#7 反転した暗闇。
目を覚ますと頭がひどく痛むことにまず意識がいった。それにここはどこだ?確か俺は昨日クラウドと飲んでたはず…辺りを見回してもクラウドはいない。喉がカラカラで、頭が痛く、昨日の記憶がない。まさか飲み過ぎというやつか?ならここは?クラウドがいないということはまさか俺は知らない奴に着いて行ったとかなのか?慌てて周りを見て確認すると服が荒らされた形跡もなく、外された武器は机に立てかけてあった。とりあえず武器だ、そう思いベッドから降りようとするとシーツに足が引っかかり頭から転倒してしまう。大きな衝突音が響き、扉の向こうから走ってくる音が聞こえる。武器を手に取り、扉を正面に構える。
扉を開けた奴の顔には見覚えがあった、クラウドだ。
「大丈夫…か?」
「あぁ、大丈夫だ。ただちょっと状況がわからないから説明してくれ」
「分かった、とりあえず武器を置いてこっちにこい。飲み物と朝飯くらいは出してやる」
クラウドに案内され扉の外に出るとまだ部屋がありここはおそらくリビングなのだろう。紙で包まれたサンドウィッチと、水が机の上に置いてあり、椅子にはいつもクラウドが使っている剣がかけてあった。
「クラウドの家…なのか?ここは」
「いや、ここは"安寧と惰眠"っていうちょっとお高い宿だ。昨日お前が泊まってる宿教えてくれなかったからとりあえずうちに泊まらせたんだよ」
昨日の記憶が全くないが、おそらく俺は迷惑をかけたのだろう。
「すまなかった。楽しく飲む場で迷惑をかけてしまった」
「んな頭下げんなよ、俺もロッドも気にしてないからよ。腹減ってるか?喉は乾いてるだろ?ほら座れよ」
「本当にすまない、いただいてもいいか?」
「おう。俺以外の前であんな飲むなよ、心配になる」
「肝に銘じる」
本当に頭が痛い、お腹は少し減っている、喉がカラカラだ。申し訳なさと自責の念がお腹の中を渦巻いている。もう飲まないようにしよう、そう心に決める。
「今日は冒険やめとこう」
「それは私の体調のせいか?」
「それも理由にもあるがもう昼だ。大した依頼は残ってねぇよ、今日はゆっくり休んで明日に備えろ」
「そうか…すまない…」
「なに謝ってんだよ、ほらさっさと食え。俺はもう寝る」
クラウドの買ってきてくれたサンドウィッチを食べ、杯にある水を飲み干す。長居するのも申し訳ない。
「色々とすまなかった、この礼は必ず返す」
「おぉ気にすんな、それじゃあな」
「おやすみクラウド」
クラウドの宿を出て、外の空気を吸い込む。頭が少し冴える感覚を他所に、少し街を散策する。俺はこの街のことをまだよく知らない、幸い財布に少し余裕はある。武器や防具も間に合っている今、少し買い物をしてみようと思った。クラウドに何か買ってやるのもいいかもしれない。
様々な店や屋台が並んでいる通りに出る、商店街だろうか。活気が溢れている。アクセサリーの類が売ってある露店に目をつける。少し怪しそうな店主だが、値段はどれも高くない。
「もし、店主。戦闘の邪魔にならない程度のアクセサリーはあるか?」
「ならネックレスだな、なんだ姉ちゃん。彼氏にプレゼントか?」
「パーティメンバーに迷惑をかけてしまってな、お詫びになにか買おうと思って」
「なるほどな、俺は客にアドバイスしないのがモットーでな。姉ちゃんがいいと思うものがあれば買ってくといいさ」
露店には様々なアクセサリーが売っていた、指輪にネックレスがメインだが他にも鉢金や籠手のようなちょっとした防具なんかも。思えばアクセサリーの類は買ったことがなかったな。
鉢金、微々たるものだが頭を守ってくれるしこれはいいかもしれない。店主に頼み、鉢金を二つ購入する。藍色の綺麗な鉢金だ。紙袋に入れてもらい、露店を後にする。
服とかも見てみるのもいいかもしれない。少しテンションが上がってくるのを感じる。前世では服なんて着れたらいいと思ってたしプレゼントをあげたこともない。前世で経験してこなかったそのどれも新鮮で楽しかった。とりあえず適当に目についた服屋に入る。
「いらっしゃいませ〜、あら可愛いお嬢さんね」
「む」
入った服屋は女物の服ばかりで、少し気後れしてしまう。
「緊張してる?こういうところくるのは初めて?」
「あ、あぁ。少し見ておこうと思って入ったのだが迷惑なら店を出る」
「全然迷惑じゃないわよ、それに近々大きなお祭りがあるしそれのための服を買いに来たのよね?デートの相手は彼氏?」
「祭りがあるのか?」
「えぇ、この町ができたのがちょうどその日だからみんなで盛大にお祝いするの」
