#6 平穏を杯と共に。
宿に戻り井戸で水を組んで部屋に戻る。今がどの季節か判明していないが未だに夜は肌寒い。べっとりとこびりついて離れない血や脂を擦って落とす。服は『洗浄』をかければどうにかなるだろう。この世界の人間もやはり身なりとかは気にするのだろうかとふと思う。前世とは違い生きるのも一苦労なこの世界ではそういったものはまだ贅沢な娯楽の域を出ないのだろうか。
数十分かけてなんとか他をこそぎ落とし、宿を出る。やはり防具を外してきたのは失敗だったか。太ももから下が冷えてしょうがない。とはいえ今から戻るわけにもいかないだろう。
噴水は近くとはいえ少し時間がかかってしまった。噴水にたどり着くとクラウドが既に着いていた。どうやら待たせてしまったみたいだ。いつもと違い、胸当てなどの防具を外し、剣のみベルトに下げているクラウドは新鮮な感じがした。小走りで駆け寄り、遅れた旨を謝罪する。
「いいっていいって。それよりその格好、いつもと違ってより可愛く見えるな」
「クラウドの方こそなんだか男前だな」
「お、おう。ありがとう?」
「なぜ疑問形なのだ」
「いやなんか照れくさいなと思ってよ。まぁいいや、立ち話も冷えるだろうし腹減ってるだろ?ちゃっちゃと行くか」
「もう少しでお腹がなくなってしまうところだった、早く案内してくれ」
クラウドに案内され街を歩く。既に酩酊気味の人たちや嬉しそうにテラス席で杯を交わす男女、小難しそうな顔をしている紳士や一人でちびちび飲む初老の男性。この街はやはりちゃんと生きている、不思議とそう思った。別に直接的な意味ではない。人々の顔がみな感情豊かで前世より遥かに過酷な環境なのに、いやだからこそ一日一日を何気なく過ごすわけでもなく充分に楽しんでいるように見える。少し路地裏に入り小さい看板が出ている建物に入る。中は非常に狭かった。半分以上が厨房で、座れるところはカウンターしかなく、座れてせいぜい四人くらいだ。様々な料理の匂いとお酒の匂いが混じった居酒屋独特の匂いによりお腹が空いた。
「おっす〜、まだ潰れてねぇかぁ?」
「生意気な奴はお断りだ…なんだぁクラウドじゃねぇか!最近見なかったから心配してたぞ!」
「ちょっと色々あってな、二人いけるか?」
「なんでぇ、えらい別嬪連れてきたな。空いてっからとりあえず座れよ」
腰にエプロンを巻き、作業をしているその男はクラウドと旧知の仲なのだろうか。とても仲良さそうだ、常連とかなのだろうか。とりあえず薄めた葡萄酒とエールを注文し、あとは適当につまめるものを頼んだ。厨房が丸々見えるタイプの居酒屋で、なんだか前世を思い出す。料理をしながら店主と思わしき男が嬉しそうに口を開く。
「しっかしあのクラウドが久々に来たと思ったら女を連れてくるなんてなぁ?」
「今はただのパーティメンバーだよ。マグナ、こいつはここの店主のロッドだ。生意気だろ?ムカついたら殴っていいからな」
「ロッドだな、マグナだ。よろしく頼む、殴ったりはしないから安心してくれ」
「マグナか、ロッドだ。そんときゃ殴り返すから安心してくれ」
軽く会釈をし、飲み物を出してくれる。どうやらロッド本人も飲むみたいだ。なんだかいいな、こういうの。
「それじゃあ依頼の成功に乾杯!」
「かんぱーい!」
木の杯がぶつかる感触のいい音が鳴り、クラウドは一気にエールを飲み干した。
「相変わらずいい飲みっぷりだな。で?本当にマグナとはただのパーティメンバーなのか?」
「俺ぁ惚れてるぜ、だがそれよりもパーティだ。どっちかというと命を預ける戦友の方が近い」
「クラウドのことは尊敬しているし頼りにしてるが恋愛感情どうこうがまだよく分かっていないんだ。それにパーティの今がとかく心地いい」
俺の自認は未だ男だし、体に引っ張られるなんてことは今のところはない。そもそも前世でも恋愛感情はよく分かってないまま死んでしまった。こっちの世界でも最後まで分からないまま終わるんだろうか、それはそれで少し寂しい気もする。
「マグナ、クラウドはいい男だ。人の恋愛にぐちぐち言うつもりはないがそれだけは忘れないでくれな」
「あぁ、私も常々そう思っている。クラウドはいい男だ」
「ロッド、マジで勘弁してくれ…」
いつもと違って余裕のない表情のクラウドはなんだか新鮮で見てて面白かった。
「まず一品目な、岩脚鳥のステーキだ。とりあえず胃にぶち込め」
