#9 背負うは信頼。
俺が次に目を覚ましたとき、クラウドは満身創痍で俺を背負っていた。流血を無理やり縛って抑え、息も絶え絶えだった。
「クラウド…ごめん…本当に…」
「気にすんな」
「もう一人で歩けるから、少し休んでくれ…」
「もう少しでカトデラルに着く、本当に歩けるか?」
「そんなことよりその傷を治す方が先だ、少し止まってくれ。それにもう私はクラウドのおかげで本当に大丈夫だから」
今までは本当の意味では信用し切っていなかった。だが彼はこんな姿になってまであの地獄から俺を救い出してくれた。恩を仇で返すほど俺は落ちていない。
クラウドの背中から降り、傷口に手を当てる。もしいるなら神様、少しだけ力を貸してくれ。
クラウドに『微癒』の魔術をかける。俺の手から淡い光が出て傷口をじんわり覆う。先程まで布にじわじわ広がっていた赤い血が止まり、その他の生傷もみるみるうちに治していく。
「お前これ…」
「隠しててすまない、詳しくは帰ってから話すから今はじっとしててくれ」
幸い毒や後遺症の残るほどの怪我はしていなかったためか、『微癒』でもなんとか治すことが出来た。俺に光属性があって良かった。本当に。
『微癒』の魔術をかけ終わるとクラウドは立ち上がり、俺に頭を下げ、「気付くのが遅くなってすまん、もっと早く助けられた」と謝罪した。彼は悪くない、今回は全て俺の不注意と慢心から起きた事件だ。
「やめてくれクラウド!頭を上げてくれ!君は何も悪くない、むしろ私が謝罪するべきだ!」
「お前は悪くない、悪いのはあいつらと救うのに手間取った俺だ」
「クラウド…」
彼はあんなに満身創痍になりながらも未だ自責の念にかられている。
「見てくれクラウド、君のおかげで私は傷ひとつない。なにもされていない、なのになぜ君が謝るんだ。どうか、どうか頭を上げてくれ…」
顔を上げたクラウドは後悔と安堵が入り混じった表情をしていた。
「私は君に本当に感謝している、心の底から。だからどうか謝らないでくれ。それに本当にすまなかった」
頭を下げるべきは俺の方だ、不用意に街を出歩き不用心にも背後を取られた俺の責任だ。
「お前こそ謝るなよ、あんな辛いことがあったんだ」
きっと彼は優しすぎるんだろう、だから俺がどれだけ大丈夫、君は悪くないと言っても自責の念にかられ続ける。それは俺が許せない。彼は報われるべきだ。俺のできること全霊をもって彼に恩返ししたい。
「なぁクラウド、私は君に感謝している。なにかお礼をしたい、私にできることなら全てやろう」
クラウドに近寄り、手を取る。これは本心だ、キズだらけになりながらも全身全霊で俺を助けてくれたクラウドに俺は礼をしなければ気が済まない。一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような顔をし、取られた手を握り返して彼は恥ずかしそうに言った。
「なら、近々祭りがあるし二人で見て回ろうぜ」
「そんなものでいいのか?」
「そんなものなんて言うなよ、俺は本当にお前と祭りにいきたいんだぜ」
「分かった、じゃあ祭りに行こう。他にはないか?」
「他にしてほしいことなんてねぇよ。二人で祭り、いこうぜ」
クラウドはいつもと違い、優しく俺の頭を撫でてそう言った。さらりと吹き抜けるぬるい風と木の葉の擦れる音が俺とクラウドの間を通り抜けていった。
二人で街に戻り、クラウドと別れて宿に戻る。別れる時クラウドは心底心配そうな顔をしていたが、大丈夫だと再三伝え、帰路を歩く。確かにもう二度と味わいたくない体験をしたが乗り越えなくてはならないし俺は一人じゃない。その感覚が俺をなんとか立ち直らせる。宿に戻り、装備の点検をする。
部分鎧やレギンス、鎖帷子などは元々つけていなかったから部屋にある。だが武器が二つともない。服は破かれているし新しく買った服もなくしてしまった。
明日は装備の新調をしなくてはならないな。今日はもう寝てしまおう、食欲は湧かないしとにかく疲れた。
夢を見た、真っ暗な暗闇を手探りで歩く。慎重に一歩ずつ歩く、暗闇の奥にクラウドの後ろ姿を見つけて声をかけるがどれだけ叫んでも反応はない。むしろ暗闇のさらに奥へと離れていってしまう。追いかけようとしてもなにかに阻まれ進むことが出来ない。もがき、叫び、遂には床に倒れ伏してしまう。暗闇に押しつぶされたところで目が覚めた。
呼吸は浅く、心臓は素早く脈打ち、汗が止まらない。
今のはなんだったのだろうか、ひたすらに不安と恐怖が頭を支配する。とにかく早くクラウドの顔を一目見たかった。装備をつけて急いで宿を飛び出し、ギルドに向かう。扉を勢いよく開け、辺りを見回す。食堂で飲み物を飲んでいるクラウドを見つけた。よかった、クラウドの下に向かい、話しかける。
「おはようクラウド」
「おう、どうしたそんな息切れして」
クラウドは分かっていたように俺の方を見て微笑む。額には少し汗が滲んでいた。クラウドもやはり疲弊しているのだろうか。
「いやちょっとな…今日の依頼はどうする?」
「休まなくても平気か?」
