#26 淑女の嗜み。
夜中に目が覚めた。別になにか起こったわけじゃない、ただふと目が覚めてしまった。一度覚醒した意識は中々消えてくれない。窓を開けて外を見てみても人など見当たらない、大きな月が眠った街を照らしているだけ。
望郷、という言葉がある。今俺の心の中にあるのはそれだった、そこで俺はどこに思いを馳せているか気になった。景色は三つ、浮かんでくる。最初は前世の故郷、なにもないただの田舎だった。夏はとにかく蒸し暑く外は虫で騒がしい。そのくせ冬は寒くてやってられない。なにもないところだった。次にカトデラルの街並み、俺の異世界の故郷。クラウドとの思い出が詰まっていて、クラウドが眠る街。全てが新鮮で、色彩が濃く映る。ロッドの店、また行きたいな。いつかこの復讐が終わって、世界を見て回ったらカトデラルに戻ろう。依頼をこなして、ロッドとくだらない話をして、そして眠るんだ。そんな生活も悪くはない。
最後に、麦畑が思い浮かぶ。やかましく光る太陽を反射して黄金のように実る麦を誰かと収穫する。畑作業が終わったらみんなで食事をとって寒さを凌ぐように体を寄せて眠る。これはマグナの記憶だ、俺のものじゃない。俺はその先を知らない、その場所を知らない。ただ寂しさや不安、悲しみといった感情がそれに付随してくる。マグナの両親はもういない、弟は行方が分からない。だからこそ疑問だ、なぜマグナはあの森にいた?両親が二人とも急死することがこの世界では普通なのか?マグナより小さい弟が行方不明なのはなぜだ?
俺の体、と認識するのは間違いだ。魂だとか肉体だとかの優先度はこの際無視してフラットに思考する。あの黒い力が俺ではなくマグナから起因したものだとしたらどうだろうか。感情に支配されて、撃鉄の音が脳に響くのはマグナの無意識の記憶ではないのか?深い恨みを持つような憎い相手がマグナにもいるのではないか?
どれだけ体に問いかけても分からない、マグナは道半ばで息絶えてしまった。聞き出すことは不可能だ。それでもこの肉体の記憶を解きほぐすことが出来れば全てわかるのかもしれない。鍵はそこにある、気がする。
だが俺の行動の全ては復讐が第一だ、一切合切がそれに優先される。俺の牙が奴らの首に届かないことがあるならば、研ぎ澄まそう。今度襲撃されたとしても、必ず殺す。怒りを飼い慣らせば必ず有利に立てる。やつらの住処を探し出し、無念を果たす。それもこれも全部明日の社交界にかかっている。
それからしばらく月を眺めた、ただじっと見つめ呼吸をすることが心地よかった。望郷は悪くない、切ない気持ちや故郷の記憶に縋るのもたまにはいいかもしれない。だがそれは全てを終わらせた後に浸ろう。
気がつくと朝日が昇り、街は眠りから覚め始める。人の往来が激しくなり、やがていつもの喧騒に戻っていった。さて、夜になる前に準備を済ませておかねばならん。社交界、俺の顔を売り情報を手に入れるまたとない機会。この格好でいくのもそれはそれで"葬儀屋"とひと目でわかるのもいいがもう少しインパクトを与えたい。全員が注目するような、主役すら食ってしまうようなインパクトが。
着替えを済ませて階段を下りる。セナがちょうど上がってきてる途中だったようで目が合う。
「おはようございます!早いですねぇ!」
「たまたまだよ、朝ご飯はもうできてるかな」
「はい!どうぞこちらへ!」
「どうも」
セナに手を引かれて机に向かう。しばらくして店主が皿を持ってきてやってくる。ふむ、今日はスクランブルエッグか、凝っているのだな。皿を机の上に置き、店主が口を開く。
「おはようございます、マグナさん」
「おはよう」
「ところで最近物騒ですけど、マグナさんは大丈夫ですか?」
