第10話 ゴーレムは涙味、きゅうりを添えて
ゴゴゴゴゴ……。
地響きは、すぐそこに迫っていた。薄暗い洞窟の奥から、巨大な影がぬっと姿を現す。
「で、出たーっ!」
夏帆が、恐怖よりも好奇の声を上げる。
そこにいたのは、高さ三メートルはあろうかという、人型の岩の塊。ゴツゴツとした体は、ところどころ白く、キラキラと光を反射している。間違いなく、岩塩ゴーレムだ。その太い両腕には、うず高く積まれた『洞窟ハーブ』が、大事そうに抱えられていた。
「目標捕捉。これより、結晶構造の無力化を試みる」
私の静止も聞かず、澪が音叉を片手にゴーレムへと歩み寄る。そして、今までで一番強く、音叉を弾いた!
キィィィィーーーーーンッ!!
鼓膜を突き刺すような、耳障りな超高周波が洞窟内に響き渡る。
すると、ゴーレムの動きがピタリ、と止まった。
「やったか!?」
「いや、あれは……」
ゴーレムは、その輝く瞳を、明らかに不快そうに細めている。そして、ゴゴゴ……と低い唸り声を上げると、巨大な岩の拳を、ゆっくりと、しかし確実に振り上げた。
「怒ってる! 完全に怒ってるじゃない!」
「解せない。データでは、この周波数で活動が停止するはず……」
澪が狼狽えたその時だった。
「皆様、お下がりくださいな」
ひまりが、澪とゴーレムの間に、静かに割って入った。その手には、例の瑞々しいきゅうりが一本、握られている。
彼女は、振り上げられた拳にも怯むことなく、ゴーレムをまっすぐに見つめ、にっこりと微笑んだ。
「まあ、お怒りですのね。でも、そんなにイライラしては、せっかくの塩分が苦くなってしまいますわ」
ゴ……?
ゴーレムの動きが、再び止まる。その瞳が、ひまりの持つ緑色の物体を、不思議そうに見下ろしている。
「どうぞ、まずはこちらを。新鮮なきゅうりですの。お口直しに、そして、もしよろしければ、あなた様のその美しいお体で、味を調えていただけると、わたくし、嬉しいですわ」
……何を言っているんだ、このお嬢様は。
あまりに突拍子のない提案に、ゴーレムも、私も、思考が停止する。
洞窟内に、奇妙な沈黙が流れた。
ゴーレムは、ひまりの手の中のきゅうりと、自分の腕の中のハーブの山を、交互に、何度も見比べた。
そして、ゴ、ゴゴ……と、今度は悲しそうな、低い声を漏らした。
次の瞬間、信じられない光景が、私たちの目の前で繰り広げられた。
ゴーレムの、岩塩でできた瞳から、キラキラと輝く結晶が、ほろり、ほろりとこぼれ落ち始めたのだ。
それは、まるで涙のようだった。
こぼれ落ちた結晶――つまり、最高級の岩塩――は、ひまりが差し出すきゅうりの上に、ぱらぱらと、完璧な塩梅で降り注いでいく。
「まあ、涙は最高の調味料、と申しますものね。ありがとうございます」
ひまりが満足げに頷くと、ゴーレ-ムは、まるで安心したかのように、腕に抱えていた洞窟ハーブを、その場にどさりと下ろした。そして、一言も発さずに(そもそも口がないが)、静かに踵を返し、洞窟の闇へと消えていった。
後には、山積みのハーブと、完璧に塩が振られた一本のきゅうり、そして、呆然と立ち尽くす私たちだけが残された。
「……な、なんか、よくわかんないけど、クエストクリアー……ってこと?」
夏帆が、恐る恐る口を開く。
(泣いて塩かけただけ!?)
ていうか、あれは怒ってたんじゃなくて、ただ悲しかっただけ? ハーブの匂いが好きすぎて、誰にも渡したくなかっただけなの?
(私たちの覚悟と、澪のガジェットと、ひまりの奇行は、全部なんだったのよ!)
私の心のツッコミは、しかし、もう声にはならなかった。
ひまりが差し出してきた、涙塩のかかったきゅうりを、ただ、ヤケクソ気味に一口かじる。
シャキッとした歯ごたえと、驚くほどまろやかな塩味が、口の中に広がった。
……ちくしょう、なんだか、すごく美味しい。