「なるほど、それは楽しみだな」
「で、どういう服が好み?」
「私は服の類が分からん、適当におすすめで頼む」
「じゃあ張り切っちゃおうかしら」
そこから俺はひたすら服を着ては脱がされを繰り返され、しばらく店を出ることができなかった。ドレスやスカートなどのひらひらしたものはとにかく落ち着かないため、黒のスキニーにクロップドトップスと店主が言っていたヘソだけ出ている白いシャツ、黒いカーディガンを強く勧められ買ってしまった。成人男性が、ヘソの出ている服をだ。なんていうか、徐々に忌避感みたいなのもなくなってきたな。俺の中の俺の部分がじわじわ侵食されていく感覚だ。そのうち俺の意識は完全になくなってしまうかもな。そう怖い想像をしてしまい、慌てて思考を切り替える。
…案外服も安いのだな、高すぎると需要と供給のバランスがぶっ壊れるのか?他のものを見ても特に高いものは見当たらない。この店が特別安いのか、大量生産がすでに可能なのかは分からないがこれなら娯楽としても手を出しやすいだろう。
店を出る時、店主が声をかけてきた。
「貴女、下着は買わないとダメよ。女性の体は傷つきやすいんだから」
「頭に入れておく、またくる」
「絶対買いなさいよ、それじゃあまたいらっしゃいね」
下着、マグナが最初からつけていなかったから存在しないと思ってたがあるのか。しかし女物の下着か…いまだに買うのに抵抗があるな、買わなきゃいけないのは分かるんだが…いや、行こう。あの店主が言うには買わなきゃいけないものらしいし、それに下着をつけてないと意識すればするほど段々恥ずかしくなってくる。
別の下着を専門に扱っている服屋に行き、適当に買い物を済ませる。別に誰に見せるわけでもないし安ければなんでもいい、装飾がたくさんついてるやつとかあれもうめちゃくちゃ邪魔だろ。買った下着をその店の試着室を借りて付ける。サイズはぴったりだし、なにより服に擦れる違和感もなくなって動きやすくなった。そういえば前世でマラソンランナーは乳首を保護しないと擦れて血が出ると何かで見たな。俺も下着をつけてなければいずれそうなっていたかもしれない。服屋の店主に感謝だな。そういえば店主が言っていた祭りはいつなのだろうか、クラウドと見て回りたいな。
買った服と鉢金の紙袋を両手で抱えて、上機嫌気味に宿に戻る。上手くいっていたし、買い物も楽しく終えることができた、渡した時のクラウドの顔が楽しみだ。そういう風に意識が別のところを向きすぎていて気付かなかった。突如背中が熱いと感じる。
振り返ると黒いローブを身に纏った人物が俺の背中に短剣を突き刺していた。
なぜ?こいつは誰だ?様々な疑問が流れるがそれらを塗り潰す痛みが背中に走る。男はより深くナイフを抉り込む。反撃しようと慌てて太ももの短剣を抜くがギリギリのところで意識が暗闇に落ちる。
周りに人は大勢いるのに、なぜ俺が襲われてることには誰も気付かないという疑問と、これからどうなるのか分からない恐怖、そして痛みが俺の脳を支配した。
次に目を覚ました時、俺は鎖に繋がれていた。刺された背中と頭が痛む。雑に包帯が撒かれ、火鼠のローブは外され長剣も俺の手元にはない、短剣は落としてしまったか。金属の檻の中に入れられ、檻の前には先ほどの黒いローブを着た男が三人。複数人いたのか、油断した。
「やーっと目を覚ましたか」
リーダーらしき男が口を開く。
「ここはどこだ、お前たちは誰だ、なんのためにこんなことをした」
「言う必要がない、答えない、お前を売り飛ばすため」
売る?奴隷なんて文化はまだこの世界にはなかったはずだが、人身売買は既にあったのか?俺の知識の中にはそんなものない。いや、そもそも俺はなぜ異世界の知識を最初から有していた…?
今はそんなことはどうでもいいか、俺の知識はなにも絶対じゃない。俺の知らないことを知ってるやつが大勢いる世の中だ。俺は全知全能じゃない。
「売る?だれに?なんのために?」
「だから、そこまで言う必要がないんだって言ってんだろ。それに別に知ってもどうにもならないだろ?助けなんか来るわけねぇんだから」
「助けなんかいらない、ここら一帯吹き飛ばしてやる」
ありったけの魔力を込め、『火矢』を放とうとする。しかし不発、そんなことはあり得ない。回路は未だ正常だしなにより俺は魔法を使えないなんてことは経験したことがない。
『土弾』、『雷槍』を試すもいずれも不発、『四足』、『四手』も駄目。何が起こっている…?
