61.冤罪
山頂に雪を纏うあの山は、我が主とも交流の深い武田の領地より臨む山。御伽話では頂に登らば不死になるともいう、山。
先程の「しのびのさと」なる地へ赴けば何ぞ我が主への土産とならむも
今居る場所からどの位距離があるのだろうかと才蔵は脳裏に焼き留めた山を思い浮かべた。佐助が鎌ノ助と話したと言う事は、此処に留まる必要はない。
長?
術の気配に我に返った才蔵は素早く立ち上がり身構えた。周囲を見回すと少し離れた場所に倒れる燐と、受け止めようとしている佐助を見付けた。
燐殿の布地
その周囲に舞う燐のタオルを見ると、手元に起こした風をそれ等めがけて投げた。小さなつむじ風の様なそれは地面に着く前にタオルを巻き上げる。
気配無くば何ぞ有るやもしれぬ
周囲に注意し念の為と不自然に見えぬ様、風にタオルを高い位置まで巻き上がらせ、それを地に着く前に拾っていった。
≪長≫
何があったのかと才蔵は佐助を呼ぶが、返事がない。佐助の方を見れば、座り後ろから抱える様に距離を詰める佐助と、小さく丸まる燐。
≪な?!何もしてねーってば!≫
頭を狙ったが、流石に上役だけある、外れた。こちらを睨む佐助に溜息が漏れる。
毎度の如きあれは面倒事を持ち込む
才蔵は再び深く息を吐くと最後のタオルを手に取り佐助の動向を静かに見詰めた。暫くすると二人は立ち上がり、燐が佐助に頭を下げていた。
戻るか
燐に嫌悪の色が見えないと分かると才蔵はタオルを手に戻ろうと踵を返す。
「あ、才蔵さん」
名を呼ばれた才蔵は立ち止まる。と、燐が駆け寄って来て手を伸ばして来た。その真っ赤な顔に才蔵は何があったのかと眉尻を下げた。
「大事ありませぬか?」
問い掛ければ燐は瞬時に真っ赤になった顔を顰めてタオルをひったくり礼を述べ走り去る。才蔵はまたやらかしやがったなと思うと顔を顰めた。
≪何ぞ事を起こしたのだ≫
燐を追い駆けて来た佐助は、才蔵に眉間の皴に何もしてねぇよと顔を顰めた。
「なんもしてねーってば。見てたんなら分かるだろ?」
幹に突き刺さっていた棒手裏剣を才蔵に渡した佐助を、才蔵は冷ややかな目で見た。
「長が術を使う後の事のみ、他は知らぬ」
「なっ、」
何もしてないって言ってんのに!何なのコイツ?!あれ?何もしてない、よな?
ちょっと自分の行動に不安があった佐助は、その場に立ち止まる。その様子に才蔵は溜息を洩らした。
「第一に慎めと申した筈。何故に燐殿はあの様な顰め面にて走り去る等奇行、長が何ぞ仕掛けたからであろう」
大体こいつは色絡みで面倒臭い事になる。今回は魅了を使わず面倒事も少なく済むと思っていた才蔵は本音を隠さず告げた。
「何か、したの、かな?」
何故か何かしたと思われている佐助は、自分でも何かしたのかと思うと不安気に才蔵を見上げた。
「知らぬ」
自覚も無いのかと才蔵は短く告げると、火は絶やさない方が良いだろうと炭火を見に戻った。
「え…俺、何かしたの?」
全く覚えがない。ええっと、派手に転んだんだよな?んで抱き留めて。柔かくていー匂いがして、ってそうじゃなくて!
佐助はぶんぶんと首を横に振ると、思い出すように眉を寄せた。
「怪我がないか心配で聞いて、だけど何とも無いって…で、」
再び花に似た良い匂いと真っ赤な耳と色付いた項、熱を持った背を思い出した佐助は顔を顰めた。
「…何かしたのかも」
本当に身に覚えがないような気もするが、ある様な気もする。佐助は本気で今までの行動を振り返った。
「分かんねぇ」
女に触れるのを躊躇した事等無かった佐助は、何か気に障る所を無意識に触ってたのかと顔を顰めた。
「御加減は」
才蔵はテントから出て来た燐に声を掛けた。先程の動揺の色が無くなった燐はテントから出て来ると才蔵に頭を下げる。
≪長、不振がっておられる故≫「佐助ならば其処に」
やって来た佐助は燐を前に口ごもる。それと同時に燐の不安げな色に気付いた才蔵は静かに口を開いた。
ねぇ俺様アンタの上役なんだけど?此処に来てから何度目かの文言。これってなんだよ、これって!って、何にもしてないよね?多分
何もしてないと声を荒げたが、途中で不安になって言葉が萎む。
何も無いと首を振る燐に安堵の息を洩らした佐助は、再び燐を名で呼んでいた事に動揺したが、開き直って今後は名で呼ぼうと決めた。
≪何もしてねぇって言っただろ?≫
≪常日頃よりの言動あらば、訝しむのは当然の事≫
佐助は燐の言葉に才蔵にじっとりと視線を向けるも、才蔵はお前が悪いと言わんばかりに告げて来た。
「佐助も、何かごめんね?」
ここはひとつ、きっちり力関係を叩き込んどいた方が良いよね?って才蔵へ湧いていた殺気は、首を傾げてこっちを見て来る燐ちゃんの姿に一瞬で消され、あわが溢れた。




