48.提案
空には大きく赤みがかった月が在った。
昼の空は何となく周りの騒音もあり同じと感じる事は無かったが、夜の空は森の音、虫の声を聞いていれば何となく落ち着く懐かしい気がする。
「懐かしむ等」
感傷に浸る心中に才蔵は湯の中で小さく言葉を吐いた。急に放り出された場所で何をするわけでも無く日々を過ごしている。
こうしてゆっくりと湯に浸かる事等今まであっただろうかと月を見上げた。
「夜は何百年と経ってても、同じなのかね」
燐所有の箱形の駕籠の前で、目の前に広がる星空に佐助は一人呟いた。任務で待機している時に目に入っていた星空と違いは無いように思える。
何も持たない、何も思わない、何も残さない事が忍と当たり前の様に思っていた筈なのに
「こんな知らねぇ場所で自分の甘さに気付くなんてねぇ」
此処に来て湧いて来た嬉しさ。自分には随分と昔に無くなったと思っていた感情がまだあった事に気が付いた。死に損ないも何度か続くと不調になる。
そんな理由を付けて足掻く事も無く、この緩やかな流れに身を沈めていた事にぽそりと呟く。女一人丸め込めない様じゃ忍失格だわと佐助は眉を下げた。
「何でこんなに上手く行かねぇんだろう」
あの真っ直ぐな瞳が我が主に似ているから?死に際に呼び戻してくれた花に似た匂いがするから?忍として蔑まれて来た自分の事を他意無く気に掛けてくれるから?
自分の失態の理由を考えていた佐助は、燐の表情が思い浮かぶと一緒に増える胸の内のあわを潰す様、胸元を握った。
「やっぱ圏外か…だよね」
無事テントに付き、クーラーボックスを入れて貰い、次に車へ移動。ハッチバックを開けごみ袋を入れた。ゆっくり決めて良いと言われ、実際車に入ってドアを閉めてみる。
今のところ特に臭わない、いやちょっとタレの匂いはするかもと、燐は眉を下げ運転席から後ろを振り向いた。
「朝早く起きたらいけそうだけど、起きたら暑かったしなぁ」
明日も日が昇れば車内の生ごみも臭うだろうと思うと車中泊は無しだとスマホを取り出したが、圏外。野生動物って熊以外でも怖いのか調べたかったのにと溜息を洩らした。
「今まで特に気にした事無かったんだけどなぁ」
ソロキャンプが初めてではないが、今まではどちらかというと周りの人の方に警戒心がいっていて、気付いてなかったのかもしれない。
「後は熊出るよっていう現実感かな、やっぱり」
安全と言われて泊まる事を決断したのは自分だが、やはり居ると言われると怖い。折角持って来たのにテント使わないのかよ、とツッコミながらテントの方を見ると赤と目が合った。
「信用無いってのは分かるけど、一人で何かあったらって考えたら…えっとね、だから、」
ガチャリと音がして駕籠の一部が押される様に突き出ると、中から姫様が出て来た。不安気な様子に深く後悔した。
もっと上手くやってりゃ、こんな顔させずに済んだのに。何て言えば良いのか分からず途中で言葉が続かなくなった。
「あのさ、それなんだけど」
姫様の声に伏せていた視線を上げた。困ったような気を洩らしながら此方を見てる。
やっぱり嫌か。ま、この距離で何かあったとしても直ぐに対処は出来る
佐助は密かに近くで見張れる良さそうな木が無いか後で確認しようと思った。
「あ、違う…事も無いか?いや、えーっとね、ちょっとそっちのテントの場所借りて寝ようかなとは思ったんだけど」
歯切れ悪く言う姫様。寝ないで監視、ってかお守りする積りだったけど、自らが安心と思える場所に居た方が良いに決まってる。
「あ、うん。ならそうしなよ。ほら、手出しは絶対しないし、その方が安心だしさ」
少しでもそう思ったんならと同意し誘導するも、何故か姫様は浮かない顔のまま口を開いた。
「えっとさ、レンタルテントの敷地内で人数を勝手に変更したら駄目って載ってたんだよね」
「へ?」
「いや、利用規約に書いててさ。何時からゴミ捨てられるんだろうって確認した時に見ちゃって」
自分の安息より規則を守ろうとする姫様を見詰めると「見ちゃって」と困ったように眉を下げた。
そんなもん、後から如何とでも言い訳できるだろうにと、佐助は燐を見る。
利用規約を見てしまったのに違反して出禁は嫌だし、テントをそのままにして移動するのは何となく不安だし、と溜息を洩らす赤を見た。
「ならさ。嫌じゃないってんならだけど、俺等がこっちで寝れば問題ないと思うんだけど、どう?」
駄々洩れの胸の内。姫様の所持品が不安なんだろうとテントを指して提案すれば、姫様は暫く考えるように眉間に皺を寄せた後で頷いた。