岩脚鳥は確か脚力が発達した代わりに翼を失った鳥だ。草食なため魔物としての危険度は低い。
そもそも魔物と動物の違いはなんだったろうか。絶妙に思い出せない。今はそんなことよりもこのご馳走に目が離せなかった。程よく照りが出てすごく美味しそうだ。
「クラウド!すごいぞこれは!光ってる!」
「あぁ…光ってるな…今日は俺の奢りだからじゃんじゃん食え」
「あぁ!お腹が爆発するまで食べるぞ!」
若干笑いを堪えているクラウドを余所目にナイフでステーキを切り出し、フォークを指して口に放り込む。皮はパリパリとしていているが肉自体はしっとりとしている、噛むたびにサラサラとした油が喉を通り、あっという間に飲み込んでしまった。不思議と笑みが溢れる、異世界の料理はやはり美味しい。
「ははは、クラウド」
「どうした?」
「私はこの店が好きだ。なんだこの肉は、美味しすぎるぞ」
「そりゃ結構だ、料理は最高だろ?」
「あぁ!最高だ!」
「料理はってなんだよ、俺もいて成り立ってんだよこの店は」
「いやでも本当に美味しい」
「そら良かった、料理人冥利に尽きるってもんよ」
あっという間にステーキを一枚丸々食べてしまった。それでもまだお腹は空いている。お酒、飲んでもいいだろうか。ダメってことはないだろうがそれでも少し不安はある。ただなんというか、一緒に酔っ払ってみたいと思った。前世ではこんなこと一度も思ったことはない、ただクラウドとは一緒に酔いたいと思った。
「ロッド、今度は普通の葡萄酒をもらえないか」
「あいよ、クラウドはどうする?」
「エールを貰おう」
程なくして葡萄酒とエールが卓上に乗る。クラウドと再度乾杯し、飲む。肉の油と共に喉を通り過ぎる冷えた葡萄酒がとてもおいしかった。
「飲めたんだな、酒」
「成人してるからな、クラウドは時々私を子供だと思い込んでいないか?」
「ちいせぇじゃん、お前」
「これから伸びる、クラウドを見下ろしてやる」
「ぷっ、ははは!聞いたかロッド!マグナはやっぱり大物だ!」
「程々にしておけよ、多分マグナは怒ったら怖いタイプだぞ」
「む、私はそんなことでは怒らない。クラウドの頭をいずれ撫でてやる」
「そら楽しみだ」
あっという間に一杯目を空にしてしまい、二杯目に口をつける。この体は弱いわけではないみたいだな。まだ理性は、ある。
クラウドがシガレットを吸い始めたのを見て、ここが喫煙可能だと知る。いやまぁ異世界に受動喫煙の概念はまだないが前世の癖で未だに室内では抵抗がある。俺も一本取り出し、二人で煙を吐き出す。クラウドは俺を横目で見て、優しい目で頭をガシガシ乱暴に撫でた。
「うぁ、なんだクラウド!」
「黙れ、撫でやすい頭してるお前が悪い」
「あはは!助けてくれロッド〜!」
「危ねぇから火ついたまま暴れんな酔いどれ!」
いけない、少しだけ頭がふわふわしてきたぞ。もしかしてこの体も、弱いのか?まぁ今くらいは、少しくらい酔ってもいいかもしれない。
「ロッドー、葡萄酒の他になんのお酒がある?」
「エールに林檎酒、あとはウイスキーくらいだな」
「む、ウイスキーをくれ」
「意識ぶっ飛びそうなくらい濃いぞ、大丈夫か?」
「私は冒険者だ、問題ない」
「よくわかんねぇが吐くなら外でやれよ」
そう言ってロッドはウイスキーを差し出す。一口飲むと確かに濃い、喉が焼けそうだ。だが飲めないほどじゃない、それに前世と違って美味しく感じる。二品目の揚げ芋を手に取り食べる。ゴロゴロとしたケチャップとも相性がよく食べる手が止まらない。
「しかしよく食べるな」
「ロッドの作る料理が美味しいからな」
「そうかい」
「クラウド!飲んでるか〜」
「おぉー!飲んでるぞ!」
三度目の乾杯。少し頭がくらくらしてきた。意識が少し溶け始めてる。今度はクラウドの頭を私が撫でてやった、いつもしてくるみたいに乱暴に。
「お、なんだ?」
「いつもしてくるだろ〜、こうやって。おりゃ、食らえ」
「酔うの早いなぁ、ロッド助けてくれー。髪の毛がぐしゃぐしゃになっちまう」
「無理だ、客に触れたら飯が作れねぇだろ」
「ここか、ここがいいのかクラウド〜」
「こんにゃろうー!仕返しだ」
「あはは!これ好きだぞ〜、もっと頼む〜」
クラウドが仕返しに両腕で乱暴に俺の頭を撫で回す。それがやっぱり心地よくて、本当に好きだった。
「私はな、クラウドに感謝してるんだ」
「そうかい」
