#2 案外人は優しい。
カトデラルへの門をくぐり、大通りへと入ると様々な人が往々にして歩いていた。街灯の灯りに照らされて、本当に様々な人が。
ひとりでずっと過ごしていた俺の記憶か、はたまたマグナの肉体に刻まれた記憶のせいか分からないが涙が溢れて止まらなかった。多分、一人じゃないっていう安心感だろうな。声を振るわせ、子供みたいに立ち尽くして泣いた。俺のそばを通る人々が少しだけ俺を見てすぐに興味をなくして通り過ぎる。
どれくらい経っただろうか、気持ちも落ち着き涙を拭うと腹の虫がうるさく鳴いた。どこかで腹に何か入れなければ。ご飯処を探しながら歩いているとある看板が目に入った。「冒険者ギルド」、ふと口にこぼした看板の名前に俺は吸い込まれていった。
ドアを開けると中にいる人のほとんどがご飯や飲み物などを口にしていた。大笑いして、傷だらけの体で、幸せそうに。それがなんだかとても楽しそうで、羨ましかった。受付と思わしきカウンターに向かい話しかける。しかしこのカウンター少し高いな、背伸びしないとなにがなんだか分からん。
「ようこそ冒険者ギルドへ、依頼ですか?納品ですか?登録ですか?」
「ふぬぬ、登録で、頼む」
なんとかカウンターの上に腕をかけ、顔を出すことに成功する。なんとも間抜けな声と姿だ。
「かしこまりました、ではこちらの冒険者登録書にご記入お願いします。文字は書けますか?」
「あぁ、書ける。すまんが椅子を借りてもいいか、高い。」
「かしこまりました」
受付の女性が椅子を持ってきてくれ、それのおかげで難なく書くことができ、提出する。しかし前世でもそうだったが、でかいとこの受付の人はなんでこんなに美人が多いんだろうな。
「確認します。名前はマグナ、年は15。所有武器は剣とありますが今お持ちではないようですね」
「門番に預けている。身分証明の類がなかったからな」
「なるほど、使える魔法は『火球』『微弱結界』『四足』『四手』『洗浄』。使える魔術はなし、そして専門技術や冒険経験もなしと」
「そうだ、大丈夫そうか?」
「問題ありません、ではこちら冒険者用の識別票です。あなたの名前と登録した日にちが書いてあります。あなたの身分を証明する物で再発行に審査とお金がかかりますのでなくさないように」
「灰色、なのだな。」
「はい、冒険者にも等級があり下から灰、黒、白、鉄、銅、銀、金となっております。金はなった瞬間から国や街などの公的機関に抱えられてしまうので基本的に在住最等級は銀となります。質問などはございますか?」
「ここらでご飯が食べれるところと寝床を提供しているところ、それに武器防具の類が売っているところはあるか?」
「食事はギルドで食べることをお勧めします。ギルドは卸売などもしているので他の店より安く手早く食べることができます。寝床ですとギルドを出て十字路の先、噴水の近くに"黄金の麦亭"がございますのでそこがよろしいかと。武器防具などですが、そちらは黄金の麦亭のさらに先、丘を登った先に"永遠の炉心"という上質な鍛冶屋があるのでそこをお勧めします。ギルドの紹介と伝えていただきますとお安くお買い求めできますよ」
「あぁ、色々とすまないな。助かった」
「いえ、良き冒険を」
受付嬢にお礼をして椅子から降りる。先ほどのテーブルの方へ向かい適当な席に座る。
ふむむ、異世界のご飯。非常に楽しみだ、どんな食べ物が売っているのか。忙しなくホールを駆け回る給仕を引き止め、おすすめのものを聞く。最初くらいいいものを食べたっていいだろう。朝から何も食べていないことだし。
「すまない、ここの食堂でおすすめのものはあるか?」
「今ですとトラウトっていう川魚が油が乗ってて美味しいですね。パンとスープ、飲み物とセットで売っていますがいかがですか?」
「ふむ、美味しそうだ。それを頼む」
「ご注文ありがとうございます、少々お待ちください」
川魚か、鮭みたいなものだろうか。涎が止まらないな。やはりご飯は素晴らしいものだ、料理とは最高の発明かもしれないな。
椅子に座り足をプラプラ浮かせながら料理の到着を待つ。すると向かいの席に男が座ってきた。急所などを鎧で防御している、金髪青眼の若い男だ。剣を背中に納め、左手には小盾がベルトで止められている。
「君、随分とボロボロの格好をしているね」
「誰だ、何の用だ」
「そう警戒するなよ、ギルドの中だ。別に遺跡の中ってわけじゃない、それに俺たちは魔物でもない」
「じゃあ何の用だ。お…私には盗るものなんてないぞ」
「いやなに、見るからに新人だし、ボロボロだから心配だと思ってな」
「気にするな、明日服や防具を買うし私は負けない」
先ほどまでヘラヘラしていた男の様子が一変した。鋭い目つきに変わり、今にも殺されてしまいそうに感じるほど。周りの喧騒が聞こえなくなり、心臓がバクバク早く脈打つ。まるでここには俺と男しかいないような、けれど大衆の中にいるという感覚が平衡感覚を失わせ、クラクラさせた。
「お前、本当に死ぬぞ」
「な、なぜそんなことを言う」
「見たところ魔物は殺せるみたいだな、おそらく魔法で殺した。だが命を奪うことに慣れていない。何度か吐いてるな?」
なぜそのことを…まさか見られたのか…?