「だから言ったろ?どうにもならないって。うちはそこそこ組織が大きくてね、隷属の魔術を修めているやつも何人かいる」
「隷属を人に使用するのは禁止されてるはずだ!」
「そもそも人を刺すのも禁止だけどな、こんないい魔術生み出してくれた昔の魔術師には感謝だな。おかげでうちは儲けてしょうがない」
フードで顔はよく見えないが下衆た笑みをを浮かべているに違いないそいつがとにかく憎たらしかった。奥歯を噛み締め、口から血が溢れる。完全に手詰まりだ。完全に油断した、上手くやれてると自惚れた。俺はクラウドがいなければただのガキだ。
前回感じた視線の正体はこいつらなのだろう。もっと警戒すれば、誰かに話しておけば、こんなことにはならなかった。
「まぁ飼い主がくるまでもう少し待っとけよ、檻の中でなら自由にしていいからよ。ははは!!」
黒いローブをきた男たちがどこかに行く。今俺に何ができるか考える。鎖は外れそうにないし魔法は相変わらず使えない、救助は絶望的。首元を見ると焼印のようなものがあった、これが隷属魔術の印だ。
確か本来は魔物や家畜などに使い、支配下に置く技だ。無論人間にも使えるが禁忌として使用は固く禁じられている。使った時点で即刻死刑だ、便利だが代わりに悪影響も否定できない。小悪党が使っていい魔術じゃない。俺を攫ったのはおそらく組織だ、それもそこそこ大きい。
俺は選択を誤った、その内俺の飼い主とやらがきて死ぬまで奴隷なのだろう。体が震える、そんなのは嫌だ。死にたくないし誰かに支配されるのは死ぬほど嫌だ。俺は自由になったはずだ、ただ冒険者としてこの世界で伸び伸び生きたかっただけだ。
誰でもいい、誰か助けてくれ。ダイトウ、クラウド、ロッド…誰でもいい、俺をここから出してくれ…
「神様…」
涙が頬を流れる、ただひたすらに絶望する。何も聞こえない、何も見えない。頭の中は後悔でいっぱいだった。ガチャリと檻を開ける音が聞こえた。誰か助けに来てくれた、クラウドかと思い顔を上げるとそこには見知らぬ男がいた。酒を片手に、笑みを浮かべて。
俺はこれからなにをされるのか想像してしまった、気持ち悪い、悪寒が走る。涙が溢れて嗚咽が漏れる。
「やめ、やめてくれ…」
逃げようと後退りをしようとしても後ろには壁、冷たい鎖が肌に当たる。
「ちっ、うるせぇな。大人しくしろ」
男は不服そうに手に持った酒瓶を俺の頭目掛け思い切り振り下ろす。冷たい衝撃と、鈍い痛みが頭に走る。俺の頭から流れてるこれは酒か、血か。一瞬意識を手放しかける、いや気を失った方がマシだったかもしれない。俺の顔を乱暴に殴り、服を引きちぎる。抵抗すらできない巨大な暴力を前に、俺は何もできなかった。手を前に出して防ごうとしても意味がない。
「次生意気な真似をしたら今度こそ殺す。三度目はない、大人しくしろ」
「…」
抵抗する気力も、希望も全て踏み躙られた。ただこの時間この瞬間が早く終わることを願い、瞼を閉じる。
男の気持ち悪い吐息が肌に当たり、喉の辺りまでなにか込み上げる。
男が俺に触れたその瞬間、近くで爆発が起きた。石が吹き飛ぶ音と、何者かが走ってくる音。俺の近くで止まったその足音の主は静かに、口を開いた。
「お前ら全員殺してやる」
何度も聞いた、何度も求めたその声に俺は目を開ける。いつものヘラヘラした様子は一切なく、青筋を浮かべ、修羅が如き表情をしたクラウドがそこにいた。
俺の前にいた男はなにか声をあげようとしたがその前に首が切れ、鮮血が檻の中に弾ける。なにをしたのか見えなかった。剣を鞘に納め、俺の下に駆け寄るクラウド。その表情はとても心配そうで、後悔したような顔だった。
「あいつらに何をされた、薄水薬だ。飲め、痛みが治る」
「あ、あぁクラウド…クラウド…うあぁああああ…ありがとう…本当に…」
俺は年甲斐もなく大声で泣き喚いた。目の前に来てくれたこの男が俺に安心と希望を与え、絶望を拭い取る。俺はクラウドに抱きついてただひたすらに泣いた。安心しきったためか、そもそも限界だったのか分からないが俺はそこで意識を手放し、次に気づいたときにはクラウドにおんぶされていた時だった。