「もう充分休んだ、クラウドの方は大丈夫か?」
じっと一人で考えていると嫌な思考が脳を満たす。なんでもいい、とにかく身体を動かしたかった。
「当然。そしたらまずは依頼の前に買い物だ、お前武器ねぇだろ」
「それはそうだが、早くしないと依頼がなくなってしまうぞ?」
「んなもんもう一個取ってある。ほらいくぞ」
クラウドが事前に依頼を取っていてくれたらしい。ギルドを後にし"永遠の炉心"に向かう。
「すまん、剣を二つ。長剣と短剣がほしい」
「んだ新米、前持ってたやつはどうした?ぶっ壊したか?」
「なくした、すまない。とにかく新しいのが欲しいんだ」
「分かった。どういうのがいい?予算は?」
「予算はあまりない。振って斬れるものであればなんでも構わない」
「そしたら普通の鉄で構わんだろ?ほら持ってけ」
「あぁ、すまない」
会計を済ませ、出て行こうとすると店主が呼び止めた。どちらかというと俺ではなく、クラウドの方をだ。
「おい待てそこの金髪」
「ん?なんだ?」
「少し剣を見せてくれ」
クラウドが店主に呼び止められ、剣を引き抜く。よくよく見てみるとそれはいつも使っている鋼の剣ではなく、黒い剣だった。吸い込まれそうなほど美しい漆黒の刀身に、まるで星屑のような僅かな光の粒が散りばめられてる。柄には鷹のような紋章が付いており、高価な印象を受ける。実戦向けな最低限の装飾だ。
「お前さんこれをどこで?」
「昔打ってもらった」
「ふぅむ、なるほどな」
「もういいか?あんまり見せびらかすもんでもねぇだろ」
「あぁ、すまんな。またなんかありゃこい。特に金髪、その剣の修理はカトデラルではウチしか扱えん」
永遠の炉心を後にし、丘を下る。未だに脳裏にあの美しい漆黒の剣がこびりついて離れない。
「クラウド、その剣すごい綺麗だな。答えれるならその剣について教えてくれないか?」
「他のやつには内緒だぜ?俺とお前だけの秘密な」
そう言って口元に人差し指をあて、悪戯な笑みを浮かべる。曰くその剣は空から降ってきた金属から作られたものらしい、使い手によって性能が変化する『魔剣』と呼ばれる類のものらしい。鍛治魔術の最高位、王位魔術でないと打てないもので、クラウドもすごく苦労して打ってもらった逸品だそうだ。
銘を"隕鉄剣 流星"、分類は魔剣らしいが未だに能力は発現していないらしく、クラウドは自信をなくすしこんなもんなくても敵は斬れると少し不貞腐れたように言っていた。
門を出て、森に入る。ブルザレム森林は規模としてはあまり大きくない。縦ではなく横に広がっている珍しい森林だ。噂によると劣等飛竜の生態と関連してこういう形になったとか。
「そういえば、医療魔術使えたんだな」
大きな倒木を登っている時クラウドが口を開く。そういえば説明すると言っておきながら忘れていた。
「あぁ、隠していてすまない」
「いや、俺はそれに助けられたから文句は言わねぇし怒るつもりもない。ただなんで隠してたんだ?医療魔術が使えるなら冒険者なんかならなくても稼げるだろ」
「医者なんかになりたくなかった。それに注目されて過大評価されたくなかった」
「注目されるのは冒険者にとっていいことだと思うがな」
「私がいくら医療魔術を少し扱えるからと言って、それでなんでもできると勘違いされたら敵わない」
「過大評価を恐れてるのか」
「そういうことだ、私は私にできることしかできない」
倒木を登りきり、開けた小川に出る。今回討伐の依頼を出されたのは小川付近で散見される劣等蜥蜴だ。極めて硬い鱗と鋭い毒牙が武器で黒等級からが対象の小鬼などとは訳が違う魔物だ。
俺とクラウドは劣等蜥蜴を見つけ、難なく討伐する。思ったより体は動いてくれるし、なによりクラウドの"流星"という魔剣は凄まじい切れ味で劣等蜥蜴の硬い鱗を容赦なく一刀両断していた。「最初からそれ使えばいんじゃないのか?」と帰る途中聞いた。
クラウドは頭を少し掻きながら答える。
「魔剣ってのはあんまりいい噂がねぇんだよ」
「そうなのか?」
「使い手の身を滅ぼす、一度握ったらあとは殺戮をするだけの人形になる、あまりにも切れ味が良すぎるから他の剣を握れなくなり剣士として死ぬ、とかな」
「ものすごく危険じゃないか」
「ものすごく危険だ、だから今まで使ってこなかった。本当に奥の手だと思ってたからな」
「じゃあなぜ今になって?」
「奥の手なんて出し惜しみしてられるほど俺は強くない、そんなふうにしてたらいずれまた取りこぼすと思ってな」
優しそうに柔らかく笑ってクラウドは俺の頭を撫でる。その手は固くて、悲しそうだった。あまりにも悲しそうだったから、自然と俺も背伸びして手を伸ばす。
「クラウドはとても強い、誰にも負けないほど強い。だから私も強くなろう。魔剣のジンクスに打ち勝てるように、クラウドの手から零れ落ちないように、守れるように」
そう言って頭を撫でる。少し肩を振るわせ、震えた声でクラウドが言った。
「強いな、マグナは」
「クラウドほどじゃないさ」
森の中だと言うのに俺たちの周りは静かで、二人の息遣いだけが聞こえた。ただ二人でいられることを噛み締めた。