「そう睨むな、別にあんたをつけてたわけじゃない」
「じゃあなぜ…?」
「匂いと顔色、あとは勘だ」
「匂いって…そんな臭かったか?それに勘って…」
「臭くはない、いや臭いが。服の首元に吐瀉物の跡がある。おそらく小鬼とかだろ?殺したのは。顔色が悪いのは魔力をそこそこ消費したからか、命を奪った感覚に吐き気を催したか、あるいは両方か」
「あ、あぁ。小鬼だ、三体殺した」
「やっぱりな、慣れてない奴が殺すと調子に乗るか、病んじまうんだよ。だが最後の結果はどっちも同じ、死ぬ」
「私は確かに殺した、そして胃の中も全部ぶちまけたさ。だがもう覚悟は決まってる」
「だからそれが死への片道通行証だって言ってんだろクソガキ。それにな、お前みたいなガキ魔物に殺されなくても盗賊に攫われて殺されて終いだ。あいつらは人を殺せるがお前は無理だ」
「う…確かにそうかもしれない。だからと言って今更辞めるわけには!」
机をバンと大きく手で叩き、立ち上がる。一瞬食堂にいる全員が俺を見るが、また興味をなくして話に戻った。そのタイミングでご飯が運ばれてきた。
「お話中失礼しまーす。トラウトセットになります。ごゆっくりどうぞ〜」
食欲をそそるいい匂いと共に皿に乗ってきたソレは身振りの大きな魚で、いますぐにでも齧り付いてしまいそうだった。やや黒ずんだ拳大のパンと緑色の豆が浮かんだ湯気の立ったスープ、木のコップに入ってある赤紫色の飲み物も美味しそうだった。
「…とりあえず食ってもいいか?しばらくなんも食べてないんだ」
「お前が頼んだもんだろ、知るか。勝手に食え」
「あぁ、すまん」
フォークを手にし、トラウトと呼ばれる魚の身をほぐす。じんわりと油が浮かんできて非常に美味しそうだった。涎を飲み込み、一口食べると…美味い。先ほどまでの会話など全て忘れるくらいには。確かに課題は多い、生きていけるかも不安だ。だが今くらいは細やかな幸せを噛み締めて飲み込んだっていいだろう。
パンはやや固いがスープに浸して食べると程よい塩気と柔らかさを与え、さらに食が進んだ。赤紫の飲み物は葡萄酒を水で薄めたものだろうか。これも美味しい。豆のスープは少し固い豆がいいアクセントだ。
あっという間に全て平らげ、息を一口漏らす。前世の癖でポケットをまさぐってしまうがタバコもライターも当然入っていない。少しがっかりした。
「ふふ、ははは!」
突如大声で笑う金髪の男に少しだけびっくりして肩が跳ね上がった。
「な、なんだ…?」
「いやなに、本当にクソガキなんだなって思ってな。はは…まだ笑えるぜ」
親指で目尻に浮かんだ涙を拭いながら男は続ける。
「俺ぁ、クラウド。ただの世話焼きのいい男だ」
「マグナだ、できることしかできないただの冒険者だ」
「そんで食いしん坊」
クラウドと名乗った男が笑いながら握手を求めてくる。俺も「うるさい」と言いながら右手を差し出し握手を交わす。
「ところでなぜ私にそこまで話しかけてきたんだ?私はこれを食べたら金なしだぞ?この街でそこまでのリスクを負って犯罪する価値のない痩せた鶏だ」
「今はな、痩せた鶏もたらふく食わせりゃ金を産む」
「それはつまり後々私を襲うと?」
「いや、今のはただの例え話さ。お前は鶏じゃない。なぜ、と言われれば…」
クラウドは少し考えた素振りを見せ、俺に人差し指を向ける。
「ただの一目惚れだ。薄汚れてそんなに可憐なら、磨けば黄金をも凌ぐ。とんでもねぇ逸材さ。今のうちに恩を売って惚れさせようと思ってな」
「…は?」
予想外の答えに呆然とする。俺に…?いや違う、クラウドが惹かれているのはマグナだ。俺じゃない。いやマグナは俺の一部だ。わけがわからん。こんがらがってきて脳みそが焼き切れそうだ。冷静に、落ち着け。俺は玄野だ、私はマグナだ。自分を見失うな、マグナは玄野だ。