「本当だぞ?あのときクラウドに話しかけられなかったら今頃どこかで死んでいたかもしれない。それこそ群魔狼に食い潰されてる頃だったかもしれない」
これは可能性の話だ。高くはないが低くもない。有り得たかもしれない現実の話。俺には強力な魔法がある。だが撃ったら必ず当たるわけでもないし強靭な身体能力もない。他対一を語るほど場慣れしているわけでもない、そもそもあの森だって運よく抜けれただけで遭難して餓死だってしてたかもしれない。本当のマグナみたいに。
ふとクラウドの顔を見るとじっと悲しそうな顔をしてこっちを見ていた。きゅっと口を結んで、目尻に皺を寄せて。
「悲しいこと言うな、死んでいたかもしれない。それはそうかもしれないが今まで死んでないのは俺のおかげじゃなくてマグナ自身の力ってだけだ」
「いや、クラウドがいてくれたから実際に私はまだ生きていられてる。恩人だよ」
「だとしてもだ、俺たちはパーティ、持ちつ持たれつが基本だぜ。ほら、乾杯すっか」
「する」
何度目か分からない乾杯をして俺たちはそれからしばらく飲んだ、ロッドの作る美味しい料理と信頼のおける仲間と楽しく、何時間も。
「んじゃあそろそろ帰るわ、ほら立てるか?」
「たてるぞ、だいじょぶだ」
「絶対無理だ、ほら乗れ。おぶってやる」
「お、きがきくじゃないかり重たかったらおろしてもいいぞ」
「重たくても下ろすかよ、んじゃなロッド。お代置いとくわ、釣りはとっといてくれ」
「おう、丁度頂くぜ。また来いよ、俺はマグナが気に入った。また二人でウチにこい。今度はサービスしてやる」
「そりゃありがたいね、それじゃあな」
「ロッドのつくるご飯はおいしいからまたくるぞ」
「そうかい、マグナも次来る時は酒も程々にな。気をつけて帰れよ」
しかしこの状況どうするか、マグナは完全に酔っ払っちまってる。宿もどこに泊まってるか知ったもんじゃねぇ。とはいえ外に放置するわけにもいかん。
「くらうど〜おろせぇ〜」
「だめだ、お前今倒れたら絶対動かないだろ」
「だまれ」
マグナはずっとこの調子だ。さっきから感謝してきたり雑に扱ってきたり情緒が不安定だ。そのうち泣き出すかもしれない、それはそれで見物だが。
「お前今どこに泊まってるか分かるか?」
「どこに泊まってるとおもう〜?あはは!」
「勘弁してくれってマジで…」
このへべれけチビをどうしたものかとにかく困った。困ったで言うとさっきから胸がやたら当たる。意識しちゃいけないと思えば思うほど余計にその感覚に意識が向く。あぁ、クソ。
「とりあえず俺の宿向かうけどいいか?」
「お、いいぞ〜!進め進め〜!」
「人の気も知らないでクソ…」
「ところでクラウドは今日こんなにいい匂いするんだ?」
「おいやめろバカ、ただの香水だ。そんな嗅ぐな気持ち悪りぃ」
「落ち着くな、クラウドの背中は」
そう言ってマグナはゆっくりと寝息を立て始め、ついには完全に寝てしまった。ここから俺の宿まで少し歩くが、頭を冷やすには丁度いいか。
なんとか宿の階段を上り切り、部屋のベッドにマグナをゆっくりと寝かせる。規則的なリズムで安心しきったマグナの寝顔を見ると、劣情すら抱かない。俺は、クラウドはマグナに惚れている。だがそれは性的な意味ではなく単純な庇護欲、父性というやつが転じてそう感じているだけかもしれない。だがとても愛おしく、大切に感じる。ポケットからシガレットを取り出し、火をつける。
こいつが何者なのか、俺は詳しく知らない。冗談かと笑えるくらい達観していて、それでいて危うさを感じる。あの日ギルドにきたときレボルの面影を感じたのは事実だ、だが一目見た時に全身の血が沸騰するような、心臓が再び動いたような感覚を覚えた。
俺の"眼"がそうさせたのか、俗に言う運命なのか分からないがこいつは他と違ってやたらキラキラ輝いて見えた。ボロボロの格好で今にも死んでしまいそうな顔をしていたのに瞳の奥にある生への執着を感じずにないられなかった。まぁ理由をどれほど並べてもこいつに惹かれているのは確かだ。
それに今日の動きもやたら機敏で正確だった。どこでなにしてたか分からないが少なくともカタギってことはないだろう。俺はこいつの行く末を見届けたい。そのために生まれてきたかもしれない、特殊な"眼"もこいつを守るために神がくれた贈り物なのかもしれないな。まぁ、神の不在が今の定説だが。
とにかくもう今日は眠ってしまおう、座りながら寝るのはもう慣れている。