「物騒?」
「えぇ、ほら一昨日空で大きな翼が生えた人がいたでしょう?」
なるほど、俺のことだな。大勢の人に見られてしまったか、顔が割れていないのが幸いだな。
「それに昨日も森の方で爆発があったってんで冒険者が調査に行ったんですがね、そこはもう大惨事だったみたいですよ」
「それは危ないな」
なるほど、俺のことだ。どうも騒ぎを起こしすぎたみたいだな。やはり戦闘以外で力を使うのはよそう、例え訓練であったとしてもこの近辺じゃ情報が伝わるのが早い。手の内がバレてしまっては意味が無い。
手早く朝食を食べ終え、席を立つ。
「ご馳走様、今日も美味しかった。それに今日は晩御飯は必要ない。それではな」
「あ、分かりました。ではいってらっしゃい」
「いってらっしゃーい!」
元気なセナの挨拶を聞き、宿を後にした。通りを歩いて目的地に向かう。まだ朝早いがやっているだろう、勤勉な商人は開店が早く閉店が遅いものだ。
人混みに揉まれ、やがて服屋やアクセサリーといったものが立ち並ぶ通りに出る。その中でドレスを主に扱っている女性用の服屋に目をつける。外のショーケースには綺麗なドレスが飾られ、中にも多く手袋やヘッドドレスが並んでおり意を決して中に入る。
上品な婦人が店員のようで、俺に気がつくと優雅な歩き方で尋ねてくる。
「あらいらっしゃい、素敵なお召し物ですね」
「今日の夜社交界が開かれて招待されているのだがなにかそれに合わせて買いたい。おすすめはあるか」
「なるほど、こちらにいらっしゃい」
婦人に言われるがまま試着室に案内され、下着だけになるよう伝えられる。スーツとローブをカゴに入れ、防具は全てカバンの中にしまう。武器は…かけておこう。
カーテンを開けて準備が出来た旨を知らせ、しばらく鏡の前で待つ。この体は他の女性と比べて身長がかなり小さい、栄養が足りてなかったのか?腹には大きな爪痕が残り、鉢金の下には火傷の痕がある。随分と傷つけてしまったな。
ふむ、改めてマグナの体をまじまじと見ると酷使しすぎてしまっていることに気づく。腹は多少腹筋が割れ始め、腕も少し硬い。この体に女性らしさなど俺は微塵も求めていないがよくもまぁクラウドはこれに惚れたものだな。胸は多少あるみたいだが逆になぜここにだけ栄養が溜まってしまったんだ、もう少し身長や手足が伸びてくれれば俺もやりやすいのだが。
鏡の前で背伸びし、理想の身長を探している最中に婦人が何着かドレスを持ってカーテンを開けた。
「あら、身長にご不満が?」
「もう少し大きい方が良くないか?」
「いえいえ、愛らしくて可愛いですよ。男性の方の目をよく引くのではないですか?」
「一人だけだがな、その男特攻だったみたいだ」
「となると内面もよろしいのですね、貴女は」
「そんなことはないさ、さて試着だ。私にセンスはないから婦人のおすすめで頼む」
「えぇ、選りすぐりのものをお持ちしましたよ」
婦人は最初に黒いドレスを手渡してくる。オフショルダーとスリットスカートが特徴的な綺麗なドレスだ。試着をしてみると中々似合っていた。肩で揃えられた短い黒髪とこのドレスは色が合っている。"葬儀屋"のイメージカラーとも合っている。だがしかし…うーん…
「こういう大人っぽいドレスにしては身長が足りなくないか?」
「ヒールを履くという手もありますよ、少々歩くのに慣れが必要ですが」
「なるほど、留意しておこう。次だ」
次に手渡されたのは赤い派手なドレスだ。先程の黒いドレスよりも露出が激しく、オフショルダーとスリットスカートに加えて谷間がやや出ている。スリットのラインもより深くなっており、足の付け根のやや下まで伸びていた。着てみると確かに似合ってはいる。