「すまん、何を言ってるかわからん」
「ははは!そんな小鬼が躓いたような顔をするな。ますます魅力的だ。死んでほしくないね」
「なんだその例えは…死なないように努力はするが、それはクラウドのためじゃない。私のためだ」
「んなこたぁ分かってる。だがどうだ、マグナはどうせ一人だろ、一人じゃ限界があるし少しのトラブルで死んじまう。竜も山にぶつかるってな」
猿も木から落ちるって意味か?この世界特有の諺は面白いな。いやそんなことは今はいい。
「つまりだ、俺と組まないかって話だ。等級は白、等級差が二つ以内ならパーティは組める。熟練ってほどじゃないが中堅くらいの実力はあるぜ?」
「それはありがたいが、まだクラウドを信用できない」
「それなら受付に行って俺の冒険履歴を見てきな。身辺調査も問題なし、真っ白だからよ。等級だけにな!」
「なんだその冗句は、まぁ明日聞いてみる。信用できると思ったらまた声をかける。それじゃあな」
「おう、いい返事待ってるぜ!食いしん坊!」
「黙れ!!」
会計を済ませてギルドを出る。外は少し人が減っていて、風が吹いていた。残金は残り金貨一枚、銀貨八枚、銅貨四枚だ。銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚の計算だ。少し心許ない。散財しすぎたな、明日からでも働かなければ。
受付嬢に教えられた道に沿って歩くと黄金の麦亭の看板が見えた。麦と盾の看板が印象的だ。
扉を開けると大きい男がエプロンを付けて出迎えた。
「あ?孤児か?食いもんなんて金がなきゃ渡さねーぞ、あっても残飯かそこらだ」
「違う、冒険者だ。ギルドにここがおすすめと言われてな」
首から下げている識別票を見せる。すると店主は腰を屈めて識別表を凝視する。
「あ?灰等級じゃねーか、新人だな。金は?どれくらい泊まる?部屋の規模は?」
「金貨一枚と銀貨八枚、銅貨四枚が有金全てだ。ひとまず一週間ほど。部屋は1番下のやつを」
「ふーむ、じゃあ灰等級の部屋だな。部屋は2階の奥、1番角だ。備え付けのベッド、机、椅子、桶は壊したら弁償だ。それぞれ金貨一枚ずつ貰う。飯は?」
「ひとまず大丈夫だ、必要になったら追加してもらうことは可能か?」
「構わん、朝と夜に提供している。追加で金を払えば部屋まで持って行く。時間までに来れない場合は俺か妻に言え」
「わかった、いくらだ」
「銀貨五枚」
皮袋から銀貨五枚を取り出し、カウンターに置く。正直今すぐにでもベッドに倒れたい気分だった。
「騒音、喧嘩は金貨五枚、問答無用で追い出す」
「了解した」
店主から鍵を受け取りふらふらになりながら階段を登り部屋を開ける。鍵を閉め、その場に倒れ込んだ。下に干し草を引いているのか、青臭い匂いがした。思えばズキズキと足が痛む。倦怠感の眠気が一瞬で俺の体を支配して意識を暗闇へと放り投げる。
考えることは色々あるが、とにかく疲れた。
目が覚めるともうすっかり朝だった、というかもう昼だった。部屋を急いで出て鍵を閉める。
外にある井戸で適当に身を清める、水を自由に使えるのは豊かさと余裕の象徴だな。水面に映るマグナを見ると確かに美人なように感じる。体全体の汚れが取れた今、目元のクマだけ気になるがそれでも肩まで伸びた黒髪は洗ったら綺麗で赤い眼も聡明そうに感じた。少しだけじっと見つめていたが急ぎの用事と仕事をしなければならないと思い、髪が乾くよりも先に鍛冶屋へと向かった。
丘の上にあるその鍛冶屋は"永遠の炉心"という鍛冶屋で受付嬢曰く安く買えるらしい。黒い煙が煙突から上り、外からも金属を叩く音が聞こえる。
