわ。熱さと冷たさのコントラストこそ、至高の美食ですもの」
灼熱地獄か、極寒地獄か。
どっちに転んでも、私にとっては地獄でしかない。
三人が真剣な顔で議論を始める中、私の思考は、もっと根本的な疑問にたどり着いていた。
「どっちでもいいけど、その前に一つだけいい!? なんでこのダンジョン、同じ階層に砂漠と雪原が隣り合って存在するのよ! この世界の生態系はどうなってるの!?」
私の魂のツッコミは、三人の白熱した議論の前に、あっけなくかき消されていった。