「…露出激しくないか?」
「あらお嫌いですか?社交界の主役は我々女性なのですよ」
「だが綺麗な赤色だ、それに目も引く」
「着心地もよろしいでしょう?最高級のシルクですので」
「つるつるで気持ちいいな、他に試着するものはあるか?」
「次で最後にございます」
最後に手渡されたのは青いドレスだ。地面にあたるスレスレまで伸びた長いスカートに反して開いた背中。局所的に露出の激しいものになっていた。着てみるもこれは少しスカートが長すぎるな。いざってときに"芍薬"を取り出せない。社交界の場で武器を持つことなどできないが最低限の武器は持っていたい。隠しやすさと取り出しやすさが重要だ。
「これは気に入っているが少々スカートが長いな」
「なるほど…ではどれに致しましょうか…?」
「最初の黒いのをくれ、それに合わせた小物やヒールやらも買いたい」
「かしこまりました、では店内を回りましょう。その際ドレスは着てくださると合わせやすいです」
「分かった、少し待っててくれ」
黒いドレスを着る。ふむ、俯瞰して見てみるとかなり可愛いな。黒髪と黒いドレス、赤い瞳とクラウドから貰ったネックレスがすごく合っている。俺が傷物にしなければもっと綺麗になっていたのだろう、この体には少々申し訳ないことをしたな。カーテンを開けて婦人と共に店内を歩く。
「上品さを出したいのであればこういったレースの手袋なんかどうでしょうか?」
「手袋はいいな、これも買おう」
「かしこまりました」
最初に手袋を買う、黒いレースのもので合わせるとかなり似合っていた。ただどんどん喪服になっていってる気がするな。まぁ"葬儀屋"なんて呼ばれてるしいいのか。
「そちらの鉢金は外された方がよろしいかと思われますが…」
「火傷の痕が残っているぞ、大丈夫か?
「はい」
鉢金を外し、火傷の痕を見せる。婦人は一瞬驚いたような顔をして、少しして悲しそうな顔になった。
「だれに…やられたのかお伺いしても…?」
「竜だ、別に人にやられたわけじゃない」
「そんなこと…庇わなくてもいいのですよ…!言えない事情があるとしても誰かに言わなくてはならないのです…」
なるほど、婦人は俺のこの火傷は人にやられたものだと思っているのか。優しい人だ。
「いや本当に竜なんだよ」
「分かりました。私はいつでもここにいますから、お辛くなったらお話にいらっしゃいね」
「あ、あぁ。ご厚意感謝するよ、婦人」
「セリアと、お呼びください」
「マグナだ、それで社交界用の眼帯なんて洒落たものはあるのか?」
「えぇ、様々な事情を持った方がおられますからね。こちらです」
婦人に案内された場所には様々な眼帯や布が置かれてあった。その中の一つを手に取り、俺に着ける。柔らかく冷たいシルクの肌触りが俺の肌を伝い、鏡を見る。綺麗な黒い布の上に布で作られた花が添えられてあった。
「綺麗だな」
「えぇ、レディに隠し事は付き物。ですがどうせ隠すのなら綺麗に彩った方がいいでしょう?」
「かもしれんな、社交界用にこれも買おう」
「普段使いもできますが…?」
「あの鉢金は思い出のものなんだよ、極力外したくない」
「そうですか、失礼しました」
「気にするな、あとは何か必要なものはあるだろうか」
「お化粧直しの道具やハンカチなどを入れる小さいカバンなどどうでしょうか?その鉢金も仕舞えますよ」
「買おう」
化粧…必要か?だいいち俺はやり方を知らん。だが鉢金を入れれるというのはいいな、肌身離さず持っておきたい。会計を終え、俺は店を後にする。随分と人のいい店だった。商品も悪くない、そういえばシルファはどこで店をやっているのだろうか、久しぶりに彼女の声を聞きたくなった。