ドアを開け店へ入ると様々な武器や防具が所狭しと並べられていた。店主と思わしきその人物は無精髭を蓄え、背丈も俺と同じくらい。酒樽かと思わせるくらいずっしりと重たい印象を俺に与えた。知っている、こいつは鉱人族だ。火と土の属性に長けており、専門魔術『鍛治』を生み出した祖だ。熱に高い耐性を持ち体はとにかく頑丈、頑固で酒好きな職人気質だ。
「らっしゃい」
「金貨一枚で買える防具はあるか?動きを阻害しないかつ重たくないものだ」
「だったら甲冑は向いてねぇな、そもそもお前さんの体格じゃ無理だったか。あー、鎖帷子と部位防具ならお前さんの基準に達してると思うぜ」
「じゃあそれをもらおう」
「そうか、鎖帷子とレギンス、胸当は持っておいて損はねぇ。武器は?」
「今は門番詰所に預けているが一応ある」
「てことは剣士か?お前さんの体格なら斥候や盗人が向いていると思うが」
「専門的な知識を持ち合わせてない。それに安くていいんだが短剣はあるか?」
「ある、鞘もサービスでつけてやる」
「すまないな、できれば私の太ももに収まるくらいで頼む」
「あいよ、してそんな見窄らしい格好でうちの商品つけられちゃ格が下がる。金はとらねぇからまともな服を着ろ。それに金額に余裕があるならローブも買っていけ」
「今のところいくらだ?」
「お前さん、灰色等級の新入りだろ?あんま金ねぇだろうしギルドからの援助金も貰ってるから大していらねぇよ。銀貨八枚ってとこだな」
「それなら残り銀貨二枚で買えるローブはあるか?」
「お前さん、使える魔法と属性は?」
「火、『火球』のみだ。他にも色々あるが攻撃魔法はそれだけだな」
「なら火鼠のローブがおすすめだな。少しだけだから炎熱の耐性がある」
「じゃあそれで頼む」
「見たところ身一つで飛び出してきたってところだろ?死なねぇように気をつけな」
「あぁ、色々と助かった」
「気にすんな、金貨一枚。ちょうどだな。あんたは運がいい、体格が小さいから他のやつらよりだいぶ安くすんでいるぜ」
「そうか、この体には感謝だな」
商品を受け取ろうとすると一つ頼んだ覚えのないものが入っていた。
「店主、これは?」
「余った素材で作ったグローブだ、端材で作ったから値段はとらねぇよ。弟子の試作品だ」
「すまない、助かった」
「死ぬんじゃねぇぞ、死んだら殺すからな」
「あぁ、気をつけよう」
買ったものを宿へと持ち帰り、部屋の中で着替える。ボロボロの服や靴を床へ置き、ホットパンツ、シャツを順に身につけて行く。新品の服は気分が良く、目立った傷や汚れもない、新しく生まれ変わったような気分だった。
白いシャツの上から鎖帷子を着込み、胸当を取り付ける。右肩、両脇下から通るベルトを背中で止め、膝下までのレギンスを装着する。革靴を履き上から赤茶色の火鼠のローブを羽織る。太ももにベルトを当て、刃渡り6cmほどの短剣を装着する。最後にグローブを手にはめる。手の甲には鉄のプレートがあり第二関節から先には布がないシンプルなグローブは手によく馴染んだ。
ふむ、なかなか悪くないぞ。防具などは今までつけてこなかったから少しだけ重たいと思うがそれもいずれ慣れるだろう。太ももの短剣を外し、逆手で構える。取り出しやすさも良好だ。腰のベルトに皮袋を結びつけ、門番の詰め所へ向かう。
宿の階段を降りると店主がびっくりしたような顔をしていた。
「どうした?小鬼が躓いたような顔をして」
「あんた、マグナだよな?」
「そうだ、どうかしたか?」
「いやすっかり見違えたと思ってな」
「そうか、行ってくる」
「あ、あぁ。気ぃ付けろよ」
店を出て足早に詰所に向かう、装備は確かに重たいが足取りは軽い。本当に生まれ変わったような気分だった。