192.
静かに闇に溶けた佐助は、白雲斎の家の側に姿を現すと周囲を探る。
「まぁ師匠が居るんだし当然か」
あんなだらけた男でも認められた忍だけあって、黒霧の森まで動く気配がない。佐助は静かに土間に降りた。
「やぁっとお帰りかいな」
佐助の気配に鎌之助は安堵の息を吐き声を掛けた。佐助はそっと草履を脱ぎ鎌之助の座る足元で寝袋に入り、丸くなっている燐を見る。
「寝てんの?」
「さっきやぁっと寝たんだぁよ。あんなん其処らの童だってぇ縊り殺せるだろぉにさぁ」
鎌之助は救出後も恐怖に震え続ける様子を思い出すと、今もしっかり自分の着流しの裾を握る燐を見る。
「燐ちゃんの世にゃ居ないんだから仕方ないだろ」
「そんなもんかねぇ。ま、長が来たんならアタシャ漸っと動けるねぇ」
鎌之助は佐助の言葉に肩を竦めるも、兎に角この家から離れられると膝を立てた。
「っ、」
鎌之助が動くと、裾を握り締めていた燐が小さく動く。佐助は燐の側に座り寝袋の上に手を乗せた。
「ずぅっとさね。こんな感じでねぇ」
恐怖で眠りが浅いのか、何度も目覚めかけていると告げた鎌之助は立ち上がると大きく息を吐いた。
「それにしたってぇアタシャ草の魔物なんざより、この気配の方が恐ろしけんどねぇ」
他に誰も居ないと余計に色濃く感じる白雲斎の放つ威圧感。この場で眠れる月姫はある意味凄いやねぇと鎌之助は呟くと早々に山を離れた。
「随分と長湯だったね」
「あー、久々に動いて疲れたからなぁ」
湯気を纏ってやって来た白雲斎に佐助が声をかけると、白雲斎はチラと寝ている燐を見る。
「一旦起こして飯食わせるか?」
「食ってねぇの?」
驚く佐助の声に、白雲斎は動揺が酷く精神的な消耗が激しそうだったから薬湯を飲ませたと話す。
「其処に置いた、くるまってのと一緒に入り込んじまったらしくてな。良く見る様な奴だが姫さんは随分と怖がってて最後は見るもん全部怖ぇってんで、袋取って来て寝せたんだよ」
白雲斎は魔物が入った経緯を説明し、燐の状態は実際見た方が早いだろうと燐の肩を軽く揺すった。
「おーいちょいと起きろ。飯でも湯でも準備出来てるぞー」
揺すられ暫くぼんやりとその場に寝そべっていた燐を残し、白雲斎は部屋に引っ込む。
「さ、すけ?」
暫くして寝袋からもそもそと起き上がった燐は声を掛け頷く佐助をじっと見る。
「佐助さん、ほんもの?ぶあーってなる?」
寝起きの悪い燐はぼやけた意識の中でも先程の恐怖を思い出すと、確認するよう問い掛けた。
「えっと…うん、本物」
ていけつあつってので動作も思考も覚束無いらしい寝起きの燐ちゃんは可愛い。今も下がり眉で俺を見上げる姿は凄く可愛い。
「なんなら確認してみるー?」
どっからか涌き出るあわで呼吸が苦しい。なのに目を逸らせない。上手く捌けない苛立ちを隠すように軽口をたたいた。
「っ、」
何時もなら軽くあしらう燐ちゃんは暫く俺を見上げて、それからペタペタと胸元を触りだす。
「ほんもの?くさ出さない?」
燐は先程見た魔物を思い出しつつ佐助を触る。
「出さない、てか出せねぇかな?ほら、へーきだろ?」
何かちょっと擽ったくて、うん。燐ちゃんの両手を遠慮がちに掴むと、燐ちゃんはこくりと頷いた。
「良かった、さっき草がね、あ、けど人になって。ってか人の形の草がぐるぐる巻き付いて、それで、足引っ張って」
思い出したのか、燐ちゃんは寝袋から出した足を確認するように見ると小さく震える。
「もう居ないよ。家ん中にも居ない」
鎌之助が言ってた様に恐怖で幻覚でも見えんなら見せなきゃ良いと佐助は燐に両手を伸ばし強張る燐の体を緩く抱えた。
「腹減ってるなら飯食ってさ、寒いなら湯もさっきまで師匠が入ってたから」
ぽすりと佐助の胸に収まった燐は、人肌の温もりに両目を閉じる。力の抜ける様子が背に回した手から伝わると、佐助は安堵の息を吐いた。
「おなかすいた」
「じゃ飯にしよ。支度するよ」
温かい腕の中からぽそりと小さな声が聞こえた佐助は、名残惜しそうに燐を離すと立ち上がる。
「手伝う」
顔を上げた燐は、既に椀と箸を手に持って居る佐助に驚いた。
「俺様忍よ?…茸、食えそう?何か別のもんにする?」
燐の表情に苦笑しつつ鍋の蓋を外した佐助は眉を下げ燐を見る。燐は大丈夫と笑みを浮かべ椀を受け取った。
「師匠ー、食うだろ?」
部屋に向かって声を掛けるも返事がないと襖を開けた佐助は、燐の世の酒瓶を抱えて寝ている姿にそっと襖を閉めた。
「燐ちゃん、師匠に酒渡した?」
「あ、あれね。師匠が魔物退治しまくってくれたお礼」
くすねたのかと佐助が問うと、燐は礼として渡したと返し白雲斎の活躍を佐助に話した。
「殲滅具合を鎌之助さんが説明してくれて」
楽しそうな声が途切れた。言葉途中で顔を曇らせ目を伏せる。そんな顔しないでよ
「あのさ、師匠には及ばねぇけど猿飛佐助って忍も使えると思うよ?」
部屋に1人になる不安。それを見透かしたようにヘラリと笑う佐助。燐は眉を寄せると勝手に心読んだの?と思うも、一緒に居てくれるんだと心強さが勝ると文句を飲み込んだ。